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自分を守るということは。「流れる星は生きている」(藤原てい・著)

自分の命は、自分で守る。
書くのは簡単だが、しかしそのやり方は、だれもおしえてくれないのだ。

一九四五年八月、敗亡の報せを国外で受けた日本人は、誰も守ってくれない中で、帰還することを余儀なくされた。
敵に恐怖し、憎悪に怯え、同胞同士押し合いへし合いする中を
逃げに、逃げに、逃げた。
その一群の中に、3人の子供を抱えた藤原てい(1918−2016)がいた。

敗戦後の混乱がひと段落したころ。
新京からの引揚げを始めた八月九日の夜から一ヵ年の苦しい月日のうちに起ったできごとを、その身でぶつかり、たたかい、つきぬけ、かきのけてきたできごとを編んで、1949年、彼女は「流れる星は生きている」を世に送り出した。

その惨苦に耐えた火のような生きる意欲そのもののはげしさ、
生存のためにむきだしにたたかったエゴイズム。
それを率直に、何も匿すさず、押しきって、怒涛の流れで語っている。
次々と展開される挿話を、口をはさむひまなく読まされることとなる。

土地の人々の親切、ソ連の兵士の素朴さ等、ほっとする話もあるにはあるが
大部分が、気候の荒々しさ、徒歩行進の辛苦の強烈さ、
そして、エゴイズムからくる、同胞同士の足の引っ張り合い等
読んでて辛い話で構成されている。

読み終えたあと、間違いなく落ち着かない気分になる。時に他人を許さず、時に他人を押し除けて、生きる。彼女の生き方に共感できない人も、多いだろう。
それだけ、甘えとか、いっさい吹き飛ばした「美談」の入り込む余地を許さない、信念に満ちていて、強烈だ。
二度、読むことを躊躇うほどの。「生きてるって美しい!」と大っぴらに称賛することが、躊躇らわれるほどの。

自分の身は自分で守る、とはこういうことだ。
「騙し騙されは世の常」という言葉が、薄っぺらく聴こえるほど
醜悪なまでに生きる力を込めて、70年後を生きる僕らをも、慄かせる。

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