ご祝儀について思った事

オオカミ少年です。どうも。

今日は僕の腑に落ちないことを話したい。

この間さ、結婚したのだけど、
身内からご祝儀を頂いた。

式をあげてないから、周りの人たちと比べるならかなり少ないと思うけど、僕らにはすごくありがたかった。

さて、僕の祖父母と叔父がご祝儀を最初にくれたのだけど、
少し経って怒りの電話がかかってきた。

お返しがない!

って

先に言っとくけど、僕に社会的なモラルなんてインプットされてない。

結婚式とかお葬式の際のルールなんて全く知らなかった。
結婚式も見たことないし、葬式もこの間初めて参加したくらいだ。
お年玉みたいな感覚だった。

妻はインプットされてるルールが一般的ではないので、
まぁ、僕たちはある種の非常識人というわけだ。

怒られたときに、
正直焦った。

やべ、そう言うの返さなきゃいけなかったんだ!
言われてみればそうかも!

てね。

でさ、

ごめんね、落ち着いたらお返しします。

って返答したんだ。


それからすぐに短期間での引っ越しが計3回予定されてたのでバタバタしてた。
物件も決めなきゃとか
荷物も運ばなきゃとか

だから落ち着くのは2ヶ月先だった。

1週間後くらいにまた、怒りの電話がかかってきた。


いつ送ってくれるんだ!?

って、、

その瞬間に ? が浮かんだ。

ご祝儀の本質ってなんなんだろうって。


人にお返しを急かすものなのだろうか?
お返しを必ず求めるものなの?

ってね。


いや、身内だからわかるよ。
僕たちに、そう言うルールを守りなさいって言うことなんだなって。
いや、これからちゃんと気をつけるよ。


でもさ、これ、暗黙の了解ってやつの嫌な部分だよね。

別にだーれもこの世のルールとして定めてないぜ?


僕が思うに、ご祝儀の本質はこうだ。

あげる人
「おめでとうございます!どうぞ!お祝いの気持ちとして5万円!」

もらった人
「ありがとうございます!」
(嬉しい!気持ちをお返しで表現しよう。そうだ!物でお返ししよう!)


要は、お返しは、もらった人の裁量で決めていいものなんだよ。本当は。

返さなくたって正直悪いことじゃないと思う。
※返さなかったらどっかでその分お返しすることになってる。

半額分じゃなくたって5万円に対して1万円でもいい。


もともとはこういうことだと思うんだよ。

・お祝いの気持ちを5万円で表現した人がいた。

・もらって嬉しかった気持ちを半額で返す人がいた。


単純にこの積み重ねが、見えない統計で、
暗黙のルールになった。


さて、その結果今どういうことが起きてると思う?


あげる人「はいどうぞ!5万円よ。」
    (お祝いの気持ちは2万5千円ね。お返しに何か買ってもらうってことで2万5千円ね。)

もらう人「5万円もありがとうございます!」
     (半分はお返しだけどね。)


これってどうよ?

あげる人に最初からお返しとしての打算が含まれてたら、

もらった人の方がエネルギーの消費量が多くないか?

要はもらう側は、2万五千円分のお使いを頼まれてるもんだ。

人に物をプレゼントするために、物を買いに行く。
物を選ぶ。

この行為ってかなりエネルギー使うよね?

あの人はどんな物だったら嬉しいかな?
とかさ

この人たち、お返しに何送ってくるだろうねぇって試されてるって思っちゃう。

これを、母親に言ってみた。


それがルールだ!
当たり前ってやつだ!って。

まぁ、そうなんだと思う。


え、でもさ、これ、必要??????


そもそもご祝儀って名前なのに、
この言葉のパッケージからはみ出したモノが沢山ついてない?

お祝いって、お返しをもらう前提のものなの?


祖父母には
「こんなに頂いたんだから、妻と2人でたくさん祖父母の家に顔出そう!元気だよ!って」

叔父には、「戸建て買うって言ってたから、引っ越しとか物処分とか手伝おう」

そう決めてた。

これって非常識?失礼?

これも一つのお返しの方法なんじゃないのかな?

なんでだろう、いつから数字が人の気持ちまで支配するようになったんだろう。

正直暗い気持ちになった。

仕事が休みの日、
祖父母の家に顔を出しに行こう!

という気持ちはまず一気に失せてしまった。


僕のもう片方の祖母は貧乏だから
何もくれなかった。

でも、ニコニコしながらおめでとうと言ってくれた。

ただそれだけで嬉しかったし、
そっち方が結果的に印象が良くなってしまった。

ていうか、実際によく連絡を取ったり、
元気にしてるかとか連絡を自然するようになった。


僕は変人だからさ、

お金も気持ちも、一緒に見てる。

確かにご祝儀はありがたい。

でも、そこに打算やルールが入るだけで、
あり方が変わる。

本質の伴わない物事って沢山あるよね。


本質がないものってさ、
気が宿ってないんだよ。

気ってのはさ命の元だよ?

例えば、どんな商品だって、

その商品がなんのために生み出されたのか。

これがないと、ただのコピー商品だ。

流行ってるから売る。

そうじゃなくてさ、これは誰のどんな役に立つのか?

そういう想いの大切さって、こういうご祝儀ひとつでも同じだ

自分の行い、自分の創作物、自分の発言

それに命を吹き込め

ルールだからってのは、他力本願だ。

ルールにあやかって、ルールを根拠に人に何かを与える。

そこに、当人のエネルギーなどどこにも入ってない。

別に祖父母はそんなつもりでご祝儀をくれたんじゃないだろうし、そんなつもりで怒ったんじゃないと思う。

でも、表現化した事実だけ切り取れば
これはいい例だと思った。

ごめんよ、じいちゃんばあちゃん。


まぁ、今回の事を自分ごととして受け取るなら

社会で無駄な争いを避けるための大事な処世術を学んだ。

以後、気をつけるよ。

でも、いずれこういう、
日本神道でいうところの穢れを取りさるための一助となりたいな。

っと思って、筆をとった。

また、誰かを怒らすんだろうなぁ笑笑 


でもまぁ、オオカミ少年、少し大人にになることを覚えたよ。

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