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【雑談材料】飲み会で使える80年代音楽史(1)

国内興収120億円突破の映画「ボヘミアン・ラプソディ」。公開中はクィーンについて「我が世代の共通体験」みたいに話す大人が多く出現していたと思います。

でも本当に「クイーン」にドはまりした世代はどの辺なのか?
上司との飲み会、取引先との会食時、年上と当たり障りなく盛り上がれる話題として、その音楽的背景を知っておいても損はないます。と思い書いておこうと思います。
ちなみに日本でのクィーンのドはまり世代は現在60歳前後。その下の1970年生まれの私にとってはクィーンといえば「RADIO GA GA」で、ロックでもパンクでもニューウェーブでもない不思議な大物バンドといった印象。フレディ・マーキュリーのソロ「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」がノエビアCMで良く流れていて、映画と違いソロでも大成功した人との印象が強い。

頭が硬くなり始める50代前後の目上の人と会話する際に、どの辺の音楽シーンを触ると「こいつ細かいところ分かってるなぁ」偏屈な心のゴールキーパーを突破し、愛い奴ゾーンに入れるかのヒントになればと思います。


最初はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)についてです。

前提として1980年前後、YMOは既にみんな何度も聞いたことのある、ありふれた存在だったという事を念頭に置いておいてください。

映画・ドラマの劇伴でもないインスト曲をみんな知っている状況というのは今は想像し難いと思います。1979年にアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」は発売されていて売り上げ100万枚を突破し、1980年の年間オリコン1位アルバムだったんです。


ボコーダーの今まで聞いたことのない声「ト・キ・オ」はみんな知っていて、「RYDEEN」は体育の時間の縄跳びで流れていいました。担任の若い教師が「これがテクノミュージックで、これからの音楽はこうなるぞ」と言っていたのを覚えています。
そのころの音楽的時代背景としては、70年前後で消滅したGSの残り香はあり、大阪では万博ヒッピー感覚となぜか一体でロン毛、モジャ頭系の大人という感じだった。その頃ビートルズといえば「レット・イット・ビー」の人で、「もう何か知らない間に楽しい時代は終わった」ような気持ちが子供ながらしていました。

ニュースでは、いつもベトナム戦争やっていて中国はマスゲームと自転車の国。「人口増えると食べ物無くなる」「公害ひどくなる」「石油なくなる」「核ミサイルで世界が滅びる」と有識者は子供たちに暗い未来を語り、危機感を煽っていた。子供に擦り寄ってくれるのはアニメとマンガぐらいしかなかった。

そんな時代にあって山下達郎の存在は飛び抜けていて80年は「RIDE ON TIME」がラジオにCMに商店街に席巻して、その後「高気圧ガール」「BIG WAVE」と歴史的傑作が次々と生まれてました。



テレビのヴァラエティ番組に出ている大学生は楽しそうだったが、暗い未来教育で70年代育った小学生にとって、山下達郎とサザンオールスターズが天井からもたらすアメリカ西海岸の光は眩しく輝きすぎていて「これは商業主義だ!未来はそっちじゃないぞ」となんとなく遠ざけていました。

もしタイムマシーンがあったら、その頃の自分に会って「お前は間違っている!将来すごい損をするぞ」と心変わりするまでとくとくと説教したいです。

大瀧詠一はこの時期その実態は全く不明だった(ベストテン番組などテレビに出ていなかった)が、1981年に発売された「A LONG VACATION」「君は天然色」「カナリア諸島にて」はテレビやラジオでは普通に毎日かかっていて(今もかかっている)、「この人はヒットするキラキラした曲をこれからも量産していく人なんだ」と勝手に解釈していました。(まさか84年の「EACH TIME」が即打ち止めで、その後30年以上オリジナルアルバムを出さないとは知る由もない)


そんな時代ににあって「人民服、無表情、キーボード」というYMOのアイコンは、反主流派小学年だった私にとって「憧れ」であり「正解」で、最高にクールに感じていました。
一度聞くとまた聞きたくなる感じ(中毒性、ループ)、終わった感じがない(不安定進行、フェードアウト)が、「ここでないどこかに連れてって志向」の私に心地よくフィットしました。

でもYMOのこの時期のアルバムリリースは、80年「増殖」、81年「BGM」「テクノデリック」、コンサートはロシア・アバンギャルトセットの「ウィンター・ライブ1981」という感じで、小学生には敷居が高すぎだった。
再びあの「テクノポリス」「ライディーン」のように分かりやすく攻めてくる曲を待ちつつ中学へ入学した。(このあたりの熟成が、後にレイブ、アシッド・ハウス、テクノなどが登場した時に、これ!これ!飛びつく一因だと思う)

一方で洋楽はどうだったかと思い返すと、ファンクな感じの超テクニックとソウル・トレイン&ブラックカルチャーは、親戚の遊び人のおじさん像と混然一体となり「暑い!鬱陶しい!」と思っていた。スズキのスクーターLOVEのCMにマイケルジャクソンが出演し「Don't Stop 'Til You Get Enough(今夜はドント・ストップ)」が毎日テレビで流れているという凄い状況だったにも関わらず。「例のモジャパーの一派だな!僕の人生とは一点の接点もない」と思っていた。
今思うと、「俺はなんて馬鹿だったんだ!」と死ぬほど後悔するが、下町の普通の小6だったので許していただきたい。

それが中3になると状況が激変する。
「君に、胸キュン。」
まさかのYMOのお茶の間ポップ路線だった!

(つづく)

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