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丸の内映画祭でヴィム・ヴェンダースの「東京画」を観た

先月末の話になります。これもちょっとだけ街歩きに関係します。

街歩きで丸の内界隈のビルを通ることが多い私ですが、新丸ビルから永楽ビルに行った時だったかに丸の内映画祭の告知を発見。第1回目が開催されることを知りました。何か感じるものがあったのでしょう。せっかくだから何か映画を観たいと思いリーフレットを持ち帰りました。

記念すべき第1回はヴィム・ヴェンダース特集となったようです。同じ時期に開催された「東京国際映画祭」で審査委員長を務めたヴィム・ヴェンダース監督。役所広司さん主演でカンヌ映画祭最優秀男優賞を獲った「PERFECT DAYS」も公開間近です。

ヴェンダース監督と聞いて思い出したのは「リスボン物語」です。マドレデウスのテレーザが出るのを知り映画館で観ました。あと、観たかどうか定かではないのですが「パリ、テキサス」や「ベルリン・天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」なんかも有名ですね。ロードムービー的なものを作っている監督のイメージでしたが、これもその1つに該当するのか、東京を舞台にした「東京画」というドキュメンタリー映画を撮っていました。監督は小津安二郎作品に造詣が深く、小津作品「東京物語」で描かれた東京を探しに、小津監督の没後20年後の1983年に来日し撮影をしたそうです。それを見ることにしました。

この映画、私は初見でした。実はヴェンダース監督のファンでも、小津安二郎監督のファンでも、「東京物語」を見たことがあるわけでもなく、このドキュメンタリー映画の存在自体を知りませんでした。最近街歩きを頻繁にするようになって、再開発で無くなっていく昔の街並みを懐かしむようになっていたので、1983年当時の東京(どこかはわからないけれど)を見ることが出来るんじゃないかという、ちょっと邪な思いで観ました。

この映画、オープニングとエンディングに「東京物語」の映像が出てきます。これは、これから映し出される今の東京の姿との対比のため?と思いきやそうではなかったです。東京の風景は出て来なかったので。おそらくこの作品にも出てくる小津作品の常連である笠智衆さんやカメラマンの厚田雄春さん、あとは小津監督の「東京物語」という作品を、これに魅せられて東京に来たという説明代わりに示したかっただけかもしれない。

そんな風に始まった映画に突然出てくる東京の風景。どこだっけ、最近見たことがあるような。手前の新幹線とか山の手線の線路・・・JRいや当時は国鉄か。あ、この不二家の看板!最近三愛ドリームセンターの看板絡みで調べた数寄屋橋交差点だ。数寄屋橋の不二家のビル、銀座クリスタルビルは1982年に完成しているから1983年には存在しているし。ということは、あの工事現場は有楽町マリオンか。このビルが無かった頃の有楽町をいま映画で見ることができるなんて・・・などと、映画の主題とは無関係に、最近街歩きで得た情報が偶然ここにも繋がったことにちょっとワクワクしたのでした。

広告塔は2018年にリニューアルされましたが、
このビルが映っていました

映画はこのあと、今の東京の姿として、池袋の地下と思われる風景を映し出したり(東武百貨店の広告があったのと、子供がごねて歩こうとしなくなる地下鉄は丸の内線でしたよね)、パチンコ店や、当時のテレビ番組(野球のナイター中継とタモリ倶楽部のオープニングと時代劇とバラエティ、そして西部劇の吹き替えドラマが終わると放送終了を表す日の丸と君が代が流れるNHK。そんなのが繋がってました。)、竹の子族、後楽園のゴルフ練習場、東京タワー、食品サンプル製造工場などの映像が映し出されます。

どちらかというと、撮影者にとっては期待していた東京の姿ではない、という使われ方だったと思います。小津作品の古きよき日本(東京)の風景はもう存在しないという無念の気持ち多めで描かれていました。だけど、必要以上にパチンコ店や食品サンプル工場の映像に時間を使うほど、今の東京の姿も興味津々、という監督の相反する気持ちが見え隠れしているように見えた作品でした。

その頃はもう上京していた私にとっても当時のサブカルチャーを振り返ることができる面白い映像だったんですけどね。日本人以外にはどう映ったのでしょう。

インタビューで出てくる笠智衆さん、自分にはテレビで見ていた俳優さんというイメージでした。むしろ小津作品に出ている彼を一度も見たことがなくて、30代の若い頃から老人の役をされていたことに驚きました。昔の俳優さんは、演じている以外の姿を見る機会がかなり少なかったと思うので、笠さんのインタビューは新鮮に感じました。何も考えずに小津監督の言う通りに演じる、それが彼の役目だったとか。

カメラマンの厚田雄春さんの言葉もちょっと身に染みたけれど、それだけ小津安二郎という人が彼らにとって偉大だったのでしょう。そんなこともあり、この映画が小津作品を観たくなるいいきっかけになりました。そう強く思った時が見頃なのだろうと悟り、Amazon Prime Videoで「東京物語」を鑑賞しました。今更ですが小津安二郎監督作品の初鑑賞です。

もう70年も前の映画なのに、今の自分にすごく響いてしまいました。物事が淡々と進んでいく中で、離れて暮らすようになった家族の絆が時間と共に薄れていく様や価値観の変化等が描かれていました。今回の記事から少し外れてしまうので感想は割愛しますが、私はどちらの気持ちもわかりました。そして、自分の立場と生活拠点の変化は人の心を変えてしまうものだよね…なんてしみじみ思ったのでした。東京に住む長男・長女の行動は、自分たちの姿をみているようでちょっと自己嫌悪に陥りました。(実際、祖母や父親の葬儀の後すぐに帰ってしまったり…)

「東京物語」っていうくらいだから、観る前までは東京に住んでいる家族の話で、東京の風景がたくさん出てくるものと思ってました。なので、映画を観た後は、ヴェンダース監督が探しにきた東京って何だったの?と考え込んでしまいました。古き良き日本=印象的な尾道のイメージだったのでは?と思ったので。

「東京画」のロケ地は、有楽町だの池袋だの後楽園だの東京タワーだの、まるっきり都心です。そんな場所を選んでおいて、何故あの頃の東京の姿なんてない、なんて言うのだろう。当たり前じゃないか、1953年から30年も経過してるんだから。でも東京にも田舎っぽいところは残っていたはずなので、もう少しロケ地を選んでいればお望みの物が撮れたはず。そう考えると、最初からそういう映画にするつもりはなかったということでしょうね。

丸の内映画祭の2日目、この日は映画終了後にドイツからヴェンダース監督の研究者として有名なイェルン・グラーゼナップ教授をお迎えし特別講義があったので参加しました。途中から映画「ある男」の石川慶監督がゲストのトークセッションになりました。17時から始まる92分間の映画を観に行って、まさか21時頃まで会場にいることになろうとは(苦笑)
特別講義はヴェンダース監督を知るうえでは興味深い内容だったのですが、そこまで作品を知らないのに変なイメージを植え付けられても良くないと思ったので、話半分に聞いていました。

丸の内映画祭でヴィム・ヴェンダース監督と小津安二郎監督に対する興味が深まったのはいうまでもありません。第2回も楽しみにしてます。そして、時間があったら2人の監督の作品をいろいろ観てみようと思います。

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