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なぜ私が日本の教育(kaizen?)に一歩踏み込むことにしたか。。。教育者でもなく、ただの母親なのに。

デンマーク株式会社を設立して2ヶ月。なかなか人に会うこともままならず、オンラインでの講演や打ち合わせ、そして飲み会などのみで、思うように動くことができない。私同様、今年に入って起業した方には、似たような方もいらっしゃるだろう。ことに起業初心者にとってはなかなかハードな状況でもあると思う。が、これも仕方がないですね。前を向いて歩きましょう。

まだ会社・事業のwebサイトもできていないのですが、事業の中心にあるのが、教育・学びに関するものです。デンマークで生活した約半年で、以下のことに気がつきました。

・国づくり(国の成長・安定)のベースは教育にある
・教育は子どもの学校教育だけでなく、大人にも必要なもの
・教育というよりは、学び=学習者が主体的、であるべき
・国としての目標・目的を全国民で達成するために教育がある
・ゆかりのある外国人もその国の発展を自分ごととしてサポートしくれるありがたいパートナー

あったりまえのことにしか見えないと思いますが、日本はあまりそうではないと思うようになりました。

私は現在高校生男子の母親です。そして、昨年まではキリロム 工科大学という、カンボジアにある英語でITを学ぶ私立大学の日本事務所をしていました。この2つの時期がちょうど重なったことで、いろんなことを不思議に思えていたのです。

・日本の高校・大学進学・受験の不思議
・何のために学ぶ・学校に行く必要があるかがわからない若者
・受験の指導で自分の成績で入れる高校・大学を勧められること
・日本の地方には首都圏と同じ情報がない、そして、その事実を知らない地方の人たち
・英語を学ぶ理由を伝えられない学校教育と親
・精一杯子どもたちのサポートをしても、達成感につながらない教員の方々
・子どもたちの周りには、世界を知らない大人が(あまりにも)多いこと
・変化を認めないのみならず、求めることまで拒否する大人も多い教育界隈
・教員になりたい人が減る日本
・ワクワクしていた(新人)教員が疲弊する、退職する
・教育関連以外のネットワークが(あまり)ない教師の方々
・・・・

私自身、数年前までは「何のために学校で学ぶのか」と聞かれたら、きちんと答えられなかったと思います。自分自身が、「学校は行くのが当たり前のもの」と思って学校へ行っていたのは否めません。今は違います。間違っているかもしれませんが、私の「学校」の定義は、「ワクワクした人生を送るための基礎を学び、たくさんの子どもや大人に会い、失敗も成功もし、助けたり助けられたりのネットワークができ、家族や誰かの役に立ちながら、良い一生であった、もっとやりたいことはあったけど満足な人生だった」と死ぬときに思える、、、こんな生活のスタート地点が学校であり、子どもたちの社会へのソフトランディングを手助けするのが教師や親なのではないかと思うのです。

あるトップ高校の進路の先生にこんなことを言われたことがありました。「うちの生徒は、東大・京大に合格することを目的に勉強しています。カンボジアの、しかも、聞いたことのないような大学の人と話すのも時間の無駄です」と。しかし、他のトップ校ではこんな先生もいらっしゃいました。「うちの生徒にも、結果としてどの大学に行っても良いから、人生にはいろんな選択肢があることを知って欲しいんですよね、高校生のうちに。学びたいことがあってその大学を目指すのはもちろんイイんです。けど、小さい時から親に言われて思い込んだ志望大学だけを目指すのは、生徒のためにもよくないんですよね」と。後者の高校で希望者だけに土曜授業をさせていただきました。タイトルは、「『世界』を、生きる舞台にするためのはじめの一歩 ~虫の目ではなく鳥の目で世界を見て生きる、海外進学がもたらす人生の広がりと醍醐味~」というものでした。その後のアンケートを見て嬉しくなりました。(参考までに最近終わったセミナをリンクしました)。
・海外大学という選択肢があるなんて思ってもみなかった
・世界が見たくなった
・自分も海外大学に行けるのだと分かった
・(地元国立の)○○大学に行くのが当たり前だと思っていた
・今晩家族会議をします
・・・・
そんな面白い意見がたくさんあって、本当に、本当に驚いた。私の話を聞いて喜んでくれたのはとても嬉しかったが、「中高生が自分の選択肢を知らないって、大変なことだ」ともわかった。私の授業には80人ほどの生徒が集まったのだが、その3ヶ月後の海外進学についての授業には200人近くが集まったと聞いてまたまた驚いた。何人の生徒が海外進学にしたかは問題ではない。これまでとは異なった選択肢を知った上で、自分の進路を決めてくれた事を嬉しく思ったのだ。

昨年デンマークから戻るまでは、どちらかというと、海外進学についての話をすることが多かったのだが、デンマーク滞在中を含め、私がデンマークで驚いたことを最近よくお話ししている。それはなぜか。これも同じ理由で、「自分の知っていることを常識と思ってはいけない」ということをデンマーク で何度も何度も体感し、「多くの人に知ってもらえれば、自分にもっと様々な選択肢があることを大人もわかる場合があるだろう」と思ったからだ。つまり、単なるお節介である。これは、どちらかというと、「大人が学ぶこと」ではないかと思う。自分が聞きたい、知りたい、と思った人が参加し、何かを得られる。自分で決めて、内容が大したものではなかった場合は、ごめんなさい。ただ、私なりに、きちんと準備をして、皆さんに伝わるようにと努力もしているので許して欲しい。
Global視点での幸福、 教育のベースにあるもの 【大人のデンマーク留学見聞録】 〜びっくり!しかなかった大人デンマーク滞在日記〜(2021.5.28 19:30- onlineセミナ)
これは、単に「自分の思っていることが常識ではないことがたくさんある、これからの子どもたちは世界に近くなる、だから私たち大人ももっと世界を知らないとまずいよ」ということを伝えるための事例・体験例である。

昨日男子高校生からこんなメッセージをもらった。要約すると「進学先大学を選ぶのに行き詰まっている。英語が話せるようになったので海外大学も選択肢に入った。自分に合う大学がなかなか見つけられない」というものだった。私は驚きと同時に、嬉しくなった。自分が相談されたことが嬉しいのではなく、彼が、自分の進路を学校の先生と親以外にも相談できるネットワークや行動ができることが嬉しかったのだ。私自身、世界中の大学を知っているわけでもないし、彼のことをとてもよく知っているわけでもない。しかし、彼のような生徒の力になりたい大人をとてもたくさん知っているので、そんな人たちと話ができるようにしてあげたいとも思っている。そして、彼が心のどこかに、どんなことが好きで、どんなことが得意で、どんなことをしてみたいと思っているか、そんな芽を探すのを一緒にやりたいな、と思っている。(彼の定期試験が終わってからね。)親と先生(学校・塾)の先生以外に相談できる大人を見つけられる人は、選択肢がどんどん見えてくるだろう。素直に助けて欲しい、と言える彼を羨ましくも思った。(私もマネよう!)見つけ方がわからない、だけである。それをわかったことが正しい!

いろんなところでお話をさせていただく際に、いつも言うのは、「私は実は、以前はこんなヒトじゃなかったんです。数年前から、たくさんの素敵な人たちと知り合うことで人間が変わりました。(長くなるので、どう変わったかは別途!)なので、誰もが変わることができるのだ、と言うことも身を以て分かったんです」と言う話をしています。

最近よく言うことは、「大人が変わらないで、子どもには変われ、とか、もっと勉強しろ、とか言っていてはいけないのではないか?」と。実は私も以前はそんな親でした!(ahaha)しかし、ここ数年は、息子も少しは分かってくれたんじゃないかと思ったりもしています。

日本には(あるいは世界には?)私のように、勘違いしながら子育てをしていた親や、学校の先生や、教育関係者がたくさんいると思います。そして、どの人も悪気があるわけではなく、良かれと思って、間違ったことや、思い込んでいること、今ではもう時代遅れなこと、などを子どもたちに言っている場合は多いと思います。オトナはなかなか、自分が間違っていることに気がつかないし、気がついてもカッコ悪くて、なかなか訂正できない場合もあります。ごめんなさい、間違ってました、許してね、と潔く、相手が子どもであれ、大人であれ、同僚であれ、後輩であり、親であれ、誰にでも言えて、小さなミスを乗り越えながら助け合って生きていける、そんな世の中にしていきたいな、と思うこの頃なのでした。

これが、私が教育、学び、オトナと子どもの学びを人生の仕事にしたいと思った理由です。そして、日本に留めず、世界に広がる大きなものを作り上げたいと思ってます。失敗したくないけど、失敗してもイイのが人生。子どもたちにもそう伝えたいから。

「ですます」から「である」に変わったり、していますがお許しくださいませ。



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