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日本の常識は非常識!?もうオトナなんだから、自分の行動は自分で管理。誰も何も言わない、よほどのことがない限りは、、、

朝起きたら、学校内のいろんなテーブルにはグラスが放置されている。バトミントンのラケットやら羽やら、サッカーボールやら、スマホやら、個人のボトルやら、、、いろんなものが至る所に転がっている。当然のことだが、人数が増えた分、転がっているものも増えている。

昨日は日本人が集まって、少しこんな話をしていた。この片付けない人種たちは、彼らがおかしいのか、私たちがおかしいのか、と。結論は、きっとどうでも良いことだから誰も気にしないのだろう、となった。その後高校の校則の話や、日本の文化・習慣について、話は様々広がっていった。

現在この学校には28か国の人が集まっている。厳密に言うともう少し多かったり、少なかったりするかもしれない。アイルランドとイングランドを分けているか、一緒にしているかは私にはわからない。一部の人たちは、夜中まで隣の人が映画を見ているのが気になる、など、口にはしていたけれども、結局のところ、自分が言わないと何も改善はされない。そして、誰もが、関係が悪くなることを気にすると様々口にできなくなるのだが、学校は、自分たちで会話をして解決するように、と言う。それで良いと思う。だって、子どもじゃないんだから。

さて、ここからが日本の話だ。ルールとは法律か?あるいは目処か?絶対守るべきものか?その辺りが、国によって違うので、このようにインターナショナルな環境になると、微妙にズレが生じる。そして、様々なことが、あまりにも杓子定規に決まっていたら、息苦しい、楽しくない、環境となり、人はこなくなるだろう。会社の場合は、お金をもらうところだから、ある程度はルールに従おうと言う話になるが、サービス産業となるとそこは少し話が違う。

常識の定義はもちろんのこと、迷惑をかけると言う意味の定義も違うことだろう。保育園や幼稚園の時から、「出したおもちゃは片付けなさい」と言われてきた我々は面食らう。しかし、面食らうことが多いほど、考えたり、思い直したりすることが増え、自分の人生も納得できるものになるのだなあ、と思う。

朝起きて、いつものウッドデッキに散歩の犬がこないかと行ってみた。本日は残念ながら、猫の追いかけっこしか見られなかった。そして、その後は、学生たちがヨガをしていた。明日もやっているようなら仲間に入れてもらおう。

「年齢の離れた仲間と一緒にいるのに、どうして上から目線にならないんですか?」と言う質問を受けた。もちろん日本人からだ。ここに来ている日本人はみんな素敵だ。私より英語も話せるし、友達も簡単に作れる。ひとりぼっちでいる私に声をかけて仲間に入れてくれたり、食事に誘ってくれたり。年齢が上だと言うだけで、どうして上から目線に慣れようか。尊敬しているほどだ。

遅刻するから早く起きなさい。早く家を出なさい。宿題はやったの?家庭科の持ち物は準備した?英検の勉強はしているの?受験校の資料は集めたの?明日の着替えは夜のうちに出すのよ。こぼさないように食べないと。早く寝ないと明日の朝起きれないよ、、、、、

そんなことを言われて育ってきた大人が、また同じことを子どもたちに言っているのが日本。子どもも自分でできるように促せば、どんどん成長することを知らないのは親や大人だけだ。

家庭内で、親が子どもに上から目線で話をしている間は、子どもは成長しづらいだろう。学校でも同じこと。大人は子どもたちをさらに高い、遠いところに飛んで行きやすいように、背中を貸すのが役目だと最近強く思っている。そして、頑丈な背中を作るために、私たち大人も変態する。

明日は中高生、保護者、教師とのワークショップ。日本とデンマークを繋ぐ。ちょっと早起きして、これまでのデンマークで知ったこと、気づいたことを伝える。

デンマークに来て、一番驚いたことはなんですか?

こんな質問を事前にもらっているのだが、回答が毎日塗り替えられている。明日の朝までに、また更新されるのかもしれませんね。楽しみだ。


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