呼吸をし存在する。そして森となる。

今日は、朝から川上村と連携協定を締結している大阪工業大学の方と
「吉野川源流ー水源地の森ー」にいっていました。

大迫ダム、大滝ダム、二つのコンクリートのダムを抱える奈良県川上村。

ダムの受け入れに関しては、反対運動もあり一筋縄にはいかなかった。
特に大滝ダムは、「東の八ッ場、西の大滝」と呼ばれるほど反対運動が激しく、計画から完成まで半世紀近くを要した。

そんなダム闘争そしてダムの受け入れの中から生まれてきた奈良県川上村の”水源地の村づくり”

村は、ダムの受け入れとともに、吉野川紀の川の最源流部に位置する自治体として、500年も昔から紡がれてきた杉・桧の人工林、源流部に残された原生の森を次世代に伝え続け、そこから生まれる水の恵を下流に伝え続けることを覚悟と責任を持って決める。

その想いを言語化したものが、平成8年に全国に向けて発信された川上宣言

川上宣言
一、私たち川上は、かけがえのない水がつくられる場に暮らすものとして下流にはいつもきれいな水を流します。
一、私たち川上は、自然と一体となった産業を育んで山と水を守り、都市にはない豊かな生活を築きます。
一、私たち川上は、都市や平野部の人たちにも、川上の豊かな自然の価値に触れ合ってもらえるような仕組みづくりに励みます。
一、私たち川上は、これから育つ子供たちが、自然の生命の躍動にすなおに感動できるような場をつくります。
一、私たち川上は、川上における自然とのつきあいが、地球環境に対する人類の働きかけの、すばらしい見本になるよう努めます。

この宣言、特に「下流にはいつもきれいな水を流します」の具現化として、平成11年度から4年かけ、約10億円を投入し村が購入保全したのが、吉野川源流ー水源地の森ーである。

少し大まかな村づくりの話を語ってしまったが、その水源地の森に今日いってきた。

久しぶりに行ったけれど、改めて森から多くのエネルギーをもらったと感じた。まさに多様な存在の集合体がまさに森であり、森があり、川があり、海がある。そして地球がある。そんなことを考えていた。

森にいると当たり前なんだけれど、僕たち人間も自然の中で暮らしているんだよなとほんっと当たり前のことに改めて気づかされた。

人間が作った建物の中にいて、人間が作った車で移動していると、ふと自然の存在を忘れかけている自分がいた。

自然の中にいるとかいう話を聞くと、頭ではわかるけれどどこか別世界、ドラマの中の話のような感覚があったように思う。
ついつい人間としての世界だけを見てしまう。

でも、それは大きな自然の中に行われていることなんだ。
なんかそんなことを改めて感じた。

今更こんなこと言っていたら笑われるわな。
でも思った。
村づくりを伝えるときもそういう感情は伝わるものだよね。

やはり適度に自然を感じ、森を感じ、この存在を感じていたいと思う。

森から下山後は、用あってある集落に行っていたが、そこの人が語ってくれた。

「こうやって山を眺めていると、ほんっとに多くのエネルギーをもらえる。もちろんいいことも悪いこともある。でもそれが自然。自然のエネルギーはすごい」

まさにおっしゃる通り。

もうただ穏やかに呼吸をし、存在していく。

それがきっと大きな森を構成しているはずだから。


今日も一日ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?