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#水曜日は働かない


 以前にも少しだけ触れたけれど毎週水曜日は友人(僕より少し年上の男性)とちょっとした「朝活」をしている。朝の出勤時間にカフェに集合して、10キロ走る。その間僕たちはいろいろな話をする。彼の子供の受験のこと、気になっている味噌ラーメン専門店のこと、最近読んだアメリカのオカルティズムについての本のこと、香港のデモのこと……とりとめもない話題も多いけれど、僕にとってはとても大切な時間だ。

 彼とはもう10年くらいの付き合いだ。一番よくつるんでいたのは震災の少し後くらいで、多いときは週に二回とか三回のペースで遊んでいた。当時は完全な夜型のライフスタイルとというか、疲れたら6、7時間適当に寝て活動を再開するという生活を繰り返していた。そしてだいたい22時か23時くらいになると、どちらからともなくメールをして落ち合った。僕は高田馬場に住んでいて、当時彼は早稲田に住んでいたので家の近所で合流して新宿か神楽坂に繰り出すことが多かった。

 当時から僕たちはよくしゃべった。というか具体的にはしゃべることしかしなかった。彼はお酒が好きで、たいていの場合はバーでジントニックを片手に饒舌に話した。逆にお酒を飲まない僕はトニックウォーターでそれに付き合った。あと、僕たちはよく歩いた。高田馬場から市ヶ谷や飯田橋のあたりまで、夜の散歩に出かけることも多かった。東京が何年に一度かの大雪に見舞われた日は、雪の靖国神社を見物しようと九段下まで足を伸ばして境内を歩いた。

 その後彼はフランスに移住して、昨年数年ぶりに帰国した。そしてまた僕とつるむようになった。ただし、再会後の僕らはもう夜には会わなくなっていた。僕は3年前に始めたランニングがすっかり趣味になって、3日に一度は5キロから10キロ近所を走るようになった(詳しいことはこの文章を読んでほしい)。
 一方の彼はフランスにいる間にはじめた合気道に夢中になって、やはり3日に1度は道場に通うようになっていた。その結果、再会したときにはお互い完全に朝型のライフスタイルになっていた。これが歳を取る、ということなんだなと二人で苦笑したものだけれど、まったく悪い気はしていない。

 そして僕たちは、当然のように「朝活」をはじめた。昔のように、とりとめもないことをずっと話しているのだけれど、実はその中で多くの時間を占める話題は身体のことだ。ランニングを、合気道を通じて感じたこと、考えたことをシェアしてそして少しずつ言葉にしながら僕たちは走っている。

 僕たちが集合場所にしているカフェはオフィスビルが密集しているエリアにある。平日の朝は、こういってはなんだけれど死んだ魚のような目をした会社員たちが、早足で掃除機に吸い込まれるようにビルのエントランスへ消えていく。ある朝、彼はそんな会社員たちを見て「NPC(ノンプレイヤーキャラクター)のようだ」と言った。ちょっと辛辣な表現だなと思ったけれど、その意図はよく分かった。少なくともこの瞬間、彼らは自分の人生を自分で舵取りできているようには見えない。いま彼らはPC(プレイヤーキャラクター)ではなくNPC(ノンプレイヤーキャラクター)なのだ。
 そして僕が昼食を買うためにコンビニに寄りたいというと、彼は自分も買い物があるとついて来た。会社(彼はフリーランスの編集者だが、某社の業務委託スタッフとしてよく出社している)に行かなくていいのかというと、棚からストロングゼロのロング缶を手にとってこう述べた。

水曜日は働かないことにしているんですよ

 レジ前に長蛇をなすNPCたちに混じって、彼は並んだ。僕も牛丼弁当とサラダを手にとって、その後に並んだ。水曜日は働かない。彼がそう宣言したとき一瞬だけ、しかし確実にその場を静かな緊張感が支配した。しかし次の瞬間に並びの会社員たちは、僕たちがまるで存在していないかのように、丁寧な無関心を装いはじめた。僕は少し考えて、思った。ああ、自分も水曜日は働かないようにしよう、と。もちろんそんなことはまだできない。僕は小さな出版社のリーダーで、若いスタッフたちが一生懸命働いているのに僕だけは水曜日は働かないと勝手に宣言することはちょっとできない。でもいつか、近い将来にそうしようと思った。いまはまだ難しいけれど、もちろん僕だけではなくて、スタッフみんながそうできるようにしたいと思った。毎週水曜日が休みになると、365日のあらゆる日が休日と隣接することになる。たったそれだけで、なんというか世界がずいぶんと楽しく見えてくるように思う。
 僕は、今でも僕なりにスタッフたちがNPCになってしまう時間がなるべくないようにがんばっているつもりだけれど、近い将来にそうやって、週の真ん中の平日にまさに(NPCではなくPCとして)「遊ぶ」時間を設定することが、特にこういうものをつくる仕事にはとても大事だと思ったのだ。
 僕と彼はそのことに気づくまでにずいぶんと時間がかかって、気がついたら40代になっていた。僕たちがこうして水曜の朝に集まっているのは、自分の身体を普段接続しているいろいろなものから切り離す時間が定期的に必要だと気づいたからだ。だから若いスタッフたちにはもう少し早くそのことに気づいてもらえる環境を作ることに、とても意味があるように思えるのだ。

  #水曜日は働かない

 まだ実現できそうにないけれど、とりあえずはこう、宣言したい。

※ ※ ※

 ちなみに、僕と彼とは物書きと編集者の関係でもある。僕たちの仕事でいちばん大きなものはまさに今週ハヤカワ文庫版が出版になった僕の代表作『母性のディストピア』だ。執筆時にフランスに在住していた彼は、しょっちゅう行き詰まる僕に遠隔で助言を与え続け、そして丁寧な赤字を入れてくれた。そのためにあらゆる人生のミッションを放棄し、時に家族を激怒させながら『ブレンパワード』とか『キングゲイナー』をバンダイチャンネル等を駆使して全話視聴してくれた。

 その間僕は陰湿な嫌がらせを受けたり、テレビのワイドショーをクビになったり、いろいろ大変だった。そして何より、週に一度生贄を定めて目立ちすぎた人や失敗した人に石を投げるこの国のインターネットの言論空間にウンザリしていた。だからこそ、自分を支えるために僕は毎日朝の数時間だけは世間のことは全部忘れてこの本のことに集中した。長く読まれる、決定的なものを書こうと全力を投じた。僕と彼は日本とフランスに離れていたけれど、この朝の時間をずっと共有していたのだ。『母性のディストピア』は、そんな僕たちの朝の情熱の結晶であり、そしてその情熱は毎週水曜のランニングにつながっている。

僕はもうSNSには宣伝以外のものを書く気がなくて、月に8本前後を目安にこのノートを更新していきたいと思っています。世の中のこと、身の回りのこと、作品評、PLANETSや「遅いインターネット」のこれから、などいろいろ書いていこうと思っています。小説にも挑戦してみたいです。無料の公開記事と、有料のマガジンを使い分けて行こうと思っています。マガジンの購読者が増えると、ずっと続けられると思います。応援してもらえると分かりやすくやる気が出るタイプなので、甘やかしてください。

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宇野常寛 (評論家/「PLANETS」編集長) 連絡先→ wakusei2ndあっとyahoo.co.jp 070-6449-6489 著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』 『母性のディストピア』など。