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なぜ人は映画を早送りで観るようになったのか(前編)|稲田豊史

本日のメルマガは、ライターの稲田豊史さんと宇野常寛との対談をお届けします。
稲田さんの著書『映画を早送りで観る人たち』を引き合いに、映像作品をめぐる「消費」の現状について議論します。
(構成:佐藤賢二・徳田要太、初出:2022年5月10日(火)放送「遅いインターネット会議」)


なぜ人は映画を早送りで観るようになったのか(前編)|稲田豊史

■1.「ファスト視聴」蔓延の理由

宇野 今日の対談のテーマは「映画を早送りで観る人たち」です。YouTubeによく上がっている、「ファスト映画」と呼ばれる動画をご存知の方も多いと思います。商業的な映画作品をダイジェストにして、5分か10分で結末までわかる、予告編のちょっと長くなったバージョンみたいなものです。著作権的には完全にアウトなんですけど、こういうものが今、けっこうはびこっている。そして実際、「映画はもうそれでいいじゃん」と考えるタイプの視聴者が、特に若者層に広がっている。そういったことが2022年に入る前後から話題になりはじめています。その現象について、実際に映画業界にいたり、映像関係の業界誌の編集をしていた稲田豊史さんがいろいろな角度から切り込んだのが『映画を早送りで観る人たち』です。

稲田 どうも、稲田豊史と申します。宇野さんとの関係を説明しますと、僕は2012年、東日本大震災の翌年にとある出版社を辞めて、もうボロ雑巾みたいになってたんですけど、そのときに最初に「うちの仕事を手伝いませんか」と声をかけてくれたのが宇野さんだったんです。それで少しPLANETSさんのお手伝いさせてもらって、その後とある会社に転職したんですけれどまた辞めて、その後フリーランスになってからもいろいろなプロジェクトでお手伝いさせてもらいました。宇野さんは恩人みたいなものです。

宇野 うちからは稲田さんの著書として、『ドラえもん』を論じた『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』を出させてもらいました。それだけでなく、裏方としていくつも本の制作を手伝ってもらって、僕は頭が上がらない、尊敬する先輩編集者の一人です。こちらこそ恩人みたいな感じですね。ここ数年は、稲田さんはどちらかと言うと編集よりライティングのほうの仕事の比重が大きいですよね。

稲田 そうですね、ルポとかの文筆が多いですね。

宇野 この稲田さんが、近年ではウェブサイト「現代ビジネス」の記事でたびたび「倍速視聴」問題を取り上げていて、僕の身の周りの出版業界の人や、当事者である映像業界の人たちからすごく大きな反響がありました。それがこのたび単行本になって、さらに大きな反響を呼んでいます。そこで、今回は稲田さんがファスト映画問題を取り上げたこの本をベースに、僕らにとって今日の映像作品とか、コンテンツ産業はどのようなものになっているかを、世代論、情報社会論といった、いろいろな視点から語っていきたいです。

稲田 よろしくお願いします。まずは本の内容を手短にサマリーするかたちで進めていきたいです。まさに僕の本の「ファスト読書」ですね(笑)。最初に、作品を「コンテンツ」と呼ぶことの意味について話したいです。

宇野 本来コンテンツって「中身」のことですからね。

稲田 そうなんですよね。コンテンツって言葉が今のような使われ方をするようになったのは、いつごろでしょうかね。僕は「コンテンツ」ってさかんに言われるようになった時期から、なんだかモヤっとしていたんです。そうした点も含めて本の内容をざっと説明しますと、まず、映像作品を頭から終わりまでずっと1.5倍速や2倍速で見たり、あるいはつまらないシーンや冗長なシーンを10秒スキップで飛ばしながら見たり、あるいは先にネタバレサイト、結末を知ってから見始めるような人が、どちらかといえば、若年層に増えていることを指摘したものです。ここで注意が必要なんですが、これは単に「今の若者はけしからん論」ではないんですよ。じつは、そういうファスト視聴は、今や30代、40代の人も当たり前のようにやっている。それが、どちらかといえば若者に多いという話です。
 最初は「現代ビジネス」で2021年3月に、「映画を早送りで観る人たちの出現が示す恐ろしい未来」という記事を書いたんですね。じつは最初に「現代ビジネス」の編集者に記事の企画案を話したとき、すでに一冊の本になるぐらいのネタがあったんです。それで1本目を書かせてもらったらけっこう反響が大きくて、そのあとも何本か書かせてもらったわけです。本の内容はウェブの記事をまとめただけではなくて、じつはウェブの記事だけだと全体の文章量の3分の1ぐらいです。そこに追加取材で肉付けしたんですね。
 2021年3月の段階で、民間調査会社のデータによれば、20歳から69歳でコンテンツを倍速視聴する経験がある人は約3割でした。そして年齢が下がるほど、その比率は上がっていて、20代男性では54.5%、20代女性では43.6%、20代全体だと半数ぐらいが倍速視聴経験者となります。その後僕は本を書くため、2021年12月に青山学院大学の2年生から4年生を対象に独自調査しました。19歳から22歳ぐらいの学生128人にアンケートをとったら、3人に2人が倍速視聴を「よくする」か「ときどきする」と返答してます。10秒飛ばしをする人はもっと多くて、4人に3人です。なぜ10秒飛ばしの方が多いかというと、単純にNetflixは倍速視聴できるけど、Amazon Primeはできないからです。

宇野 ネット視聴の拡大が影響してそうですね。

稲田 それで、10秒飛ばし派にも言い分があります。人によっては腹が立つ話なんですけれど、まず「金を払ったんだから、どう見ようと勝手」という意見ですね。最初に「現代ビジネス」に記事を書いたときも、早送り視聴の是非について述べると「はい、老害の押し付けきました!」みたいなリプがたくさん来たんですね。次に「作り手のエゴを押し付けないでください」という種類の意見があります。Twitterは怖いなあって思った。あと、「倍速でも内容を100%理解できてるから問題ないです。キリッ」「セリフがないシーンは飛ばしてもかまわないでしょう。ストーリーが進んでないんですから。キリッ」って感じで、自信たっぷりの意見も多かった。この話を聞いているおじさんたちの怒りが手に取るようにわかります。あるいは「時間がない。だから等倍速で見たらとても本数をこなせないんです」という意見もありましたが、そこまでして見なきゃいけないなんて、この人は一体何の仕事をしているんでしょうね。それから、最近話題になった事例で「普段から大学の講義も2倍速で聞いてるから、ドラマや映画が等倍速だとまどろっこしい」という意見も。すごいですよね、ひと昔前の感覚ならSFの世界ですよ。そして「ドラマ部分がうざい。俺が見たいのはアクションなんだ、だからそれ以外は飛ばす」とか、「推しの俳優だけが見たいんだから、それ以外のシーンは不要」という意見もけっこう多いです。
 こうした言い分がある中で、なぜこんなことが起こるのかという理由を3つ、本の冒頭であげたんですね。第1に、先に挙げたように等倍で見ていると時間がないのはなぜかというと、供給作品が多すぎる。定額制動画配信サービス、Amazon Prime、Netflixなどがここ数年ですごく普及したから、とにかく視聴できる作品数が多すぎて、もう飛ばさないと見きれない。第2が”タイムパフォーマンス”です。時間のコストパフォーマンス、つまり”タイパ”を求める人が増えた。短い時間でたくさんのものを味わうのが頭の良いやり方で、そうでないのは情弱だという考え方の人が増えた。そして第3に、セリフですべてを説明する映像作品が増えた。そうなると、間や風景描写で訴えようとする映画やアニメって、もう、見てられないわけですよ。そういう人たちからしてみると。

宇野 最近だと、アニメ映画の『バブル』(2022年5月13日公開)とかそうですよね。

稲田 1つずつ説明すると、第1の供給作品が多すぎる問題は、先ほど話したようにサブスクの影響で、もう無尽蔵に作品が見られてしまう状況がある。あと、若者に多い傾向で、流行っているコンテンツを見ないと話題に合わせられない、LINEとかで話題に参加できない。たとえば『鬼滅の刃』のアニメが流行ったら2クールの26話分を見ないといけない、あるいは『ゴールデンカムイ』なら、3シーズンあるから全36話ぐらいでしょう(対談時時点)。もうとても見るのに時間が足りない。さらに最近の大学生には本当に同情すべきことなんですけれど、貧乏暇なし。仕送り額は1990年代から下がり続けていますし、昔の大学生とか若者に比べて使えるお金が圧倒的に少なくて、バイトしないと学費が払えないような状況もある。時間もない、お金もないとなると、定額制動画配信サービスは一番安くてコスパの良い趣味なんですよね。月に数百円で見放題ですから。そういう背景がある。
 そして、当たり前なんだけれど、かつては映像作品への思い入れが強い人がたくさんの本数を見ていた。ところが、動画配信サービスが普及したことによって、世の中が変わってしまって、そんなに映像作品への思い入れが高くないのにたくさんの作品を見る人が増えてしまったわけです。こういう変化が起きてしまったから、そのギャップから倍速視聴者が生まれる。そんなに映像コンテンツが好きなわけではないのに、毎月映画を何10本も見てるという人が生まれちゃった。
 この前、宇野さんが「プレジデントオンライン」でインタビュー受けてましたよね。そこで、いまコンテンツを消費する快楽の何割かは、みんなが褒めているものを自分も褒めて、「みんなと同じでいること」を確認する共感の快楽が占めているという趣旨のことを語っていたと思います。

宇野 そうですね、僕らと稲田さんが関係の深いところでいえば、ジェンコの真木太郎さんがプロデュースした映画の『この世界の片隅に』がありましたね。あれはすごくいい作品で、僕も大好きなんだけれど、作品をめぐって翼賛的な空気があって、クラウドファンディングから、実際の公開まで悪口を言っちゃいけない雰囲気がちょっとありました。
 僕は原作のこうの史代さんの大ファンでもあって、それだけにいろいろ言いたいこともあるわけですよ。特に、映画で終盤のヒロインの戦争に対する態度とか、戦後に対してのわりと無自覚な礼賛的なトーンとか、そういう側面にはもっと議論があってもいいと思うんだけど、そういった視点の批評を一切言えない空気があったじゃないですか。そういう無言の同調圧力的な感じが、この数年で拡大してきた気がするんですよね。

稲田 そうなんですよね。勝ち馬に乗らないとネットで叩かれたり劣勢になるから、皆がいいって言っているものをいいと言うのがとりあえず無難。みんなが良くないと言っているものを褒めたり、あるいは逆にみんながいいって言っているものを逆張りで悪いと言うと、SNSでは風当たりが強いですよね。その風当たりの強さが一番嫌だと思っているのが、Z世代などと呼ばれる今の若者なんです。だから、無用に叩かれるぐらいだったら、みんながいいと言っているものを同じように消費しないといけなくなる。そこは一つのサヴァイヴ手段ともいえる。
 次に第2の問題、タイムパフォーマンス、つまりタイパを求める人が増えた。要は効率主義なんですけれど、やっぱり2000年代くらいから、職場とか学校ですごく効率とか時短を求めるように広まってきてる。

宇野 僕は”タイパ”って言葉は、この本で初めて知ったんですけれど、ショックでしたね。

稲田 ショックでしたか(笑)。まあ、すごく浸透している単語ではないですけれど、あちこちでそういう言われ方をしています。年配層のロマンチックな言い方として、「人生には回り道も無駄じゃない」といった精神論みたいなものがあるわけですが、それを信じていいのかという部分があるわけですね。もちろん、そういう考え方を一掃しちゃっていいわけではないですよ。でも、2010年代からライフハックという言葉がすごく浸透してきてもいます。僕はそれにも弊害があったと思ってるんですね。たとえば、役所とかでExcelには自動計算の機能があるのに、入力した数値を電卓で計算してるような、ブルシットジョブ的な無駄な仕事がありますね。「タイムパフォーマンス」というのは本来、そういう無駄を一掃していくとか、仕事の効率アップをさす言葉だったんですね。最小の労力で最大のリターンを得るとか、効果があるものを頭良くこなしていくことが優秀なビジネスマンだといった言説が広まった。それは大人の世界の仕事の話なんですけれど、ネット上でそう言われると、若者は影響を受けて、「あー、なるほど、回り道するのはバカのすることなんだ、情弱なんだ」と、あるいは「無駄は悪いことなんだ」と受け止めてしまう。
 2000年代以降のキャリア教育というのは、時短とか効率を求める傾向があって、自分が望む職業に就くためにはこれを勉強した方がいいよという選択と集中の話なんですね。本来、学校にいる時は無駄かどうかなんて関係なく学びたいものを思いっきり学ぶのが理想ですよね。でも、キャリア教育の考え方を突き詰めていっちゃうと、やはり早いうちから、高校生とか大学生になってからも将来を考えて効率的に学ぶ内容を選択することになる。本当は文系の学問で学びたいことがあるにもかかわらず、理系の方が就職率が高いから理系を選ぼうといった話になったりする。だから、こういった効率を求めるキャリア教育の普及が、タイパを求める人が増えた背景にあるんじゃないか。
 そして、Z世代に多く見られるネタバレを知ったうえでの消費も、時間の効率という考え方がある。すごく時間を費やしてある作品を最後まで見たのにつまんなかったら、その時間が無駄だったってことになるわけですよ。そうすると、無駄な時間を過ごしてしまった自分がすごくだめな人間ということになってしまうので、どうしても避けたい。だったら、先に面白いってわかっているもの、あるいは結末がわかっていて安心して乗れる作品を消費したいということになる。若者の間では、ネタバレ消費は普通にある状況ですよね。ここは世代間ギャップが大きいだろうと思います。
 そして第3の「セリフですべてを説明する映像作品が増えた」という点。10秒間沈黙が続く映画なりドラマなりのシーンというのは、そこに演出意図があるんですけれど、もう本当に誇張抜きに、彼らは「セリフがないってことは、スキップしていい」という発想なんですよ(笑)。早送り視聴をしている人に、どれだけ「その沈黙に意味があるんじゃないんですか」と言っても、宇宙人と話しているみたいでね。「いや、そこに情報ないじゃないですか」と返されてしまう。セリフ以外の表現の意義が本当に通じない。
 だから、説明セリフがない少ない作品を発表すると、視聴者から「意味がわかりませんでした」という感想が返ってくるわけですよ。たとえば、相手に対して好きだって気持ちがあるならセリフで「好きだ」と言わないとわからない。本当はドラマとか演出って、そういうことじゃないんですけどね。でも、それで伝わらない人が出てくると「あの人の気持ちがわからなかった」って感想が出てくる。そしてその感想はSNSに乗ってみんなに知られて、制作者にも届く。すると制作者はわかんなかったって言われてしまったから、次の脚本からはセリフで「好きだ」って書くように指示する。簡単にいうとそういうことになっていて、脚本家さんもそういうことを気にするようになってる。
 テレビ番組のテロップ洪水なんかも根っこは同じですよね。もう画面の四隅が全部テロップじゃないですか。情報バラエティ番組って、音声を消してても何が行われているか大体わかりますよね。それに慣れた視聴者には、物事は全部文字やセリフで説明されるものだという感覚が定着する。物心ついたときからそうだったら、そうじゃないものの受け取り方がわからなくなるのは当然なんですよね。そういう視聴者にとっては、もう映画の『ドライブ・マイ・カー』とか、まったく意味不明なんじゃないですかね。

宇野 そうですね。タバコを掲げているシーンで無言ですからね。この場面は意味ないっていうジャッジをされてしまう。すると、もうタバコをつけた瞬間に次のシーンで、北海道ついているみたいな感じになってしまう。

稲田 そうです。むしろ、「ストーリーの意味がわからないから、プロットを説明してくれ」と言われると思うんですよね。実際に、先に最後までのあらすじを読んでから、作品を見る人もいます。そうはいっても、ワークショップ中の長いくだりとか、説明のしようがないじゃないですか。

宇野 そういうタイプの人は、劇中での家福の演劇をどう見るんですかね。

稲田 もう何も受け取れないんじゃないですかね。だから皮肉なことに、あれはアカデミー賞で話題になったから、普段ああいうのを見慣れてない人もいっぱい見に行ったんですよね。それで僕の周りでも「見たけどまったく意味わかんない」という人がいっぱいいました。ある意味では大事故ですね。でも、僕はそこで若者批判がしたいんじゃなくて、年齢の高い層でもそういう観客はいっぱいいたんです。これは別に非難するわけではなくて、普段そういう映画を見てないから、ただ見方がわからないということですね。

宇野 でも、そういう人たちは演技とかをどう考えてるんですか?

稲田 よくわからないです。前年、ネットで僕の記事が広まったとき、菅田将暉さんが「オールナイトニッポン」か何かで倍速視聴を話題にして、当たり前ですけど「やっぱり演者としてはちょっとね」というようなことを言っていたそうです。倍速だと、自分のせっかくの演技が早回しでチャカチャカと動いているわけですから、微妙な間も何もないですよね。だから話の流れ以外の、演技や間はどうとも考えてないんじゃないですか。

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