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世界文学のアーキテクチャ 終章 時間――ニヒリズムを超えて|福嶋亮大(後編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ


6、南北戦争の解釈――マルクスとフォークナー

二〇世紀文学が世界性の根拠を時間性に認めたこと――この現象を考察しようとするとき、一八九七年生まれのアメリカ文学の巨匠ウィリアム・フォークナーの名を欠かせない。思うに、一九世紀アメリカの最大の思想家は、他のいかなる哲学者でも学者でもなく、小説家のメルヴィルである。それはメルヴィルが、資本主義の空間性=世界性を誰よりも多面的に捉えていたからである。同様に、フォークナーは時間性=世界性の迷宮に誰よりも深く踏み込んだ点で、二〇世紀アメリカ最大の思想家と言えるのではないか。
もとより、アメリカ文学の世界性は、明るい未来に向かって前進するというリニアな時間には一元化されない。なぜなら、アメリカは北部と南部という二つの世界をもつからである。南部とは、アメリカという新世界のなかの旧世界、しかも旧世界(ヨーロッパ)よりも古い旧世界である(第十三章参照)。ここには時間的な転倒がある――古い世界が新しい世界の後に現れたのだから。フォークナーの文学は、まさにこの二つの世界の狭間で生起した時間的錯綜体として読み解くことができる。
北部と南部、この二つの世界の相反性は、一八六一年から六五年まで続いた南北戦争によって強固に輪郭づけられた。当時、南北戦争に思想的な意味を与えたのがマルクスである。一八六二年のドイツの新聞論説で、マルクスはリアルタイムで進行中の南北戦争について、その戦線の広大さといい、兵力や軍費の多さといい、「どのような観点から考察するにしても、アメリカの内戦はこれまでの戦史の記録のうちに類似のものをもたないようなひとつの光景を示している」と評した[16]。マルクスはエンゲルスとともに、この前代未聞の内戦の成り行きを注視していた。それは彼にとって、南北戦争が「第二次アメリカ革命」と呼び得るような画期的な解放運動であったためである。
急進的な奴隷解放の立場に立ったマルクスは、世界史的な革命戦争として南北戦争を位置づけた。戦争終結後まもなく刊行された『資本論』の一八六七年の序文では、一八世紀のアメリカ独立戦争がヨーロッパのブルジョワを刺激したのに対して、一九世紀の南北戦争はヨーロッパのプロレタリアートを鼓舞したと評価される。さらに、『資本論』第一巻の「労働日」の章でも、マルクスは南北戦争に言及しながら「黒人の労働が焼き印をおされているところでは、白人の労働も解放されない」と断言した。レイシズムが存在する限り、労働者の真の解放もあり得ない――それが南北戦争によって明確化されたマルクスの認識なのである[17]。
もとより、マルクスにとってアメリカは、たんなる西方の一国家ではなく、ヨーロッパをも巻き込むトランスアトランティックな政治思想的運動の震源地であった。『資本論』という理論的書物のなかで、南北戦争という直近の事件が評価されていることの意義は大きい。『共産党宣言』の段階ではレイシズムや奴隷制に言及していなかったマルクスは、アメリカの内戦を転換点として、人種と階級の交差に重要な意味を認めるようになる。マルクスが断固としてアメリカでの奴隷解放を支持したのは、人種問題と階級問題は切り離せないという洞察のためである。
ただ、マルクスの触れていないもう一つの重要なポイントがある。それは、内戦はしばしば対外戦争以上に熾烈になり、後世に多くの禍根を残すということである。現に、南北戦争終結のおよそ三〇年後に南部のミシシッピ州で生まれたフォークナーは、北部の側に立つマルクスとは根本的に異なった態度を示していた。フォークナーによれば、勝者の成功はロケットの閃光のように一時的なものにすぎない。真の勝者はむしろ敗者なのである。彼は『西部戦線異状なし』で知られるドイツ人作家レマルクを論じた評論で、次のように記していた。

敗北の彼方には、勝者には知り得ない勝利がある。〔…〕人間は、成功にあまり耐えられるものではないようだ。とりわけ一国の国民、民族はそうである。敗北は国民にとって、民族にとって、良いことなのである。[18]

勝利は何の説明も要らないが、敗北は説明と熟考を要する。ゆえに、敗北こそが国家に「ある領域、ある安全な土地」を与えるのだ。真に耐久性をもつ歴史は、敗北を抱きしめ、敗北の意味を考え抜くところに生じる――この発見こそがフォークナーの文学を貫く強固な認識となった。そして、この敗者の抱く特異な思想の深部にアクセスできるのは、彼にとって小説だけである。フォークナーにおいて思想家であることと小説家であることが交わるのは、そのためである。


7、高密度で持続する《黒い時間》

チェーホフの文学ではさまざまな思想が議論されるが、それらは人間的な現実に地盤をもたない。ニヒリズムのような思想も、人間では背負いきれず、会話の「間」に一瞬浮かび上がるだけである。フォークナーの登場人物もまた、世界に遅れてやってきたアンタイムリーな存在、限りなく亡霊に近い何ものかである。ただし、チェーホフ的人間が常に思想を生き損なうのと違って、フォークナー的亡霊はむしろ思想に憑かれている。彼らの奇怪なオブセッションは「敗北の彼方には、勝者には知り得ない勝利がある」という逆説と切り離せない。
フォークナーはこの敗者の歴史を、手に負えないほど複雑で迷宮的な問題に仕上げた。フォークナー的な歴史は死者や敗者を中心に置くが、彼らは生の根拠をもたない非存在であり、そのことがかえって語り=評価を限りなく誘発する。例えば、一九三〇年の実験的小説『死の床に横たわりて』では、息子たちが棺桶に入る寸前の母の身体を運ぶなか、複数のパースペクティヴから問いと解釈が語られる。世界から消失しつつある亡霊的存在を核として、持続的な語りが結晶化したのだ。
この謎めいた力は、ラテンアメリカの作家たちを強く触発した。ガルシア゠マルケスはフォークナーを「カリブ海の作家」と呼び、ラテンアメリカ文学の淵源と見なした。この発言はたんに、南部(ミシシッピ)と南米の地理的な近接性を指すだけではないだろう――植民地主義の圧力にさらされたカリブ海やラテンアメリカ諸国も、勝者と敗者が交錯するコンタクト・ゾーンであったのだから。フォークナーもガルシア゠マルケスも、ヨーロッパのモダニズムの財産を継承して辺境のミクロコスモスのなかで時間を重層化したが、それは勝者の樹立した単線的な歴史からは決して生まれない。「あの敗北や失敗はいったい何を意味していたのか」と執拗に問い続ける能力をもつ敗者だけが、歴史を重層化し得るからである。
このような敗者の物語を一つのピークに導いたのが、南北戦争からおよそ七〇年後の一九三六年に刊行された『アブサロム、アブサロム!』(引用は藤平育子訳[岩波文庫]に拠り、頁数を記す)である。二〇世紀初頭のシーンから始まるこの恐ろしく異様な小説では、南部の敗北という屈辱の記憶がすべての語りに染み込んでいる。
敗戦から一九〇九年までの四三年間、ブラインドをあげることのない暗い部屋で、黒い喪服をまとい続ける老女ローザ・コールドフィールドは、クエンティン・コンプソンに向かって、トマス・サトペンに対する怒りと憎しみの物語を語り伝えようとする。クエンティンはボストンのハーヴァード大学入学のために、南部を離れる支度をしている若者だが「いずれは亡霊となる宿命を免れ得ない」(上・二一頁)と予告されている。「彼〔クエンティン〕の身体そのものが、敗北者たちの名前が朗々と響きわたる、がらんとした広間〔ホール〕であり、彼は一つの存在ではなく、一つの実体でもなく、一つの共和国だった」(上・二六頁)。無数の敗者=亡霊の語りを強烈な響きに変える「ホール」のような若者を聞き手として、ローザは部屋に棲みついた地縛霊のように「古い侮辱」と「古い決意」を反復する。

今はただ、古い侮辱の中で、サトペンの死という最後の完全な辱しめによって踏みにじられて裏切られ、絶対に許すまいと思った古い決意の中で、四十三年も戦陣を張り続けてきた、孤独でねじまげられた年老いた女の肉体の発する叫びに過ぎなかった。(上・三一頁)

小説の中心にいるトマス・サトペンは、黒人たちを連れてどこからともなく街に現れ、巨大な農園を「創設」して南北戦争時には大佐となるが、最後は自らの農園で殺される。彼の「計画」(デザイン)は、白人と黒人の血の混淆を断ち切ることに向けられるが、それは失敗に終わる。歴史を暴力的に創始しながらも、歴史を統治することはできなかったサトペンの人生は、南部が敗北によって自らの正統性を奪われたことと呼応している。
もともとプアホワイトの家に生まれ、ハイチを経由して黒人たちを動員したサトペンの異常な創設行為は、さまざまな評価にさらされている。例えば、ローザは自らにかかった「呪い」の原因となったサトペンを「悪魔」と呼ぶ一方、クエンティンの父親はその暴力的なサトペンが「孤立無援」の状態にあったと回顧する(上・一〇二頁)。そして、若いクエンティンもまた北部の大学で、サトペンとは何であったかという謎を友人相手に語らずにはいられない。語り手たちにはそれぞれのバイアスがかかっており、その主張は歪曲され非中立的である。ただ、どの立場が事実として正しいかは、さほど問題ではないだろう。南北戦争を「両親も安全もすべて奪い去ったホロコーストの戦争」(上・四〇頁)と呼ぶローザが、四三年間ひたすら敗北=絶滅の意味を問い続ける、その途方もない持続性こそが問題なのだ。
ホロコーストに瀕した敗者こそが真に持続的な歴史を生み出す――このフォークナー的な逆説は、南部人のみならず、南部で奴隷とされた黒人によっても導かれている。カリブ海の仏領マルティニーク島の作家エドゥアール・グリッサンはその優れたフォークナー論で「黒人が持続のなかへすべり込むことができるのは〔…〕彼らが歴史を統べることができないからである」と鋭く指摘した。フォークナーの描く黒人たちは、歴史の支配者ではなく、歴史の重荷を耐え忍ぶ存在である。グリッサンが言うように、フォークナーは「持続のなかにいる」ことと「耐え忍ぶ」ことを結合したのだ[19]。
異常に高密度な持続、それがフォークナー的な時間である。この持続する時間は、敗北を耐え忍ぶうちに、際限なく深まり、錯綜し、ねじれてゆく。ロシア宇宙主義やモダニズム、さらにSFが《深い時間》のなかに諸世界を畳み込んだとすれば、一九三〇年代のフォークナーは時間そのものを質的に変容させ、目もくらむような持続性をもつ《黒い時間》を創出した。ガルシア゠マルケスやグリッサンを含めて、ラテンアメリカの作家たちを強く触発したのは、まさにこの黒く持続する時間ではなかったか。

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