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インターネット時代の新帝国主義(後編) | 落合陽一

メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。〈物質〉と〈実質〉の境界が失われ、人間中心主義ではなくなっていく世界の中で、GoogleやFacebookに代表される新帝国主義に対抗する、オープンソース的な「穏やかな世界」の実現を考えます。(構成:長谷川リョー)
インターネット時代の新帝国主義(前編)はこちら。

落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」
第6回 インターネット時代の新帝国主義(後編)

働かずして富を得るか、働かずして貧しくなるか

インターネット以降の世界の覇権争いにおいて、勝利国家となったのはアメリカでした。そして現在、唯一それに対抗しうる国家といえるのが中国です。

中国のインターネットといえば、中国共産党にとって不都合な情報へのアクセスを遮断する国家規模の巨大なファイアウォール「金盾」がよく知られています。当初、この施策は「グローバリズムに乗り遅れている」と揶揄されていましたが、しかし彼らは、このファイアウォールを築いたことにより、インターネットにおける米国の植民地支配から逃れることができました。アメリカで生まれたインターネットですが、中国国内のインフラはすべて中国製品によって代替されています。その巨大な市場によってAlibabaなどの中国企業は、一大勢力を築くに至りました。

翻って日本では、FacebookやTwitterを受け入れたことにより、結果的に国産SNSのmixiを潰してしまいました。日本人は気質的にソーシャルネットワークサービスと親和性の高い民族であるにも関わらず、グローバリズムの波を受けて、その全てがアメリカナイズされてしまったことは、残念といえば残念です。

ソフトウェアはハードウェアとは異なり、人間の内面にまで入り込んで影響を与えます。その「見えない檻」によって僕らは周囲を取り囲まれ、制御されている。その環境のことをユビキタス・コンピューティングと呼んだりもしますが、その「見えない檻」の向こう側、デジタルネイチャーに辿り着いたときに僕達が遭遇するのは、新しい自由なのか、あるいはさらなる争いでしかないのか。

そこで重要なトピックとなるのが「労働」についての議論です。今後は、最低限の労働で収入を得られる社会、いわば「楽園」に暮らす層と、それ以外の貧困層に分かれてくでしょう。前者では帝国的なプラットフォームが世界中からコミッションを徴収する仕組みによって、人々は働かずに豊かな生活を送ることができます。一方、それ以外の世界では、ロボットの普及によって人間の仕事は大幅に減っていますが、そこに暮らす人々は貧しい。

『銃夢』というSF漫画では、「ザレム」と「クズ鉄町」という2つの未来社会が描かれています。「ザレム」はカリフォルニア連合国のような様相を呈しており、クズ鉄町がそれ以外の全てとなっている。この世界ではロボット技術が普及し、人間は働かなくてもいいように統治されていますが、それでも「持たざる者」は仕事をせざるをえない。私たちを待ち受ける未来も、これと似たようなものになるでしょう。

しかし、こうした格差をテクノロジーのせいにするのはお門違いです。人類社会がテクノロジーに支えられていることは厳然たる事実であり、それ以前の生活に戻ることは不可能です。事実「植民地支配だ!」と言って、スマホを手放す人はいないわけで、今後も我々はこの世界で生きていかなくてはなりません。

ロボットによる労働の代替が進むと、お金よりも人間の時間をいかに占有するか、すなわち可処分時間でしか物事の価値を測れなくなるでしょう。たとえば、Facebookに1時間、Twitterに1時間、国産アプリに1時間、テレビに2時間使っている人がいるとします。すると、日本国に滞在している実質的な時間は3時間ということになり、3時間分の上がりを国家が、それ以外の2時間分の上がりを帝国が持っていくということになります。このように、可処分時間の割り当てが重視されるようになると、人々はアビリティ(才能、能力)ベース、もしくはアクションベースの発想になります。個々人のアビリティやアクションを、どのような配分で切り出して仕事にするのか、あるいはオープンソースに貢献するのか、ということを考えていくようになるでしょう。

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