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デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(後編) | 落合陽一

今朝は落合陽一さんの『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』第3回の後編をお届けします。「人」「機械」「物質」「場」のサイバネティクス的な探求は、多種多様な可能性としての選択肢=「オルタナティヴ」を生み出します。最適化されたモデルを指向する工業化社会とは真逆の、コミュニティと資本の力によって常に更新され続ける、新しい循環構造について論じます。
◎構成:長谷川リョー
デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(前編)はこちら

落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」
第3回 デジタルネイチャー以後のサイバネティクス(後編)

プラットフォームという「魔術化」の外部を探究する

前回の記事では、「オルナタティヴ」についての議論を進めてきました。
VRが普及しつつある現在においては、バーチャル(仮想的)/リアル(現実的)よりも、バーチャル(実質的)/マテリアル(物質的)という区分が有効であり、その両極の中間に多種多能な可能性「オルタナティヴ(選択肢)」が生成される。すでに現れつつあるその萌芽も実例としていくつか紹介してきました。

こういったデジタルネイチャー的な世界観においては、理論探究の目標として何を設定するのか、ということが非常に重要になります。
この世界を構成している要素として「人」「機械」「物質」、そして「場」という4つの要素を想定してみましょう。「機械」にはコンピュータに集積されたデータやアルゴリズムの研究も含まれます。「場」はVRイメージをはじめ、光や磁場、音場、電場などが形成するフィールドです。
これらは、それぞれがインターネットに接続されることで、相互的な通信関係にあります。かつてノーバート・ウィーナーは「サイバネティクス」で、制御と通信を基礎とした関係性の理論を打ち立てましたが、現在におけるサイバネティクスは、この4要素間に結ばれる関係性を統一的に把握するための理論として捉え直すことができるでしょう。そして、この4つの要素の機械的分析による探求が多様性や選択性、つまりオルタナティヴを生み出していきます。
ただし、プラットフォーム化が進行した社会においては、こういった探求をエンドユーザーが行うことはありません。なぜならプラットフォームの内部の仕組みはユーザーには不可視であり、結果だけがもたらされる。つまり、テクノロジーの「魔術化」が起こっているからです。
前著『魔法の世紀』では、米国の社会批評家モリス・バーマンの1970年代の著書(『デカルトからベイトソンへ』)にある、「高度化したテクノロジーが世界を再魔術化している」という指摘を紹介しましたが、ここで語られている「魔術化」は、現在においては「プラットフォーム化」と言い換えることができるでしょう。
プラットフォームには、常に新しい機能を内部に取り込もうとする力が働いています。その内圧の外側に、いかに新しいイシュー(問題意識)を置くか。「問題」と「解」を同時に設定することで、プラットフォームの圏域から脱出し、その外部に屹立するトピックを打ち立てる。そのための力の源泉となるのがstate of the art のイノベーションであり、それはアートや文化的な価値を持ちうる。そうやって外部に飛び出したトピックの周辺には、やがて賞味期限が切れて第二のプラットフォームが形成される。
こうした話を『魔法の世紀』では論じていたわけですが、プラットフォームの外部に飛び出し、新たなプラットフォームの母体になる可能性としての選択肢、それこそが、ここでいうオルタナティヴに他ならないわけです。

(参考)
落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第3回 イシュードリブン時代のプラットフォーム論)

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