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第15回 「よりよく生きるために」

【日時】2019年7月16日(火)
【講師】野口竜平さん
【内容】芸術探検社のプレゼン、話し合い

今回の講師は芸術探検家の野口竜平さんでした。彼との出会いは、ちょうど2年前の夏で、それは私にとって芸術や美術に関心も持ち始めるキッカケでもありました。企画の開催に惰性が感じられるようになってきたこと、意義を改めて考え直したいという気持ちに対して、野口さんは「大きなよそもの」として、行動のきっかけを投げてくれました。

(このnoteでは第15回芸術幼稚園の記録を書くこととします。これを踏まえて考え直したことや今後の展開に関しては、仲間と煮詰めて近日中に公開します。)

ここから当日のレポートです。

参加者が10名程度だったので、はじめに全員で軽く自己紹介をしました。ひとりずつ名前と興味関心を話して、野口さんが反応して、良い意味でゆるい空気がつくられました。その良い雰囲気の中で野口さんは、自身の経歴、思う芸術幼稚園のよさ、教育や芸術に対して考えていることを含めたプレゼンをしてくれました。

経歴のプレゼンは、現在の私たちに身近な、高校時代から始まるものでした。高校3年生のときに周囲の人たちが「とりあえずマーチ行っとけば?」といって進路を勧めてきたことに疑問を持って、自分のやりたいことをやろうと決意して、それから自分のワクワクすることだけをやってきたそうです。武蔵野美術大学に進学し、版画や現代美術を学んで、早稲田大学探検部で旅のスキルを磨き、芸術探検というジャンルを生み出したことについても話してくれました。大学生活の中では特に、疑決めつけられている規定や価値観に疑問をぶつけて、たくさん戦ってきたみたいでした。学校を変えたくて芸術幼稚園を始めた身としては、共感できる部分が多かったです。

また、教育の目的は「よりよく生きること」であり、その達成には「多くの選択肢を知ること」が必要であるという話もしてくれました。私たちは、よりよく生きるために、家族や健康を大事にしたり勉強したりしますが、特に中高生の時期に大事なことは、多くの選択肢を知って将来の選択肢を増やすことらしいです。

その中で、発展途上国の話と障害者の話を取り上げていました。ミャンマーで地震があったとき復興支援で現地を訪問したらしいのですが、電気もガスも水道も通っていない山奥に暮らす人々の生活が幸せそうだったということでした。先進国に暮らす私たちは何も知らずに発展途上国のインフラ整備に賛同するけれど、現地の人々にとってのそれは、果たしてよいことなのか。インフラが整い学校が建てられた地域の人々は、結局は先進国の資本主義に取り込まれてしまうというリアルをきいて思い出すことがありました。ベトナムに行ったとき、貧困や差別をものともしない子どもたちと遊んだときに考えたことでした。よりよく生きるとは何なのか。幸福は、ひとつの基準で測れるものではないです。考えるのを忘れてしまっていたので忘れないようにしようと思いました。

障害とは社会に出たときの選択肢の少なさのことである、という話も興味深かったです。足がないことや目が見えないこと、それ自体が障害なのではなくて、その状態を活かせない状況、つまりそれにより選択肢の少なさを引き起こしてしまっている状況が障害と呼ばれる。そこにフォーカスすると、知らないがゆえに選択肢の少なさを引き起こしてしまっている状態も同じように障害と呼べる、ということでした。やっぱり色々な大人の職業のロールモデルと子どもが繋がれる機会を増やすのは大事なんだと思いました。芸術幼稚園はそれを果たせているのか、考えました。

芸術幼稚園の構造と意義について、領域不定の大人たちは面白いということ、そして最近の活動についても話してくれた後に、休憩時間を挟んで、いよいよ「芸術探検社」のプレゼンをしてくれました。

芸術探検家としての活動を通して事業化できそうだと思った5つ(6つ)の事業を説明してくれました。路上劇団、運送業、教育事業、ムービングスケープ、芸術探検。(そして、芸術幼稚園を取り込むこと。)芸術幼稚園は取り込まれて良いのかについて、これから考えることになりました。

野口さんのプレゼンがおわると、参加者のみんなで、芸術幼稚園が存在している意味や活動の意義、今後の展開について話し合いました。

芸術幼稚園に来る理由について、面白いものに触れたいという単純な動機が大部分を占めるものの、来る人たちと普段は話せないようなことも話せる場の空気を求めている部分もある人がいました。また別の参加者は、生徒が起こす企画そのものに興味があって、自分でもやってみたいという思いも持っていました。親でもない教師でもない大人と話す機会が欲しいという意見もありました。

幼稚園の意義と今後についても、時間が足りなくなってしまって不完全燃焼になってしまったのですが、真剣に話しあいました。原点に戻って、私が開催し始めた理由を話して考察しました。学校のためなのか生徒のためなのか、友達のためなのか、自分自身のためなのか、誰のためなのか。テキトウなまま固まりかけていた思考が解されて、混乱しましたが良かったです。

システムに反抗する意識は良くないという話も出ました。こういう企画を学校でやるのは別に構わないけれど、学校に疑問を持つ人たちが集まって結束力を高めて、校則を破ったり反抗してみたりするのは間違っている。学校にいる限り校則は絶対に守るべきだし勉強もすべきで、その上での課外活動じゃないと説得力に欠けるということでした。回数を重ねるにつれて、企画の存続にとって都合の良い価値観が固定化されてきていて、それは良くないと思っていたところだったので、本当に尊重すべき貴重な意見だと思いました。

野口さんのプレゼンを踏まえて、今後、企画の構造そのものや、生徒と学校との関係について、何かしらのコンセプトを規定しようと思いました。特に何も決めずに続けてきた芸術幼稚園でしたが、経験値だけが高くなってしまい様々な不具合が生じるようになっています。少なくとも、今回みんなの話を聞いていて私は、私(主宰)と企画の同一化は良くないことだと思いました。これからどうなるのか分かりませんが、終わるにしろ続くにしろ、全力で葛藤し続けようと思います。

今回、面白いプレゼンをしてくれた野口さんに感謝します。

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