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1993年の燕(つばめ/短編小説その1)

※夏休みスペシャルの短編3分割掲載です。縦書き原稿を複写しているため、漢数字の横書きがあります。舞台は、「丘の上の小さな街で」と同じ飯坂(=飯田市)です。登場人物等はもちろんフィクションです。

 夏に飯坂に帰郷すると、昭彦が通学に使っていた道は分断されていた。両親から聞いて知ってはいたが、中央分離帯のあるバイパスがそこを横切って開通していた。実家から五〇メートルほどは離れているとはいえ、もともとは果樹園や畑、まばらな宅地しかないようなところだったから、車の音はかなり耳につくようになった。
 一人暮らしの千葉の賃貸マンションは、もっと騒々しいところにあるのに、昨晩、古ぼけたルノーを運転して長野の郷里に帰ってきた昭彦は、その音のせいか、あまり良く眠れなかった。新道ができたことで、かえって、実家の前の市道に入るのは面倒になった。河岸段丘を刻む谷筋を橋で渡るために、新道は手前から路盤を高くしてあり、旧来の道路との接点は限られたところにしかなく、中央分離帯のため、右折できるところはさらに限られた。
 階下で電話が鳴った。両親のどちらも、出る気配がない。梨畑にでも出ているのだろう。仕方なく昭彦は寝床を出て、階段を下りた。電話口の向こうは、高校の同期の和男だった。
 以前には毎日飽きるぐらい聞いていた声が、まくし立てた。
「帰ってきてるんなら連絡ぐらいしろよ。今晩、クラスの連中で集まって飲むんだ。来ないとは言わせないぞ」
「どうせ野郎ばかりだろ」
「そりゃ、ちゃんとした同窓会ってわけじゃないからな。俺なんか今日ぐらいしか空いている日がないんだ。駅前通りの『ヒュッテ』に七時だぜ」
 和男は、地元の県立大学に行って、地元の信用金庫に入った。昭彦と同じ三二で、もう二人子供がいる。
「昭彦、去年の約束を忘れてないだろうな」和男が言った。
「女の子とした約束は忘れないが、それ以外は自信がないな」昭彦は答えた。
「アホ。スワローズだよ、スワローズ。去年の夏に言ったじゃないか、もし今世紀中にスワローズがもう一遍優勝することができたら、『ヒュッテ』で皆に好きなだけ飲ませるって」
「俺は、日本シリーズで優勝、って言ったんだ。去年はリーグ優勝だろうが」
「嘘つけ。皆に証人になってもらうからな。銀行、行っておけよ。あ、そういや、お前いまだにうちで口座作ってないじゃないか。薄情なやつだな」
 電話を切ってから昭彦は考えた。そうだ、一九七八年。高校三年のときだ。いまから一五年前。大杉、若松、松岡、マニエル、ヒルトン。彼らのユニホーム姿を、昭彦は思い出した。神宮球場の夏の宵。あの夏、昭彦と和男は、受験勉強にもいい加減嫌気がさした八月の下旬に、それぞれのランドナーで、大町まで日帰りで往復した。二人は自転車仲間でもあった。この町で、マスプロ車とはいえ、ランドナーに乗っているような高校生は、彼ら以外にはまるで見当たらなかった。
 茶の間の網戸の向こうで、亜麻色の土が夏の陽に灼かれていた。昭彦は、冷蔵庫に何か食べるものがあるか見に行った。

 飲み会から歩いて帰る道は、途中まで和男と一緒だった。二人以外に顔を出した五人の同級生のうち、三人が所帯を持っていた。彼らはいずれも、スワローズのファンではなかったが、昭彦は全員の勘定の半分を出してやり、こうつけ加えた、
 今年もう一遍リーグ優勝して、日本シリーズでも勝ったら、来年残り半分を奢ってやる。
 旧盆の時期だというのに、街路はひと気が少なかった。駅前から下る通りを横切ったあたりで、ブロックタイヤを履いたヘビーデューティな自転車が電柱に立てかけられていた。
「最近はこういうのが流行ってるんだ。こっちでも乗るやつが出てきたか」と昭彦は和男に言った。
「それくらい俺だって知ってるぜ、マウンテンバイクって言うんだろ」和男がそう答えた。
 昭彦は、思った。こいつも太ったな、自転車のタイヤみたいに、いつのまにか太くなった、俺だっていくらか腹が出たけれど、独り暮らしだから、こいつほどじゃない。
「和男、自転車どうしたんだ。お前のミヤタ。ルマン・パックツーリスム、だっけ」
「あれか。やっちまったよ、従弟に。もうだいぶ前だ。まだ高校生だったからな。今じゃやつも処分したのかもしれない」
「俺たちは一緒に輪行したことがなかったな」
「ここの電車の本数じゃあ、走って帰って来たほうが早いだろ。国鉄時代のほうがもう少し本数があったくらいだぜ」
 昭彦は頷いた。輪行をやるには、この土地は不便だった。ほかから来てほかに帰る分ならまだいくらかましだが、ここから出かけて、ここに帰ってくるのには、あまり都合が良くない。ここを目的地や経由地にするならいいが、出発点や帰着点にするのには困難があるのだ。だから、この街で自転車の旅をするやつが少ないのかもしれない。
 昭彦が道楽で自転車に乗らなくなったのは、学生時代の小金井のアパートが狭く、とても室内に自転車を置けるような状態ではなかったし、かといって、外に置いておくのもいやだったからだった。そのうちに四輪の免許をとり、安いルノーを探して買ったので、千葉での自転車は、雨ざらしにしておいても気にならない程度のもので足りることになった。どうせ千葉では、駅前より遠くまで乗っていくことはないのだ。
 一軒だけ、遅くまでやっているラーメン屋の前に至ったところで、和男と別れた。昭彦は、学生時分からなじみだった店の暖簾をくぐり、冷やを自分でタンブラーについで、注文した。油ぼったい埃の付いたテレビはスポーツニュースの時間帯で、ドラゴンズが負けたことの次に、スワローズが勝ったことが報じられた。あの、大町から帰ってきた夏の夜も、途中の街の食堂で和男と一緒にナイター中継を見ながらカツ丼か何かを食ったような気がしたが、その中継の記憶は、なぜかいつのまにかモノクロの粒子の荒れた画像に変わり、打球がノイズの出た画面に飲み込まれて消えた。

(その2)につづく>

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