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拝啓 大学入試センター様、 共通テストに科学リテラシーはありますか?

  1月16日、17日に「大学入学共通テスト」が行われました。ご苦労様です。鼻出しマスク問題対応、約50万人の受験生の採点、事務処理など、お忙しい日々をお過ごしのことと思います。しかしながら、大変恐縮ではありますが、英語のリーディング問題を読んで、私は科学リテラシーの観点から大きな疑問を抱きましたので、ここにお伝えいたします。

 甘味料に関して科学的根拠の薄い、不安を煽る言説が主張された文章が“栄養に関する教科書の一節”として示され、出題されているのです。英語科目ではありますが、日本や諸外国の食の安全を守る制度をまったく無視し、一部の主張を正当化した“教科書”の要約を、受験生が正解として選ばなければならない。この事態に、問題はないのでしょうか?

 新型コロナウイルス感染症対策をはじめとして、現代社会は科学への適切な理解なしには成り立ちません。科学リテラシーが必要なのです。共通テストが誤解の温床となりかねないことに私は大きな懸念を抱いています。今後、二度とこのようなことがないように、原因と対応策をご検討いただければ大変嬉しいです。

甘味料批判を繰り広げた“教科書の一節”

 以下、出題された英語の“教科書の一節”がいかに非科学的であるか、槍玉に挙げられた甘味料が、日本の食の安全を守る制度の中でどのように審査され、添加物として指定され安全を守りながら用いられているのかを説明します。
 問6のB。100点満点中の12点がこの文章に充てられています。

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 この文章では最初、砂糖が取り上げられ、砂糖の摂りすぎが肥満や健康問題につながり得るとして、多くの人が低カロリー甘味料を選んでいることを述べています。

 白砂糖の代替物として、自然のものであるブラウンシュガー、はちみつ、メープルシロップが挙げられカロリーが高い傾向がある、と述べられ、代わりにローカロリー甘味料(LCSs)が、人気になってきた、としています。ほとんどが人工的な化合物であるが、との注釈付きです。

 もっとも一般的なLCSsとして挙げられたのはアスパルテーム、アセスルファムK、ステビア、スクラロース。すべてが人工的ではなく、ステビアは植物の葉から作られている、と説明しています。

 そして、甘味料は加熱できないものもあり、ごく少量で砂糖の数百〜2万倍もの甘さを持つため、使いにくいという話が展開します。

 その後に、甘味料を選ぶときには健康問題を熟考するのが重要だという話題が提起されます。重要なところなので、英語の文章と私なりの訳を示しておきましょう。

発がん性、記憶や脳の発達への影響など記述

some research links consuming artificial LCSs with various other health concerns. (LCSsの摂取とさまざまな健康への懸念を結びつける調査研究がある)※

※ otherを使っているのは前段で、砂糖による体重増の問題を挙げているため、それ以外の、という意味合いでotherとなっている

Some LCSs contain strong chemicals suspected of causing cancer, while others have been shown to affect memory and brain development, so they can be dangerous, especially for young children, pregnant women, and the elderly.
(がんの原因となると疑われる強い化学物質を含むLCSsがある。記憶や脳の発達に影響することが示されたものもある。それらはとりわけ、子どもや妊娠中の女性、高齢者に危険な可能性がある)

There are a few relatively natural alternative sweeteners, like xylitol and sorbitol, which are low in calories.
(比較的自然な甘味料もいくつかある。たとえばキシリトールやソルビトールで、これらはカロリーが低い)

Unfortunately, these move through the body extremely slowly, so consuming large amounts can cause stomach trouble.
(不幸なことに、これらは体の中をゆっくり動いて行く。そのため、大量に摂取すると、胃のトラブルを招く可能性がある)

 その後に、「たくさんの種類のグミやキャンディーに人工的なLCSsが含まれており、人工的な甘味料をホットドリンクには入れない、という人たちも、それらを買っているかもしれない。個々人が念入りに検討し選ぶ必要がある」という趣旨の文章で結ばれています。

世界中の公的機関が「適切に使えば安全」としているのに……

 いやはや。たしかに、たとえばアスパルテームについては発がん性や妊娠、発達などへの悪影響が問題になったことはあります。イタリアのRamazzini Instituteなどが2000年代に発表しました。世界中で用いられている甘味料だったので、これが本当であれば重大問題です。そのため、研究者や各国の機関がこぞって調べました。

 その結果、Ramazzini Instituteの研究の不備が批判され、EUの食の安全を守る要の組織、欧州食品安全機関(EFSA)やアメリカの食品医薬品庁、カナダやオーストラリアなど同様の公的組織すべてが改めて、「適切に使えば問題ない」という結論に至りました。
 日本では、厚生省が1983年、安全性を評価したうえで添加物として指定し使用を認めています。2019年度の調査では、日本人の推定1日摂取量は0.055mg。ADI(一日摂取許容量)から計算した成人の許容摂取量の0.0023%しか摂取していません。


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欧州食品安全機関(EFSA)のアスパルテームを説明するウェブページ。30年以上にわたってさまざまな研究が行われ安全だとみなされる化合物であることが説明されている

 出題文で取り上げられている別のLCSs、スクラロースについてもRamazzini Instituteから発がん性が提起されました。しかし、Pubmedで検索すると、ほかの研究者はほぼ否定している、という状態です。
 EFSAなど公的機関も、検討のうえで否定し、世界で使われています。日本では、厚生省が専門家の安全性審査を経て1999年、添加物として指定し使用を認めています。2019年度の調査では、推定1日摂取量は0.752mg。ADIから計算した1日の許容摂取量の0.086%です。

 ただし、ドイツ連邦リスク評価研究所(BfR)は2019年、スクラロースを高温で加熱した場合には有害物質が発生する可能性があるとする意見書を公表しました。が、結論を出すにはデータが不足しているとして、当面は食品を加熱した後にスクラロースを添加するように助言しています。EFSAも現在、再評価中。添加物の検証はこのように科学的に進められているのです。

 出題文ではほかに、人工的な甘味料としてアセスルファムKとアドバンテームが挙げられています。両方共に、EFSAやFDA、日本では内閣府食品安全委員会などが安全性評価を行っており、いずれも発がん性や神経系への毒性等は認められず、世界中で使用されています。日本での摂取量は、アスパルテームやスクラロースと同様にごくわずかです。

出題文は、チェリーピッキングを行っている

 科学研究、学術論文は、その質がさまざまです。「懸念につながる研究がある」(Some research links……)、「がんの原因となると疑われる強い物質を含む甘味料がある」(Some LCSs contain strong chemicals suspected ……)という状態では、それは妥当な主張、定説とはなりません。質の高い複数の研究で同じ結果が支持されて初めて、信頼できる説となり得ます。さらに研究が進めば、その結論がひっくりかえる可能性があることも忘れてはなりません。それが科学です。

 もし、出題文が甘味料について、各国で審査を経て用いられていることをきちんと説明したうえで、甘味料の悪影響を示す研究があることを伝え、他の研究者や各国の公的機関がそれを否定していることも示したなら……。「個々人が念入りに検討し選ぶ必要がある」という結論は、科学的に妥当です。ところが残念なことに、出題文は著しく科学の考え方から逸れ、「Some……」でストーリーを作っているのです。

 レベルの低い研究が突出して注目されるとどれほど社会を混乱させるか? 新型コロナウイルス感染症において「イソジン」や「K値」等が騒がれ、消えていったことを思い出していただければ、多くの人はおわかりでしょう。

 科学を理解し上手に利用する「科学リテラシー」が強く求められる時代です。なのに、数多くの研究結果から筆者にとって都合のよい一部の質の低い研究を選び「甘味料は危険だ」と主張する「チェリーピッキング」(cherry picking)がなされたのです。そんなニュースは、テレビや雑誌、ウェブメディア等に氾濫していますが、そのレベルの情報が、リテラシーを育ててゆく大学教育のための入学テスト、50万人が受験する試験で “教科書の一節”として用いられた。相当に深刻な事態ではないでしょうか?

“人工的 vs 自然”の論法は、消費者団体すら批判

 この文章にはほかにも科学的な間違いがいろいろあります。たとえば、“白砂糖の代替物”として、自然のものであるブラウンシュガー、はちみつ、メープルシロップと示されていますが、これらはどれもぶどう糖、果糖、ショ糖を含み、一般的に「砂糖」と言われるものとなんら変わりありません。
 “栄養の教科書の一節”となっていますが、栄養学、毒性学等を知らない筆者が書いたのは疑いようがありません。

 さらにもう1点付け加えれば、論説文では人工的(artificial)とnatural(自然)が対比して使われており、最後には人工的な甘味料が問題視されています。
 しかし、化学物質は人工的か自然かではその性質は区別できません。自然の猛毒はフグ毒、腸管出血性大腸菌が作り出す毒性物質等、枚挙にいとまがありません。

 食品表示制度においては、消費者団体からも「人工」「合成」などの言葉は消費者の誤認を招くなどの意見が出て昨年、ルールが改正されました。食品添加物の表示から「人工」「合成」の言葉が削除され、「人工甘味料」はただの「甘味料」、「合成着色料」は「着色料」と表示されることになりました(現状の人工、合成の言葉が入った表示は、経過措置期間として2022年3月31日までは許される)。

 消費者団体すらも誤認を招くとして問題視した論法を、この出題文が堂々と用いているのも気になります。

英語科目だから、科学リテラシー無視でよいのか

 出題者はなにを意図していたのか? 大勢の国立大学教授がチェックしたはずなのに、だれもこの偏向に気付かなかったのか? 化学の試験でも生物の試験でもなく英語だから、科学リテラシーなど、どうでもよいのでしょうか?

 科学は私たちの社会の今や根幹をなすものになっています。人々に科学リテラシーを育てるのは急務です。だからこそ、50万人の受験生にどんな場合であっても、たとえ英語科目の出題であっても、誤った科学の論法を伝えて欲しくありません。共通テストを、50万人を介した科学への誤解を広げるブースター、増幅器にしないでください。                             敬具

<参考文献>
欧州食品安全機関(EFSA)・アスパルテーム

EFSA completes full risk assessment on aspartame and concludes it is safe at current levels of exposure

オーストラリア・ニュージーランド食品基準庁(FSANZ)・アスパルテーム

Toews, I et al. Association between intake of non-sugar sweeteners and health outcomes: systematic review and meta-analyses of randomised and non-randomised controlled trials and observational studies. BMJ 364, k4718 (2019).

Soffritti, M. et al. The carcinogenic effects of aspartame: The urgent need for regulatory re-evaluation. American Journal of Industrial Medicine 57, 383–397 (2014).

Aguilar, F. et al. Statement on the validity of the conclusions of a mouse carcinogenicity study on sucralose (E 955) performed by the Ramazzini Institute. EFSA Journal 15, e04784 (2017).

ドイツ連邦リスク評価研究所(BfR)・Harmful compounds might be formed when foods containing the sweetener Sucralose are heated

Acesulfame K (E 950): extension of use in FSMP in young children. European Food Safety Authority

内閣府食品安全委員会・アセスルファムK評価書

食品安全委員会・アドバンテーム評価書

アメリカ食品医薬品庁(FDA)・Additional Information about High-Intensity Sweeteners Permitted for Use in Food in the United States

厚労省・令和元年度マーケットバスケット方式による甘味料の摂取量調査の結果について