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社会変化のタイミングで成長するか取り組みを始めるか、について。

コロナ禍が、まあまあ社会変化のタイミングになってきていて、その影響範囲は、たとえば2年後とか5年後とかに「コロナってこんな影響あったよね」と後日談のように語ることになるでしょう。まだ未来は不確実。

で、最近、何人かの人と「東日本大震災で何が変わっただろうか?」みたいなことを話す機会があって、それと絡めたトピックスを考えてみました。

東日本大震災は2011年に東北3県を中心として大きな影響があったもので、あとは原発事故も併発したことで、電力や科学や政治やライフスタイルについて、色んな人にいろんな影響があったでしょう。バタフライ効果的な考え方をすると、後に与える影響は色々とインパクトあったと思いますが、直接的に社会をどれだけ変えたかと言われると、よくわからないところがあって、被害の大きかった岩手県出身で、復興支援活動にも長期的に取り組んだ自分自身で振り返っても、なかなか総括できないものです。「震災(東北ではこれを東日本大震災を指します)で世の中は変わらなかったよね」という人も多いし、私もまあそうだよなーと思ったりもします。

一方のコロナについては、影響範囲が全世界、経済に与える規模も東日本大震災とは比較にならないものなので、後の世に与える影響もまた変わってくるでしょう。物理的・視覚的なグロテスクさみたいなものはなく、災害の性質も違う。なのでピンとこないところもあります。個人的には、そもそもコロナ関係なく、世の中的に、第4次産業革命・DX(デジタルトランスフォーメーション)の入り口のところでこのコロナショックなので、そういうテクノロジーの進展スピードを速める影響は大いにあると思ったりします。10年かけて到達する世界観が、3年で到達するかもしれない。20年かけて到達するはずの世界観が、8年で到達するかもしれない…みたいな感じ。
でも、影響範囲が世界規模だとはいえ、先日オンライン番組を見ていたら「多大な死者数を出したスペイン風邪では社会構造はそれほど変わらなかったので、コロナが社会に与える影響はそうでもないだろう」と言っている歴史家もいるので、なるほどな、と。

そんなこんなでマクロ的な影響については色んな捉え方がある気もします。

で、また話を2011年に発災した東日本大震災に戻すと、私が共催しているライブ配信トーク企画の「盛岡オープンラボ」での知人のコメントがそうだよなって思うところがあって、
「震災は、変われた人と変われなった人がいただけだと思っています。」
と。
ホント、私もそう思う。
…いやそんなこと言ったらなんだってそうじゃんって言われそうだけれど、ホント、これかな、と。

私自身が東日本大震災の復興支援活動に取り組んだのがおもに7年前~9年前ぐらいのことで、どちらかというと支援する側の立場のため、あまり「私はこんなことをしてました!」みたいに言うのが好きじゃないのですが、当時は色々とやっていました。(ホントそういうことを最近は自分から語らないので、え!そんなことしてたんですか!とかと驚かれることがたまにあります)

たとえば、岩手県大槌町の使われなくなった小学校を利用して、ボランティアや岩手の沿岸を滞在する人が宿泊できる拠点整備に関わって、それが閉じるまでの約半年間、自分自身も住み込みで居ました。
そこに訪れた人の中には、たとえば、今では若手の有名プロデューサーとなっている高木新平さんが、ちょうど広告代理店を辞めたあたりで滞在していました。
で、そのときに、ゲストハウスのホストとゲストよろしく、これからの社会について語り合ったことを記憶しています(当たり前ながら本人は私のことは忘れていると思いますがw)。

その後、高木新平さんは(といっても一回しかお会いしていないので知人でも何でもない…ネットで見てる情報だけですが)、色んなサービスやキャンペーンを立ち上げて、社会的に活躍していきました。
※1:私が関わった宿泊拠点にはただの1日泊まっただけですので、それが影響してるなんてことは1ミクロンもありません(笑)※
※2:でも当時の宿泊拠点の斬新さは「自分たちはすっごい意義あることしてる!」っていう自己重要感を高めていたような場だった。いま振り返ると余計な回想でスミマセン(笑)※

何が言いたいかというと、高木新平さんは、たぶん、それまでの自己の成長をバネにして、社会変革のタイミングで、新しい取り組みを構想し、リリースしていったんだろうな、と。高木さんにとっての東日本大震災は、そういう影響力があったんじゃないかなって思います。

そのタイミングで「新しいことをリリース/もしくは既存のやっていたことを発展」させた人は数多くいると思っていて、震災前から(当時はそんな言われ方をしていなかった)ソーシャルビジネスをやっていた方々、たとえば学習支援のカタリバさん等は、東日本大震災後に、一気に社会に飛び立っていった感はあります。それ以外でも、…なんていうか、1995年の阪神淡路大震災や2004年の中越地震、もしくは2008年のリーマンショック等、そういう社会の節目節目で色んな経験や失敗や成長をしていた人たちが、2011年の東日本大震災の時に、活躍(という表現が適切かはわかりませんが…)し、新しいステージをつくっていったと思います。

2013年には「東北食べる通信」が立ち上がり、私も立ち上げ時期にちょっとだけ関わったのですが(関わってたと言ったら売名行為になるんじゃないかと思っちゃうぐらい…大したことはしてないです…笑)、この中心メンバーだった方々も、それまでの人生の成長ステージをバネにして、新しいサービスを立ち上げた。そういう方々を間近で見てお話していて、とても勉強になりました。そして「食べる通信」の根本思想は、その後に立ち上がる新サービスにも継承され「ポケットマルシェ」はコロナ禍における生活変容に適合するようなサービスになっていったりしている(ポケマルについては私はまったくのノータッチなのでその内奥にあることはよくわかってないけれど、たぶん試行錯誤の中で今があるんでしょう)。

一方で、その当時、まだ未成熟な…とても沢山の人たちが、東日本大震災後に「新しいこと」を始めようとして、でも、たぶん結果的に、未成熟だったために、パッとしない感じで終わってしまうものも多かったような気がします。その徒労感だとか疲弊感だとかも、数多く見てきました。
「出番じゃなかった」みたいな感じ。焦る気持ちはわかるけれど、そのタイミングまでに十分な成長できていなかったからね。。。と。

こんな感じで、個人にとっての「成長」と「取り組みのスタート」には関係性があるような気がしています。東日本大震災を、今振り返って相対化すると。

もひとつ思い返すと、東日本大震災の社会変化を「成長」のフェーズにしていた人たちも数多くいて、これをきっかけにして、今までの自分をガラッと切り替えて、どんどん新しい成長をしていった、と。
そういう人達が、たぶん2010年代後半…日本社会としては平常時に、また新しいことにチャレンジし、悪戦苦闘してきたんだろうな、と。
(自分自身もこの部類だと思ったりします)

この東日本大震災後の2011年の成長ステージは、ホントに多くのことを学ばせてもらって、色んな人とのご縁もでき、その社会状況だったからこその経験をしてきました。「成長ステージ」と位置付けていたからこそ、謙虚に活動していくなかで、社会を見る目をガラッと変えることもできた。

「精神的な(価値観の)親殺し」みたいなことも多々あって、それまで自分が「良い」と思った価値観を否定したり、刷新する中で、新しい価値観を獲得していけたように思います。自律的な人間にも近づけたんじゃないかな。
これは「成長を志したい人」にとって大事な点で、外圧がないと、自己の価値観って拡張できない。
たとえば私自身も、東日本大震災の前日…2011年3月10日時点まで「これがカッコいいな」「これが正しいな」と思っていたことが、2012年とか2014年とかにガラッと「いや違うわな」と気づいたら自分でも変わっていたりしました。そういう面白さに出会えるのは「今までを振り払うほどの成長ステージに立てるかどうか」。
大げさに言えば、2020年の2月まで描いていた構想だとかしがらみなんて、すべてゴミ箱に捨て去って、新たな成長ステージに向かうことができる。それが社会変化のタイミング。

そんな2011年からの2010年代を成長ステージの役割だった人たちは、たぶん、次の社会変化のタイミングで「新しいことをつくる役割」になるんだろうな、と薄っすら思います。
まじか…もしや自分の番かよ…とかと思いながらも、いま私の場合は37歳だし、もういい歳だから、誰かにお任せしたいお子様気分じゃいられないですよね。。。笑

もちろん、「成長」と「新しい取り組みをすること」、どちらも同時進行で、交互に連続的なものでもあるから、スッパリ分けられるものでもないだろうけれど、気持ち的に「この社会変化のタイミングは、成長する時期なんだろうな」「この変化のタイミングで、新しいことをつくるんだな」という心づもりは、けっこう大事だと思います。

人によっては、この2020年コロナ禍は「まだ出番じゃない」ってこともあるかもしれない。大丈夫、焦らなくても。人には、いろんなタイミングで、出番や役割があるのだから。(もしかしたら私もまだ出番は先かもしれないし)。
10歳でオリンピックに出ることも可能かもしれないけれど、まだ身体が仕上がってない、みたいな。4年後か8年後…もしくは12年後にね、と。

社会にそれなりにインパクトを与えることって、10年内には、何かしら起きていて、もちろんジャンルによりますが、それだけタイミングというのはありふれているでしょう。

私が物心ついてからは…1989年のバブル崩壊、1995年の阪神淡路大震災とサリン事件、2001年のNYテロ、2004年の中越地震、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災…みたいな感じで。その影響スケールは地域やジャンルで全然違いますが、色々なタイミングがある。

さて、今回のコロナ禍で、あなたは、ご自身の成長を変える人になりますか、それとも新たな活動を打ち出す人になりますか?

答え合わせは数年後に。

***

(追記)
こう書きながら、まあ私もwithコロナ~アフターコロナは自分の成長期にしたい欲求が強いのだけれど、何が言いたいかというと、「成長する」というフェーズは、気持ち的な余裕がないとけっこう難しく、「型をきめて一所懸命に取り組む」をしてしまうとそれだけ吸収力が減るんですよね。人間的な魅力の成長の幅も狭くなっちゃうかもだし。。。
そのトレードオフが悩ましいところで、「自分自身と周囲の東日本大震災後のアクティブさ」をめぐって感じるところでした。
落ち着いてこのnoteを読み返すと、ここをうまく書きたかった。うーむ。

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