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すべてを可能にする数学脳のつくり方   ⑧Kindle unlimited

この本はあの認知科学者、苫米地英夫氏の著書です。長髪に個性的なファッション、高級車、ギタリストでビジネスマン、コンピュータサイエンティスト、心理学者、宗教にも造詣が深いと言われる、超多才な人です。

そうしたすごい経歴以上にインパクト大なのは名前の読みにくさ。苗字の「とまべち」の読み方が難しいので、私はいつまでたっても名前が覚えられません。

さて、本題の忘備録です。この本は2つの部分で構成されています。前半は専門的な知識がなくても読める本書(タイトルの本)、後半は一定の専門的な理解がないとわからない著者の論文?です。理系読者へのオマケなんでしょうか?私はチンプンカンプンなので、論文部分は読まず、本文のみを読みました。

この本はいろいろと新鮮な話があってオモシロイのですが、やっぱりよくわからないところも所々あります。数学世界を知らないので実感としてピンとこないのはまぁ仕方ないかな、って思います。理系の人には感覚的にわかりやすいかもしれません。

論理的思考は数学的思考の一部

私がびっくりしたのは、数学という概念です。数学的思考=論理的思考ではないということ。

論理的思考も合理的思考も数学的思考の一部なんだって。帰納法でも演繹法でもなく、私たちが普段自然に行っている近似解(近い答えを探す)や曖昧な状態の中であいまいな判断や思考を自由気ままにする発想こそが数学的思考らしいのです。

なんだかよくわかりませんよね。数学のイメージと相反する。

たとえば、人間の3歳ぐらいのこどもが簡単に犬の写真をみて犬だろうと認識できたり、もちろん間違えたりもします。ところが、コンピュータには「~にちかい、~だろう」の推論によって判断することは高度なことらしいのです。彼らは情報が足りなくて判断できない場合もあれば、時には不必要な情報が多すぎてひたすら情報を処理しつづけて答えが出せず、固まってしまうそうです。

人工知能の研究(数学の世界)ではこの人間の曖昧さの理解が不可欠で、それを解明するために数学的思考がないとできず、現在も大きな課題なようです。

2045年はディストピアの始まり?

2045年問題については苫米地氏は「ディープランニングと言っても、守らなければならないルールをコンピューターに規定すれば忠実に守るので、怖れることはない。もし、シンギュラリティでディストピアになるのなら、人間の悪意のせい」と言い切っています。つまり、人間が悪意を持って悪のルールをコンピュタに規定すれば、それもまた忠実に実行するだけなので、コンピュータのせいではなく、人間のせいでディストピアは起こりうる、ともとれます。科学の進歩って常にこうした危険性と隣り合わせですよね。

気になったワード

本書を一度読んだだけでは、十分には理解できなかったけど気になったワードを書き留めておきたいと思います。このブログを読んでいる方の中にピンと来る方もいらっしゃるかもしれません。

述語論理/高階の述語論理 コンピューターサイエンティストが人工知能のプログラムを書くとき使う言葉・・・・人間の思考ですら計算できる(プログラム化できる)

人間の思考は情報空間にあって現実の世界、自然界にはない  数学は情報空間のもの。情報処理(コンピュータ)の論理は自然界、物質空間にある。コンピュータが見ている景色は論理世界的、事実の積み重ね。

プログラム化するときに大事なのはプリンシプル(原理原則)    物事を考えるときもプリンシプルから、解を探す。数学的思考を使ってプリンシプルとエレガントな解を探す。

本質的な数学思考    自分の好きな分野に広がる宇宙で目に見えないプリンシプルを理解すること。自分のその宇宙の中で大切なものは何かを考えて、プリンシプル(原理原則)を維持にした上で公理を見つけ出すこと。

世の中の出来事、感情などをあらゆることを情報空間の中で自由に図形化、立体化して理解できる思考。

忘備録をまとめながらの感想

読んでいるときは具体的な例もいろいろあってオモシロいのですが、最終数学的思考の本髄はなんだろう?この本のタイトルの意味はなんだろう、と考えるとようやく最後の最後で私なりに下記のように明確?になってきました。

思考するとき、目の前にあることだけでなく(情報空間で思考)、そのことの本質、理想、目指していること、プリンシプル(原理原則)を考えることが大切。そこから、それを実現するために(解を見つけるために)、(情報空間で)自由に組み立てたり、描いたり、論理的思考も活かしながら(限定的合理性を使い)、ルール(公理)や方法を見つける考え方が数学的思考(数学脳)だということ。

これは単に数学の世界に限らず、数学的思考(数学脳)は生活、夢、ビジネス、人生、幸福にも応用でき、物事を本質から考える癖をつけると実際に起こっていることの不条理に気づく、騙されにくくなる、最適な道筋、法則(公理)が見つかることで、最適な判断(エレガンスな解)に近づける思考の仕方だと言っている、と私は理解しています。

最近、私が読んできた本の中でも自分で思考することが大切と説いているものが多いです。私たちの多くが自分で考えることをしていない、ってことへの警鐘なんでしょうね。考えることに慣れてないと考えるって結構大変だし、ある情報をあたかも自分の考えのように真似している方が楽ですからね。これは私のことです。

自分で思考するためのアプローチ方法は最近読んだ本だけでも、数学的思考、アート思考、コーチングがあります。こうした方法を部分的に取り入れてみるだけでも自分で考えるということに慣れてくるかもしれませんね。私も気負わずに思い出したら取り入れてみたいと思います。




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