最近の記事

「自分が何者か」の欠損と自己疎外

小難しいタイトルにしてしまった。 もっぱら最近のカウンセリングのテーマなので、私のアウトプットのために書きます。 最近どんな悩みをカウンセラーに打ち明けても、この「自分が何者であるか(アイデンティティ)の欠損」「自己疎外」というワードに行き着く。くそぉ、またか。と思う。 私がずっと頭を悩ませてきた自分のあり方について書いてみる。 数年前と今の自分は「人が変わりましたか」というほどに自分も、その周辺も大きく変わった。というか、意図的に変えようとした。 これまでって、

    • 摂食障害の発信と支援。無力という力。

      摂食障害について発信して6年目になる。 ずいぶんと長い月日が経って、たくさんの人たちと色んな景色を見てきた。「これで生きていこう」と思った日もあれば、「もうやめよう」と思ったことだって何度もある。あれだけ生きる根気を全て摂食障害に注いでいた私が、今の「私のライフスタイルや生きづらさを言葉にすることで誰かのヒントになれるといいね」「そうやって集まった人が訪れられる空間を作りたいな」のようなスタイルになった経緯もそれなりにあるわけで、そういったことを今日は書いてみようと思う。

      • 摂食障害再発を「たまたまです^_^」とは言えないので

        毎度いつぶりだという更新になってしまう。 摂食障害が再発して1年経った。治った治ってないの境界線なんてどこにあるのかわからないけど、いつだってわたしのすぐ隣は崖だと思いながら生きている。 こないだ、久しぶりに講演会で摂食障害の話をした。自慢のように聞こえるかもしれないけど、人前で摂食障害について話すことは慣れている。(こいつ誰だという方は過去の自己紹介とか見てください)でも今回は少し話が違った。 「摂食障害が寛解した人」として人前に立ってきた。やれ治るきっかけや回復者か

        • #私の心と子供を考える日(7/21. Fri)

          #私の心と子供を考える日 前回延期とさせていただいたオンラインイベントを再度企画しました。🎉 日時:7月21日(金)20:00〜22:00 形式:オンラインでの対談・交流会 背景を少し。 妊娠出産育児は、女性にとって大きなライフイベントのひとつ。その選択は人生を大きく動かすものとなるので、誰しもが不安を抱くと思います。 その中でも、何かしらの心の病を抱きながら、妊娠出産育児の問題について考えるのはとてもハードなこと。情報が少ない上に不確定な情報で不安は大きくなり、自

        「自分が何者か」の欠損と自己疎外

          平穏が怖い私の結婚生活

          結婚って生活だ。生活って地味なものだ。その地味なものの中にぬくもりが存在するものだ。そういう場所を人は居場所や家族と呼ぶらしい。 毎日自分の病気に振り回されては嘆く日々だけど、一歩引いて見ると私たち夫婦の関係性は良好で平穏なものだと思う。 一緒に同じごはんを食べて、その日あった出来事を話して、飼っている猫と戯れて、一緒のベッドで眠る。そんなどこにでもある夫婦生活のどこにでもありそうな幸せについて、私が抱く感情を書いてみる。 単刀直入に言うと、私は平穏な日々を「幸せ」と感

          平穏が怖い私の結婚生活

          「お母さん、私子供やりなおすね。」

          (※3年前の記事をリライトし、後書きを追記しています。) 「お母さん、私子供やりなおすね。」 25歳秋、そう母に告げた。 "子供" がいつ頃を指すのかも、何を指すのかも知らないけど、とにかく私は自分の記憶の中に存在しない "子供らしい子供" を追体験することを母に宣言した。 それが自分への癒しのプレゼントであり、母と子の自立であり、私自身がこれからの人生を歩いていくために避けて通れない道だと思ったのだ。 私が "子供" だった頃、「私は子供らしいか?」なんて気にした

          「お母さん、私子供やりなおすね。」

          摂食障害を他人に話すのしんどすぎ案件

          先日、古い友人と摂食障害の話題になった。 彼は摂食障害を知らない。といっても、私の活動を知っている人間なので、「摂食障害を全く知らない」というよりかは、「友人が何やら活動に徹している病だ」くらいの認識ではあると思う。 普段、当事者とお話しすることが日常で、私に相談や取材を申し出てくれる方は最低限の摂食障害の知識を持って対話が始まる。摂食障害を知らない人にこの病を語る機会と言えば、一方的にこちらからプレゼン形式に話す講演くらいだ。そういう日々を過ごしているものだから、私の感

          摂食障害を他人に話すのしんどすぎ案件

          鬱、旦那が好きじゃなくなった

          病気になる前は、もっと笑えてた。もっと楽しかった。もっと外も明るくて、休日が楽しみだった。 もっと人を愛せてた。 「今仕事終わった。帰り1時間くらい遅くなる!」、仕事を終わらせて夜ご飯を作っているとスマホの通知が鳴った。私はいつも旦那が帰ってくる時間に合わせてご飯を作る。”計画どおりにいかない”、自分が想定していたリズムが狂うだけで胸がざわざわするのがわかった。 「お疲れ様、気をつけてね」、感情のこもらない労りの言葉。そんな小さなことで苛立つ自分が嫌になった。 「今日

          鬱、旦那が好きじゃなくなった

          幸せそうなあいつは「自己中」で「鈍感」だった

          摂食障害がよくなる方法は意外にもシンプルだったりする。 「自己中」で「鈍感」になること。 自分が好きなことをして、 自分が好きな人に会って、 自分の好きな場所に住んで、 自分の好きなものを食べる。 そう、自分の意思を取り戻すことだ。 今まで知らず知らずで我慢していつしか殺してしまったものを、もう一度自分の中に芽生えさせることなのだ。 「世間体」「親目線」「友達目線」「自分」今まで、色んな角度を気にして、意思決定をしてきたかもしれない。 「合わせるよ」「それにしよう

          幸せそうなあいつは「自己中」で「鈍感」だった

          たかが苗字、されど苗字。(結婚)

          年明けに苗字が変わった。 竹口というのは前の旦那の苗字で、私には旧姓と新姓が別にある。離婚後、「婚氏続称」という手続きをとって、竹口のままでいることにした。実家の表札には3つの苗字が並んでいて、郵便屋さんをよく混乱させてしまっている。 竹口の姓を残した理由はいくつかあった。簡単にまとめると、「その時生きた自分をなかったことにしたくないから」なんだと思う。 竹口になってこの活動を始め、大切な人に大切にされる喜びを知って、親との関係を再構築して、大切な友人も増えて、いろんな

          たかが苗字、されど苗字。(結婚)

          「普通に」食べられない日々(摂食障害再発)

          「だめだ、これ以上増えたくない」 2022年11月ごろのことだった。2020年に発症した双極性障害の影響で13kg体重が落ちてから、徐々に体調を回復させて、それと共に体重も少しずつ戻っていった頃。職に就き完全在宅で作業をする生活を送っていたせいか、放っておいても1か月に1kgペースで体重が増えるようになった。あれよあれよと時がすぎて、いわゆる”理想体重”を超えようとしたとき、久しぶりに自分の体重を強く意識したのだった。 「やだ、増えたくない」、そう思ったのは実はこの時が初

          「普通に」食べられない日々(摂食障害再発)

          発信する手が止まる1年間、それでも人生は続くので書くことにした

          こんばんは。竹口和香と言います。半年ぶりに鬱抜けしました。さて、私のこと覚えていますか?発信をほとんどしなくなってから、気づけば1年弱ほど時間が経っていました。 この文章は、何者でもない28歳の女がこの1年何をしてたかを記録して明日を生きてみようとするものです。離婚、精神疾患、摂食障害、再婚の話題を含みます。 簡単にこの1年くらいのことをお話しすると、前の旦那と離婚をして、仕事を探して、持病の双極性障害とADHDと共存しながらひょんなことで摂食障害が再発しかけて、先日結婚

          発信する手が止まる1年間、それでも人生は続くので書くことにした

          とある閉鎖病棟からの手紙

          わ〜い。このアカウントでnote書くの久しぶりだ!うれしい。残しておきたい印象的なことがあったので書きます〜 とある日。スマホに非通知で電話がかかってきて、普段は出ないのに何故かその日は電話に出てみた。話してみると、電話の相手はピアサポートでよくやり取りをしていた摂食障害の子だった。閉鎖病棟に入院したらしく、スマホが手元にないそう。 「伝えたいことがあって手紙を書きたいから、住所を教えてほしい」 数日後に手紙が届いた。11枚の便箋が入った封筒はとても重かった。そこには入

          とある閉鎖病棟からの手紙

          離婚して、人生置いていかれた

          離婚して振り出しに戻った、そう思った。 23歳で婚約して24歳のときに結婚した。周りと比べると随分と早かった。この先何十年もこの人と添い遂げるのだという実感はなかったけど、ひとりの人生じゃないことに安心した。同時に女のライフステージを着実に進んでいることへの安堵もあった。これからの人生を何となく描ける状態にいる自分にも満足していた。漠然とではあるけど、確かに、私は幸せのスタートを掴んだのだった。 離婚と同時に私はその全てを失った。結婚そのものである生活も、結婚というもので

          離婚して、人生置いていかれた

          孤独に結論なんていらない

          私は孤独だった。 私たち夫婦はとある問題を抱えながら関係を続けていた。それも年単位で。 その問題の解決法は明快ではなくて、分かりやすい解決法は残酷なもので、思わず目を背けたくなってしまう。それでも目を背けたくない問題だった。その問題すら、紛れもなく私たちを説明する要素のひとつだから。 例えば、自分が問題を抱えたときに他人に求めることは何だろう。 「聞いてよ」 「助けてよ」 「こんなことがあってね」 すぐに解決しない問題ほど誰かと共有したくなる。それは、解決法を探して

          孤独に結論なんていらない

          一年前の大量服薬を振り返って。

          去年のまだ半袖を着ていた頃、大量の薬を口に入れた。つまりODだ。これは単なる記録ではなく、実体験をもとにした私からの強いメッセージ。 コロナウィルスがいよいよやばいという情勢の中、仕事の疲れがたまり、芸能人の訃報が続き、長い梅雨が明けた頃だったと思う。体調を壊すには充分すぎる条件が揃っていて、私は在宅ワークをいいことに鬱々とソファーと一体化しながらキーボードを叩いていた。 そんなある日、とある人が亡くなった。自殺だった。テレビのニュース以外で自殺のことを聞かされるのは初め

          一年前の大量服薬を振り返って。