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元不登校児から見た今の「不登校」

最近、不登校の子どもを動画などでコンテンツ化し、扇動する大人が増えています。

元不登校児の私としては、はっきり言って「ありえない」事態で、三日ぐらいかけて感情的な文章を書いていましたが、全部消して、いったん冷静に不登校というものを考えてみようと思います。

まずは、その中のどのくらいの大人が、コンテンツ化された不登校児の10年後、20年後を考えているのか、考えました。
数は実証できないのですが、不登校の子どもの将来を考えたうえで煽っているのなら、想像力の欠如としか言いようがありません。

不登校の子どもを扇り、持ち上げている大人たち。

20年前、「不登校」は、私にとっては選ばざるを得ない手段でした。
学校に行かない期間は、子どもながら恐怖につきまとわれました。

私はこのまま学校に行かないとどうなるんだろう。
自分に問いかけるのと同じことを毎日のように両親や祖父に言われ、学校へ行けと叩かれて、私は不安と恐怖にとりつかれていました。

学校に行って学校生活と戦う恐怖と行かない恐怖と、どちらが大きいか比べ、しかたなく選んだのが「不登校」でした。

当時は若すぎて脳内で言語化できていませんでしたが、私が不安に感じていたことはいくつかの項目に分けられます。

1.このままだと中卒になり職業選択の幅が狭まるのではないか

2.多感な10代前半に集団生活から離れて、大人になってから社会の荒波に耐えられるのか

3.中1から中2までの勉強をみんなと同じようにはしていないため、将来痛い目を見るのでは

担任は月に一度ほど自宅を訪れ、ひとつの条件を出しました。

「中高一貫校とはいえ、このままだと出席日数の関係で高校へは進学させられない。
だけど、中3で3分の2、学校へ出て、テストの点も良ければ、特例で高校の特進コースは無理だけど、普通コースには上げてあげることができる」

私はわらにすがる思いで、不安から逃れようと、中2が終わったのと同時に不登校生活に終止符をうちました。

その後の中高で過ごした数年間は、思い出したくもないほどいやな日々でした。
大人になって、ラインの同窓会グループへ招待されたとき、私はすぐに抜けて高校時代の友人をブロックしました。

それでも間違いなく言えるのは、あのとき、学校へ行って良かったということです。

学校へ行ったおかげで、私はさっきあげたみっつのうち、1、2の不安からは逃れられました。

当時、同じ学校の同学年に不登校の生徒が私の他にふたりいました。

ふたりはとうとう学校へ行けないまま中学校生活を終え、高校にも進学できず、その後のことは何も知りません。

「登校拒否」という古い日本語がようやく淘汰されて、「不登校」と言い直され始めた時代です。

周囲からの「どうして学校へ行かないの?」という圧力も今より強かったし、それがよけいに私や彼女たちを追いつめていた面もあったかと思います。

なんとか学校へ通えるようになり、1、2から逃れた私でしたが、3は現実のものとなりました。
中3で進学のため勉強に取りかかり、成績も他の生徒と比べて悪くないぐらいのレベルには追いついた私ですが、中1、中2の基礎的な知識はいまも抜けたままです。

高校には進学できたものの、どうしても行きたい大学ができた私は、その基礎力のところで苦労しました。

学校の勉強はなんとかなるんです。その学期内に勉強したことがテストに出るため、特進コースではなかった私は毎回平均点より上、という点数をキープできました。

しかし大学受験はそうはいきません。結局、AO入試で志望校に合格した私は、大学の一般入試を経験していませんが、一般入試であれば間違いなく落ちていたと思います。

集団生活にも苦労しました。

私は同年代の女の子たちが何を楽しみとして中学校生活を送ってきたのか知らず、一匹狼になろうにもその術すらわかっていませんでした。

結局、グループからグループへと渡り歩き高校を卒業しましたが、「二度と会いたくない友だち」はできても、「一生仲良くしたい」と思えた友だちはできませんでした。

その後の大学生活でようやく「一生仲良くしたい」と思える友だちができ、集団生活にはなじめないながらも乗り切るコツのようなものを体得しました。

全部、あのとき、不登校をやめて学校へ行ったからこそ、できたことです。

結論を言うと、命を絶ちたい、ものが食べられない、寝られないほど学校がいやなら、学校へ行かなくてもいいと思います。

ただ学校へ行かないことのリスクを、生きてきた年数が大人より短い小中学生が言語化して認識することは非常にむずかしいです。

カウンセリングやフリースクールなどのセーフティネットを徹底的に活用し、転校も視野に入れて、最終的には学校へ行けるように支援するべきだと思っています。

「不登校のままでよかった」は、その子が大人になって、本人の口から当時を振り返り言うセリフです。

「不登校のままでいいよ。大丈夫だから」と、大人が言うのがどうかと思います。

何が大丈夫なのでしょうか。

仮に学歴が重視されず、ホームスクーリングが主体となる世の中が訪れたとしても、学校が教えることは勉強・集団生活含めて、その後の人生で必要なことが非常に多いです。

つらいこと、理不尽に感じること、「どうして?」という疑問…

学校で感じるそういったマイナス感情は、その子供が大人になって社会に出たとき、もっと大きな形で迫ってくることもあるでしょう。

そうしたときの対処法や世の中を変えていく方法を学ぶヒントが、学校生活には必ずあるはずです。

不登校児を取り囲む大人たちには、扇動するのではなく、そんなことも頭においておいたうえで、どんな手助けができるか、考えてほしいと思います。


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フリーライター・書評家の若林理央がエッセイを書きます。全部無料。書評はブログから→https://www.wakariowriter.work/ 執筆実績→https://www.wakariowriter.work/entry/portfolio
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