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「女の涙」は脱糞に似ている

やにわにコザルが悲鳴を上げる。キャーッという甲高い発声で、攻撃を受けた際に出す音声。恐怖の情動を表出するものといわれている。その声を、誰に攻撃されたわけでもないのに突然、出し始めるのだ。しかも、コザルの視線の方向には、例のオトナオスがいる。もちろん、周囲にいる他のサルたちは一斉に、こちらを注目する。注目するばかりではない。コザルのもとへ駆け寄ってくる個体が必ずいる。日頃から仲のいい個体、つまり同じ家系に属する成体だ。そしてコザルの視線の先にいるオトナオスを攻撃しに向かうのである。攻撃されるオトナオスからすれば災難以外の何ものでもない。逃げるにしかず、といったところだろう。こういったことが何度も繰り返される・・・・・・すると本来、一対一で対峙すれば圧倒的に有利に闘えるはずの相手であるにもかかわらず、オトナオスは順位的にコザルに対し劣位者として振舞うようになるのである。
コザルの行動の目的がどこにあるかは、もうおわかりだろう。悲鳴をあげたからといって、恐怖など毛頭感じているとは考えられない。悲鳴という恐怖の情動表出の手段をいわば道具的(manipulational)に利用している。その発声の社会的効果をコザルは熟知している。親和的関係にある仲間が駆け寄ってきてくれる。そしてオトナオスを蹴散らしてくれる。蹴散らしてくれれば、自分がオトナオスより優位に立てる。それを見込んで悲鳴を上げているのだろう。

(引用:「いじめとひきこもりの人類史」P64-66)

先日の記事でも取り上げたように「被害者」仕草というのはひとつの社会的攻撃だ。大した被害が生じているわけでもないのに大袈裟に「被害」を喧伝し、取り巻きを召喚して敵対者をリンチにかける。キャンセルカルチャー、#MeToo、オープンレターなどの形で繰り広げられる、2022年現在最もホットな社会的攻撃手法だ。

「被害者」仕草には様々な利点がある。攻撃者の責任を最小化できるし、敵対者が反撃してきた場合はその反撃すら封じることができる。最近は「二次加害」という便利な概念も発明された。事の真偽や是非すら明らかになっていない段階でも敵対者の口を一方的に封じられるようになってきている。

「被害者」仕草には様々バリエーションがあるが、中でも最強のひとつが「女の涙」だろう。「怒りに震えて涙が止まらない」というフレーズが特定の思想集団の中で大流行しているのはけして偶然ではない。号泣する赤子を前にすると気持ちがザワつくように、女の涙には人を動かす力がある。だからこそ彼女たちは社会的攻撃手段として「女の涙」を多用する。

こういう話をすると、「泣くのは生理現象だ!」という反論が寄せられてくる。悲しみや怒りと遭遇したとき女性は涙をこらえることができない、涙は生理的なもので涙を「意図的」に用いることなどできないのだ…と。

しかしそれは真っ赤な嘘だ。号泣は生理的反応ではない。生理的というよりはむしろ文化的な側面を持ち、多くの女性がそれを意識的・道具的に用いている。

「女の涙」はどんなメカニズムで流れるのか。本稿は「女の涙」の実相について綴っていこう。


つらいから泣くのか。甘えてるから泣くのか。

「女の涙」はどんな時に流れるのだろう。過酷な状況に晒されたとき反射的に流れてしまうものなのだろうか。それともある程度は意図的に制御できるものなのだろうか。

この疑問について、心理学者たちが検証を試みたことがある。成人が「号泣crying」しやすいのはどのような環境においてなのか、37ヵ国の異なる文化圏を比較した上で検証したのだ。

研究者たちは3つの仮説を立てた。

A:経済状況や気候条件など「過酷な状況」に晒されてる国は成人がよく泣くようになる(苦痛モデル)

B:自由でゆるい社会ほど成人はよく泣くようになる(規範モデル)

C:神経症的傾向が強い国では成人がよく泣くようになる(人格モデル)

もし涙が純粋に「生理的」な反応であるなら、苦痛の大きな国や、神経症的傾向が強い国では号泣する成人の数が増えるはずだ。

しかし、結果は驚くべきものだった。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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