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【ESSAY】クリスマスに気が付いたこと

今年もいよいよ年末、クリスマスがやってきた。

私はシーズンごとのイベントをそこまで重視するタイプではないが、クリスマスとなるとなんだか毎年気にしてしまう。

別に私はクリスチャンではないし、クリスマスが特別好きというわけではないが、年末のワクワク感や物寂しさと共に、世間の盛り上がりを見ていると、クリスマスという存在を気にせずにはいられなくなる。



小さい頃は、ただただケーキとプレゼントが楽しみな日だった。

今でこそ、斜に構えて物事に対して冷めた見方をしていると言われがちな私だが、まだ純粋な心を持っていた当時の私は、人並みにサンタさんを信じていた。
きっと親が上手くやってくれていたのだろう。

子どものころは当然のように家族と過ごしていたクリスマスだが、高校・大学と年を重ねるにつれて、家族でクリスマスらしいことをすることもあまりなくなった。
その頃から、クリスマスを恋人と過ごしてみたい、という淡い希望も抱き始めるのである。


だがしかし、高校・大学時代のクリスマスは、残念ながら良縁には恵まれず、アルバイトばかりしていた。
見栄を張って、何の予定もないのに休み希望を出した結果、本当に暇を持て余して、バイト入れときゃよかった…と後悔した年もあった気がする。

唯一の楽しかったのは、大学時代にやっていたカメラマンのアルバイトで、クリスマス公演的なものを撮影した記憶があるくらいだ。

わざわざ友達と集まってクリスマス的な何かをするようなタイプでもなかったため、クリスマスの特別な思い出は何一つないまま学生時代を終えた。


さて、社会人になって今年で4年目だが、社会人になって以降のクリスマスは割と鮮明に覚えている。
(当時の)彼女と過ごした年もあれば、一人寂しくアマプラででホームアローンを見てダラダラ過ごした年もあった。
今年はというと、初めて浜松へ遊びに行って、とても楽しい1日を過ごすことができた。


そんな直近4年間のクリスマスを思い返すと、その年にあった出来事や、その1年がどんな年だったかも併せて思い出すことができる。


そう考えるとクリスマスは、その1年をどう過ごしたかを象徴する1日であるのではないかと気が付いた。
恋人の有無を問わずとも、来年も良いクリスマスを過ごせるように、良い1年を送りたいなと感じた今年のクリスマスであった。



また、これも昨日のクリスマスイブの帰り際に気が付いたのだが「良いお年を」という言葉は、なんだか温かみのある言葉だな、と感じた。

「明けましておめでとう」は、喪中の人がいる可能性を考えると、誰彼構わず言うのは躊躇ってしまうし、そうでないとしても、少しかしこまった感じがして「形式的な挨拶」に感じてしまう。

それに対して「良いお年を」はなんだか、「また来年!」と言い合っている気分になれて、前向きな感じがして好きだ。
別に年明けに会う予定がなくても、言わずもがな会えるよね、って感じがする。


実際、「良いお年を」と言い合った相手とは、次の年も必ず会っている気がする。
その場限りの関係の人には「良いお年を」なんて言わないし、年の瀬の忙しい時期に会うくらいの関係性でないとそもそも言う機会がないので、必然的と言えばそうなのだが、なんとなく「良いお年を」という言葉には、人と人とを繋げる力があるのかなと感じた。


今年恵まれた様々な人との良い縁に感謝しつつ、来年も良い年になりますようにと願いを込めて。
皆様、良いお年を。

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