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「感情の醸成装置」を作る人たち

なぜか急にいまSpotifyの古いポッドキャスト(2018年あたり)を聞き出していて、話題に出ていたのは、「その場に自分がいることで共感・高揚する人」や「その場の盛り上がりを横目に見つつ時代の今を見つめる人」についての議論が行われていた。

その会話の中では、この2つの視点が双方分かれて議論が進んでいたが、ライブや競技場などの「場」が、何かしら自分の居場所となり、生きる糧になっているわけだ。

先般、話題になっているテラハなども、ハマっている友人宅にお邪魔したときに「ぜひ見るべき」ということで、番組数回分を見る羽目になったのも「この場のよさを共感して!」という想いがそのような行動にさせたのだと思し、もっと前では、水どうのDVDを延々と見ようと熱くなっていた北海道民もいたわけで苦笑

思うに、会場や番組も同じように、感情を共有する場として機能していて、その仕掛けを作る側は、その感情をコントロールすることで、共感・熱狂を醸成するように仕組んでいる。ほんと意図的に。スポーツの場合は、筋書きのないドラマ装置として、お笑いは「喜と楽」に特化して、プロレスとかなどは予定調和の娯楽として。

自身も仕掛ける側でもあるわけだが、さじ加減一つで、それこそ「白すら黒」にできるわけだが、最近そこの舞台装置の構造をぼかす動きが加速している。それこそテレビでいうと報道という名のエンタメにしてしまったり、バラエティなのにドキュメンタリーにしてしまったり。

あまり、おじさん的には言いたくないのだが、この線引の曖昧さは、正直もうルール作りをして是正する時期に来ているような気がする。いま時代の流れは、その「詐欺まがいの編集」によって騙された人を罰するかという話が出てきている。当然、言葉による攻撃は反対の意見だが、人の感情を「詐欺的に騙した人」に目を向けないのはどういうことか。

大きい組織には目をつぶり、弱い個人にばかり目を向ける流れに対して、声の大きい人達は、見て見ぬ振りをするのだろうか。もしくは、自身もその詐欺まがいの組織に属しているから何も言えないのだろうか。そのあたり、誰か意見が正直ほしいところです。

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