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地方の観光地、どうするんだろうか

常軌を逸した暑さの中いかがお過ごしですか?

自分が生きている中で「たまに訪れたい街」というものがあります。

例えば飛騨高山。

二十年前に訪れたときは、夕方には店が閉まり、どこで食べるか悩ましく苦労しましたが、気がつけばどこかのアニメで聖地とされ、欧州でも隠れた観光地としてスポットとなり、数年前に訪れたときにはとても昼に歩くところじゃない密度になっており、やむなく早朝ウォーキングで、ホットプリンを食べたりしていました。

京都もそうですが、この10年の海外旅行客における訪問は、地元の人にとってはありがたい収入源だったのでしょうが、もともとこじんまりとした空間に大挙して押し寄せる状況が、まさに非日常であったために、今の誰も訪れない状況のほうが、普通の日常に戻ったとも言えなくはないです。

このあたり難しいのは、この地方の観光頼りというのは、新しいものが生み出す、売り出すことができないために「過去の資産を利活用する」という手段に打って出た結果で、オリンピックも含めチャンス到来と思っていた人は多かったのかもしれない。

けど、いま結果的に大きな空振りになった。

なんか難しいのは、「大量に作って、大量に売るという時代じゃない」という声があると同時に、「今よりも豊かに、収入を得たい」という気持ちも膨れ上がっている事自体が、なんというか辻褄が合わないというか。

そこで観光だ!という発想自体は、ある意味合理的だったのかもしれない。けど、もうその技は使えなくなった。さてどうするか?という代替案は、誰も思いついていないようだ。だからせめてGOTOとなるのだろう。

自分としては申し訳ないけど、人口密度の低くなった町並みなので、いろいろ訪れたいのだけど、訪れれれば訪れるほど「飛散しにきたのか」と言われるのだろうか。

まあ、夜の街はこの10年まともに行っておらず、早朝ばかりの散歩だけど、それでもきっと敬遠されてしまいそうですけどね。皆様、じっとずっとステイホームしていますか?

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