ファーストマンに優しくない世界で生きる
昨日は半年ぶりの料理教室(見る専)。食事も離れて、食べる以外はマスクして。
参加メンバーは開発メーカー系(出社3-4日/週)、イベント系(仕事0、違う仕事でなんとか)、自分(出社2-3日/週)という感じ。
店は8月は平均昼1組、夜1組。年末に向けて倒産ラッシュかなとのこと。やっぱり生の声は参考になるけど、根深い話だよな。
片方では在宅環境の強化に向けていろいろ準備しつつ、片方ではこのように沈みゆく船を見ているというか。
昨日もイベント関連の人と話をしててそうだよなと思っていたのは「イベントを簡単にオンラインで置き換えるのはいいけど、対面で細かい話や相手の反応から探っていく販促としての機能は簡単に代替出来るとは思えないんだけど」と。
全くその通りだと思うし、綺麗な代替にはなりえないとも思う。と同時に彼女は「けど変な話、会社での最初の感染者(ファーストマン)にはなりたくないのよね」とも言っていた。
これは別の友達も言っていた話。ファーストマンになりたくない声はいろんなところで聞こえる。つまり、社内で感染者が出たときの第一号は避けたい。何故なら言われもない話やら、風評までセットで流れることが容易に想像できるからだ。
この話はけっこう根深いと思っていて、日本でよく指摘される海外に比べたLGBTQの浸透度の違いとかにも絡んできそうだけども、「横並びでない人は悪い人だ、穢れだ。」という圧力は大きいよなと。
横並びの根幹は今の教育にも及んでいるし、昔 の村八分はネットやSNSに形を変えて息づいている。要は他人を気にして同じことができない人は排除するという理屈。
ややこしいのは、工場のライン工を生み出すには非常に適していたこのシステムは、今やお金を生み出しづらくなっている。新しい金の成る木を見つけるには横並びだと打数が減ってしまうからだ。
今となってはメジャーになったサービスの多くも出た当初は「こんなものは流行らないよ」などと小馬鹿にされるなんてよくある話である。
つまり本来はあらゆる可能性について「最初のトライ」を迎合し、見守ることが必要となるタイミングと言える。
いまはその逆を目下邁進中ですけどね。為政者もメディアも大樹が大好きなわけで、この辺りの問題を個人でどうこうする気はないけど20年先を見た場合、少しはない頭をフル回転させないと怖いよなと日々考えています。
お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。