タイトルを思いつかない時間
「AIが人間にかなわないこととは?」
最近、こういった問いかけを見かけることが増えたように思う。
繊細な感情をもつことだとか、クリエイティブな発想だとか、いろいろ挙げられているだろう。
でも私が最近感じたのは、もっと些細で、普段意識していないことだった。そこから、人間のもつ「豊かさ」について何か見えた気がする。
この素晴らしき無駄な時間
本棚に本があふれている。片づけなくては。
そう思い、積み上げられた本を手に取る。ページをめくる。読むふける。
はっとして「また読んじゃったな」と思い、苦笑いする。
思い出の品があふれている。片づけなくては。
そう思い、古いアルバムを手に取る。ページをめくる。懐かしく眺める。
はっとして「また見ちゃったな」と思い、苦笑いする。
この経験、多くの人がうなずいてくれるのではないだろうか。
目的とはちがうことをついついやってしまって、そんな自分に「あーあ」と言いたくなる瞬間。
でもこれって、いやもしかしたらこれこそが、「豊かさ」なんじゃないだろうか。
素晴らしき無駄な時間。誰にもメリットのない、そもそもメリットなんて言葉の似合わない、「何も目指していない」時間。
ふと思って、その日はなんだか穏やかな気分で眠りについた。
だれかの喜びを想像すること
お世話になっているとある人から、嬉しいプレゼントをいただいた。
目の前に置かれた瞬間は、何なのかわからなかった。
でもその一瞬で理解する。これはアロマだ。
その人は手作りアロマをつくっていると前に聞いたことがある。なにかの文脈でそういう話をしていて、「手作りしているよ」と聞いたのだ。
「えー!いいですねえ」と物欲しげに私が反応したのも記憶している。
「よかったら今度あげるね」とも言ってくれていた気がする。
でも「気がする」程度で、きちんとお願いをしたわけでも、相手から「いついつのときに渡すね!」と言われたわけでもなかったはずなのだ。
そしてそのアロマスプレーをいただいて、すごく嬉しい。
私が大好きだと言ったフランキンセンスの香り。ラベンダーと調合されているそうで、わざとらしくはないふわっとした香り。
息苦しいことがあっても、この香りと、それを贈ってくれた人の気持ちをそっと手に取れば、絶対大丈夫だと思った。
ひとしきり喜んだりお礼を言った後、ふと思う。
こんなふうに喜びを贈れる人になりたいなあ。
思うだけじゃなく、言えばよかった。その人に。
アロマをくれたことが嬉しいのではなくて、あんなさりげない会話を覚えていて、私の喜ぶ顔を想像してくれたことが嬉しいのだと。
大きいものより、小ささや、さりげなさに注目できる人が私は好きだ。
呼吸をしているかのように、自分にも人にも喜びを見つけられる人。
きっとそこに「豊かさ」があると思う。
最近感じた「豊かさ」は、形あるものではなかったし、考え方というものでもなかった。なんと表現してよいのかまだわからないけれど、それらはしばしば見落とされることだった。
でも、豊かさについて考える時間は、豊かなのかもしれない。答えのない問いに身をおいて、ぼうっと考えたり喜んだりする時間。どんなものとも区切られない、境目のない時間。
何もしていないと感じるときほど、何かをしているのだろうな。
このnoteのタイトルは思いつかないけれど、今晩は境目を設けずに、静かな眠りにつく。
読んでくださってありがとうございます!