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読書感想『赫夜』澤田瞳子

誰も覚えていないことはなかったことになる。
だからすべてを見て、記録を残したいのだ

延暦十九年。駿河国司の家人・鷹取は、軍馬を養う官牧で己の境遇を嘆く日々を送っていた。
仕える主人に連れられ、都から遠く離れて駿河に連れてこられた鷹取は、そこで信じられない光景に遭遇する。
富士ノ御山から黒煙が噴き上がるのを目の当たりにし、大量に降り積もる焼灰に飲み込まれてしまったのだ。
周辺の郷は灰に埋もれ、生き残った人々はとりあえず近くの牧に避難するがそこにも灰は降り積もっていく…。
今まで生きてきた郷が飲み込まれ、それでも土地を離れられず必死の復興を試みるもなかなかうまくいかない。
その最中に火事場泥棒まで起こり、人々は疲弊していく…。
平安を舞台に富士山延暦噴火による大災害に遭った人々の苦悩と奮闘の日々を描く歴史長編。


富士噴火によって生活が激変した人々と、それとはお構いなしに進む政が描かれる歴史ものである。
個人的には、もっと噴火パニック色が強いのかな?と思って読みだしたので、思いのほか歴史色のが強くて読みにくい側面もあったのだが、内容としては非常に興味深く面白く…
現代よりもはるかに情報が共有されていない平安の地では、その災害に遭遇している当事者とそうではない人々との間にとんでもない温度差が生じている。
郷を追われた人々を受け入れた近隣の牧だが、そこも決して順風ではなく、むしろ同じように苦しいからこそ救いの手をさしのべており、被害のない国司に助けを求めても逆に税の取り立てをされるなどの理不尽が描かれている。
人の手で必死に灰を掻き分け、何とか普通の暮らしを取り戻そうと足掻くも、無情にも富士は再び噴火をしたのである。
生まれ育った地が灰で埋まり、親しい人を失くし、恐怖と絶望に飲み込まれながらも、それでも生き残った人々は生きなければならないのである。
絶望に心を砕かれ、不安でたまらなくとも、人々は懸命に今できることを繰り返し必死に日々をやり過ごしていく。
その混乱の最中に、鷹取は自然災害がどんな身分の者にも関係なく降りかかることを悟るのである。
人の営みなどちっぽけなもので、大きな災害の前にあっけなく崩れ去るものではありながら、同時に人間社会においてはいかにそれが重要なのかがとかれる。
どんなに絶望的な状況でも必死に生きることしかできないのだと改めて感じさせる一冊だ。
なかなかに力強い一冊でした。

こんな本もオススメ


・荒木あかね 『此の世の果ての殺人』

・東野 圭吾『パラドックス13 』

・彩瀬まる『やがて海へと届く』

自然災害を前にした時の人間ってホントちっぽけなんだけど、おんなじくらい実は力強くてへこたれないことを教えてくれる本ですね…。みんな結構しぶといんだよ 

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