ゴシップ
年が明けてから、芸能人の不倫の話などでTwitterでは様々な意見を取り交わす方々がいる。
正直、他の人の家の事なのになんでそこまで熱くなるのか、自分は未だに解せぬまま。
仕事が終わって疲れた頭でぼんやり眺める分にはこういうゴシップも一服の清涼剤替わりになるんでしょうが、全く関係のない第3者が実に手厳しい論評を加える。
私刑とはよくぞ言ったもので、見るに堪えない意見も本当に多い。
しかしなんでこんなに人の事にはびっくりするほどに干渉して我が意見こそが正しい!と言わんばかりのまとまりのつかない"学級会"が繰り広げられるのか。
様々な見方はあるんだろうが、個人的には暇という以上にストレス発散の目的が多いのだろうという見解。
例えば家からなかなか容易に外に出られない主婦の方は、どこかで憂さ晴らししたいのかも。
後は元々どちらかというと他人の目を気にして生きる方が多い国民気質というのもあり、今迄はご近所さんだった視界がTwitterなどのソーシャルメディアを通じて一気に広がったのだろうな、と。
ご近所さんが、一気に増えた、とでも言えばいいのか。
そして覗き見できる対象が増えた。
そして良くも悪くも自分の意見が目立つ機会が増える事が、過激、辛辣な意見を述べようとする
本来、俗物に対する興味関心というのは人に備わっているものと考えているので、ゴシップに浮かれる人がいたって全く不思議ではない。
しかしここ最近の当事者の不実を詰る語り口はやはり読んでいておかしいな、と思うより他仕方がなく、「何も赤の他人がそこまで言わなくてもいいじゃないか」と思うことがしばしば。
情報が可視化されるに連れ、「知っている」事の平準化が進んだからこそ平均の敷居が低くなった上にSNSを介して「人」「情報」に用意にアクセスできるようになったからというのは大いにあるな、と思いながら最近は仕事の合間や電車の中でぼんやりしながら斜め読み程度にSNSを眺めている。
とりとめなくなったけど、人のこと気にしている時間があったら、自分の事でもっと大事なことをしたらいいと思う。
人は人、自分は自分でいいじゃないか。
他人のことに夢中になるなら自分のことや家族のことにもっと夢中になるべきだとおっさんは考えているいうことで。
※適当な書きなぐりですみません。
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