【短編戯曲】うとう(4人ver)
うとう
登場人物
女1
女2
女3
男
1
男 だらりだらりと重い坂道を、娘を乗せた自転車を押してのぼっていく。額の汗が垂れて、目が開けられなくなる。電動自転車を買おうか
女1 と夫がいいだしたのは、坂道を自転車を押してのぼるのに嫌気がさしたからだろう。どう返事をしたものか考えていると、娘が急に「落ちた落ちた」とはしゃぎだした。振り返ると一羽の名もしれぬ鳥が地面でまだかろうじて息をしていた。このひどい暑さに衰弱していたのだろうか。
男 妻は、他に買わなければならないものを列挙する。エアコンの調子が悪い、少なくとも来年には動かなくなりそうだ。スマホも充電が怪しい、近く買い替えないといけないだろう。家電キッチン用具にインテリア。税金・保険・家賃に光熱費。
女2 私の名前の意味はなに?
女1 娘の急な「なに?」に振り向いた瞬間、さきほどの鳥が目に飛び込んでくる。いまその瞬間、鳥は生物としての役目を終えたことを、その目がそれを教えた。私は母親が命を終えたその瞬間のことを思い出す。
女3 誰?
女1 体中を機械に繋がれた彼女はベッドに横たわっている。肌は土気色になっていて体を動かすこともできないのだろうが、目は私をはっきりと捉えて私に「誰?」と聞いている。
女3 誰?
女1 彼女は私の名前を聞いて、ぐるり目玉を動かす。なにやら考えているようだった。私は重い口をやっと動かせる。
女2 私の名前は…。
女1 しかし私が言い終わる前に彼女の目は淀み、動かなくなった。ああ死んでしまった。直感的に私はそう思った。
女2 お母さん。
女1 娘が不安そうな顔で私を見つめている。あの時私はどんな顔をしていたんだろうか。今、私はどんな顔をしているのだろう。
男 名前はね、
女2 私の名前はどういう意味なの?
女1 夫が娘に名前の由来を説明する。私の最初の記憶は、父親の困った笑顔だ。今でもはっきりと覚えている。私が聞いた。
女2 私の名前の由来はなに?
男 おまえの名前は、お母さんがつけてくれたんだよ。
女1 父は悲しそうな顔で私にそう答えた。
女2 お母さんはどこにいるの。
男 お前のお母さんは、自分の本当の名前を探しに行ったんだよ。
女3 私の名前は捨てられてしまった。私は拾われたが私の名前は永遠に捨てられたまま。今もどこかで私の名前が待っている。
女1 父も私が高校を卒業する前に死んでしまい、私は一人きりになった。後片づけをするなかで、戸籍謄本を取る必要があり、初めて自分の母親の名前を知った。それ以上それについて知ることはなかったし、しようともしなかった。しかし結婚して妊娠し、私は初めて名前をつけるということについて考えることになった。興信所の力を借りて、簡単に彼女の居場所を知ることができた。生きている。
女2 この街一番の明るい商店街を抜けていくと、急激に町並みに影がさしたように暗く古びたビルが立ち並ぶ。数年前まで走っていた路面電車も車の邪魔だという理由で廃止され、ドブ川を挟んで一つ橋を渡るとやたら駐車場が目立ってくる。彼女が住んでいるという家は思いのほか大きな日本家屋で驚いてしまう。しかし門構えの割に手入れがされている様子もなく、門も開きっぱなしになっている。そこから覗く庭は草が生えるがままになっており、本当に誰かが住んでいるのだろうかと思う。声をかけたが返事がなく、屋敷の玄関まで入っていくと、
女1 ふと縁側に太陽の光を浴びて鳥が遊ぶのを眺める彼女が座っていた。
女2 あの、私、名前を探しているんです。名前の意味を。
女3 あなたの名前は。
女1 自分の名前を答えた。私の娘と同じ名前ね。そう声をかけられた。
女3 私の娘と同じ名前ね。
女2 あなたの娘さんの名前の意味はなんですか。
女3 前にも聞かれたことがあるわ。
女1 父だった。
男 お前のお母さんは、自分の本当の名前を探しに行ったんだよ。
女3 なぜ知りたいの。
女2 なぜ。
女3 名前を失くしたの。
女2 名前をなくした。
女3 どこかで私の名前が待っているの。
女1 彼女はそれからなぜ自分が名前をなくしたのか、なぜ名前を探さなければならないのかを私に語って聞かせた。そして父がなくなる前に私に教えてくれた母の話を思い出していた。
男 彼女はもうひとりの自分を殺した。
女3 私の本当の名前を持った、もうひとりの私。
女2 ありがとうございました。
女3 こちらこそ。話を聞いてくれてありがとう。
女2 ありがとう。私が聞いた、私に向けた彼女の最後の言葉。
2
女2 お母さん。
男 妻は時折こういう表情をする。動かない鳥を見て、しばらく黙ったままの妻を娘が不安そうな顔で見つめていた。少しして妻は「ちょっとまって」といって、鳥のところまで戻り、抱え上げた。
女2 鳥さん死んじゃったの?
女1 鳥を抱えあげると、まだ体温が残っている。公園の裏の茂みにこっそりと鳥を埋めることにする。一度家にスコップをとりにかえる。どこで覚えたのか娘はお墓にするのだと割り箸を持ってきた。
女2 この鳥さんはなんていうの。
女1 鳥の名前。
女2 うん。
女1 調べてみようね。
女1 図鑑で調べるとこの鳥は善知鳥(うとう)というらしい。親鳥が「うとう」と鳴くと子供が「やすたか」と答えるので「うとう」と名づけられたそうだ。娘はおぼえたばかりのひらがなで「うとう」と書いた。
男 先ほどだらりだらりと上った坂道を、今度は娘の手を握って、ころばないようにそろそろと降りていく。妻が鳥を公園に埋めようというからだ。坂を下りた所に大きな慰霊碑がある公園がある。太平洋戦争終結間近に、この街に大規模な空襲があった。多くの人が炎から逃れこの公園にやってきたが、ここで炎に囲まれて亡くなったのだという。現在整備された穏やかな公園では、毎年慰霊祭をやっている。
女1 父が生きていた頃は毎年参拝しに連れてこられた。父と彼女もその空襲にあって生き延びた一人だった。生きる理由を探す人たちの中で、戦争孤児の施設で二人は出会う。その時父は左手を失い、横になって眠れなくなっていた。そして彼女は幾度か拾われ捨てられる間に両親がつけた名前を失っていた。
女3 私の名前は捨てられてしまった。私は拾われたが私の名前は永遠に捨てられたまま。焼け野原の街を見ながら
男 子供が生まれたら二人の名前から一字づつとって名前を付けよう。
女3 私は夢を見る。私の失くした名前はまだどこかでじっと私を待っていて、私が探しに行くのを待っている。焼け野原の街を見ながら、私の名前が私を待っている。
女1 彼女は大きくなったお腹を抱えて婚姻届を出しにいき、役所の人が怪訝な顔をして言った言葉を聞いて、もう一人の自分がいることを知った。あなたはもう結婚されていることになっています。そう役所の人間は彼女に伝えた。
女3 焼け野原だった街も、にぎやかな看板を掲げた映画館や色鮮やかな商品が並ぶ百貨店が並び、市電の横を乗用車がガスを吐きながら通り過ぎていく。商店街を抜けて橋を渡る。木材を運ぶために流れていた川はすっかりとドブ川に変わり果てていた。私が生まれ場所は、この橋を超えて少し行った場所にあるらしい。小さい頃の記憶はほとんど残っていないが、もし残っていてもこの街の変わりようでは懐かしいという気持ちは持てなかっただろう。古い日本家屋はおそらくまだここが城下町だった頃の名残を残している。自分がここの家で生まれたのだと思うと、妙にこそばゆい気持ちが沸き起こった。戸を叩くと、私と同じ年ぐらいの女が私を部屋に案内した。その女は、私が名前を尋ねると、神妙な顔で、知らない名前を答えた。
女1 そう。その子が私の孫ということになるのね。名前は。
女2 まだ決めていません。
女3 私の母であろう女は目を細めて大きくなった私のお腹を見て言った。お腹の中で子供が少し動いた。
女2 私の名前は、本当の名前はなんというのですか。
女3 そう聞くと、先程の女の名前を答えた。
女1 愛情を込めてつけたのよ。
女2 ありがとうございます。
女3 そうして目の前の女は風呂敷に包まれたものを差し出した。見たこともないほどの現金だった。
女1 申し訳ないけどもあなたの事を調べさせていただきました。悪く取らないでほしいのだけど、あの子結婚したばかりなの。わかるでしょう。
女3 私はその風呂敷をもって部屋を出た。背中に視線を感じたが私は振り返らなかった。そして入り口のところで私の名前をもった女が私を見る。さようなら。というその女の顔が大きくへこんで、血が吹き出す。私は庭にあった大きな石を持って血まみれになって立っている。
3
女2 お母さん。
男 土の中に鳥を寝かせて、土をかぶせる。娘がその上に割り箸で作ったお墓をたてた。そして妻がその前で手を合わせる。目を開けると横で娘も同じように手を合わせている。神妙にその様子を見守る。もう死というものが分かっているのだろうか。たぶん、大人の真似をしたいだけなのだろう。帰り途、坂道をろうろうと私たちは娘と手をつないで歩いて行く。風が私たちの間を通り抜けていく。私は娘に自分の子供ができたらなんと名前をつけるのか聞いた。娘は一言、
女2 うとう。
女1 と大きな声で答えた。遠くで鳥が「やすたか」と鳴いた気がした。私は娘の手をぎゅっと握り、痛いと怒らせてしまう。あの時父が私をぎゅっと強く抱きしめて私の名前の由来を教えてくれた時、私はとても痛かったが何も言えなかった。
女2 お母さん。
男 君の名前はね、
女1 お母さん。
男 おまえの名前はね、
女3 お母さん。
女1 お母さん。
女2 私の名前の意味はなに?
女1 この娘の名前。
男 そう、名前を決めなきゃ。
女2 そう、私の名前。
女1 私、名前決めてるの。
男 なんて。
※以下、もし役者自身が自分の名前について語ることができるならそれを優先させて語ってほしい。
女2「わたしのなまえ」
なぜこのなまえにしたのかをおかあさんにききました。
おかあさんは、あいじょうをうんとうんとこめたんだよといいました。
わたしはうれしいなとおもいました。
わたしもこどもができたらうんとうんとうんとあいじょうをこめてなまえをつけようとおもいました。
女1 授業参観で娘の名前の由来についての作文を聞いて、その帰り。やはりだらだらと重い坂道をのぼりながら、自分の名前の由来を思い出していた。ずっと疑うことがなかったが、父が死ぬ間際に、語った私の名前の理由は、母が語った物とは全然違うものだった。どちらが本当だったのか、それとも両方嘘だったのか。そういえば最近誰かに自分の名前を呼ばれることもなくなったなと思った。私は夫にも、誰にも話していない本当の娘の名前の理由を、本人にいつか伝えるかどうか考えることを先延ばしにした。
了
参考文献 能楽「善知鳥」
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使用許可について
基本無料・使用許可不要。改訂改編自由。作者名は明記をお願いします。
上演に際しては、観に行きたいので連絡を貰えると嬉しいです。
劇団公式HP https://his19732002.wixsite.com/gekidankita
劇作家 松永恭昭謀(まつながひさあきはかりごと)
1982年生 和歌山市在住 劇団和可 代表
劇作家・演出家
深津篤史(岸田戯曲賞・読売演劇賞受賞)に師事。想流私塾にて、北村想氏に師事し、21期として卒業。
2010年に書きおろした、和歌山の偉人、嶋清一をモチーフとして描いた「白球止まらず、飛んで行く」は、好評を得て、その後2回に渡り再演を繰り返す。また、大阪で公演した「JOB」「ジオラマサイズの断末魔」は大阪演劇人の間でも好評を博した。
2014年劇作家協会主催短編フェスタにて「¥15869」が上演作品に選ばれ、絶賛される。
近年では、県外の東京や地方の劇団とも交流を広げ、和歌山県内にとどまらない活動を行っており、またワークショップも行い、若手の劇団のプロデュースを行うなど、後進の育成にも力を入れている