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~栗とお箸とそれから私~

漆器で有名な輪島が位置する奥能登地域に古くから伝わる「あえのこと」という田の神様を「もてなす祭り」というよりも儀礼があります。
1976年に国指定重要無形民俗文化財に指定され、2009年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。口頭伝承ではなく、行為伝承。つまり親のやっている姿を見て祭礼の段取りを覚えていくというもので、かなり特殊な儀礼です。
この中で登場するのが「栗」の箸です。万事繰り合わせが良いというゴロをとったりすることで「栗」は縁起の良い食べ物として現在でも食べられています。お正月にも栗きんとんは定番です。

栗の箸かあ・・実はとてもひっかかったことがあったんです。

石川県、特に能登半島で重要な樹木。それは能登ヒバ(アテ)です。香りがよく、漆器の木地にも使われるためとても重要なものです。
が、採用されているのは栗。そして同様にお正月には栗の木を使って食事をする風習がある地域があります。それは福岡県です。「栗はい箸」と呼ばれています。
また、もう少し調べてみると、杉で有名な鳥取県「智頭」でも、正月用に暮れには「栗」の箸を削る風習があるという記述があったり(調査中)、東北地方を中心に大晦日に「ミダマメシ」もしくは「ミタマメシ」というオニギリを供える古い習慣があり、一部の地域では箸を1本たてています。それも「栗」じゃないかと思われます(調査中)

一般的にはお正月には柳(みずき)の箸を用いて食事をする風習があります。僕の家もそうです。あまりにも僕にとって当たり前のようなことだったので疑問に思わなかったです。
「祝い箸」は、両方の先端が細くなっていて、「両口箸」とも呼ばれます。それは、一方は神様用、もう一方を人が使うためで、"神人共食"を意味しています。おせち料理は年神様へお供えし、それを下げていただくもの。新年を祝い、1年の恩恵を授かる意味から年神様と食事を共にするわけです。
両方とも使えるからといって、ひっくり返して取り箸にしたりするのはタブーとされています。
柳は水で清められた神聖な木とされ、春一番に芽吹くおめでたい木とされています。そのため「柳箸」ともいわれ、縁起良く「家内喜」と書くこともあります。
発端は御饌に供える「御箸」からだと思われます。こちらは伊勢神宮では檜(ヒノキ)で作られています。共通しているのは柳も桧も白身のもので作られていて、「清浄」への強い意識がうかがえます。

となると相当、栗の木を自ら削り供える箸は逸脱したものに感じます。ただし哲学は非常に似通ったものです。神聖とされる樹木が「栗」であり、田の神様(自然神)をもてなすことを除けば。
特に石川県の「アテ」の木は白く、香りも良く清浄そのものにも関わらずなぜ「栗」だったのか。そして日本各地に栗で箸を作る風習が点在している理由はなぜか。

どうも僕はこのあたりから曖昧でよくわからないことばっかりの日本の歴史の一部を紐解けそうな手ごたえを感じています。

栗とお箸とそれから私。

ようこそ、考古学の世界へ!になってくる おはしなおはなしです。

とっても面白いので個人的にもう少し調べてみます。「こんなことじゃないか」という仮説を描いていますので、実証と突き合わせて相応の合致があったら論文でも書いて学会へ提出してみようかな(笑)

それでは今日はこのあたりで。

埋もれてしまっている宝石がたくさんあるように思います。文化だったり、製品の場合もあるけれど一番は人間の可能性です。見つけて、発信してよりよい世界を共に生きましょう。