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猫, my love

なんとなく、昔、祖父母宅で小学生時代を一緒に過ごした猫の話をしようかなと思ったのでしてみる。

猫の写真①
かわいすぎるだろ‼️😡😬

名前は「ちゃーちゃん」といいました。祖母が付けたらしい。毛が茶色なのでちゃーちゃん。
小学校低学年くらいのときに「茶色じゃなくてベージュじゃね?」って気づいたけど、別にいまさら問題提起しなくてもいいかと思ったので何も言わなかった。

ちゃーちゃんは、たぶん私が生まれたときくらいにはもう祖父母宅にいたのかな。私が物心ついたころにはもう割と長く生きておられた。
そのせいか、まじで全然鳴かなかった。鳴き声とか1回も聞いたことないかも。あとなんか達観しているような雰囲気があって、全然怒ったり暴れたりしなかった。猫ってめったに鳴かない生き物なんだと思ってた。

たぶん小学校3年生くらいのとき、私が祖父母宅の電球を変えようとしてずっと天井見ながら背伸びして作業してたんだけど、下にちゃーちゃんがいることに気づかずに思いっきり踏んでしまったことがある。でもそんなときでさえ、ちゃーちゃんは一瞬「ひぎゃっ」っとなったのち、サササ…と走って逃げただけだった。
もっと怒られるかと思っていた。引っ掻かれたり威嚇されたり。本当に器の大きい猫だぜ……とそのときに思った。

猫の写真②
天上猫の風格がある。財を費やしたい。

ちゃーちゃんの好物はちくわだった。いや、好物だったかは分からないけど祖母はずっとちくわを与えていた。キャットフードはそもそもなかった、宅に。
ちくわだと、猫に食べさせながら自分も一緒に食べられるので一石二鳥。世の中の猫はみんなちくわを食べるものだと思っていた。

小学校が終わると私はいつも祖父母宅に行ってたんだけど、ちゃーちゃんは私が帰るといつも玄関先で出迎えてくれていた。祖父母宅の玄関は外階段を上った2階にあったので、「今日はちゃーちゃん出てきてるかな」といつも期待しながら階段を上っていた。
帰ったらちゃーちゃんにちくわあげて、私もちくわ食べて、私はテレビみたり折り紙したり絵を描いたりしていて、その間にちゃーちゃんは家の中をうろうろしていて、たまにちゃーちゃんの肉球を触ったり目ヤニを取ったり枕代わりにして寝たりして、つかず離れずという感じで過ごしていた。

あと、ちゃーちゃんは私が手招きをすると必ず近くに寄ってきてくれた。これはまじで。そんなことある?って思うかもしれないですけど、本当に寄ってきてくれてたの。

常に来る者拒まず去るもの追わず精神の猫だったと思う。そういうとこがよかった。好きだった。

冒頭で、なんとなくこの話をしようと思った、と書いたけど、よくよく考えたらなんとなくでもなかったかもしれない。
私はずっと、自分の中からちゃーちゃんと過ごした日々の記憶が消えていくことが嫌で、それが怖いから、こうやって記録に残しておきたかったような気がする。

もし死者に会えるとしたら、私は絶対にちゃーちゃんに会うと決めている。会って、何をするでもないけど、とりあえず成人になったことを報告して、あとは撫でくりまわしたい。

どんだけ猫がいたとしても、私はちゃーちゃんを見つけ出せる自信がある。「生まれ変わっても君を見つけ出す」的な歌詞の曲、だいたいちゃーちゃんのこと思いながら聴いてる。そんくらい自信ある。顔とかぜんぜん違うもん。

「うちの子がいちばんかわいい」ってほんとにそう。本気でそう思うんです。世の中のすべての猫の中で、未来永劫ちゃーちゃんがいちばんかわいくて最高の猫だと思う。

そういうわけで、ちゃーちゃん(my love)の話でした。

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