おめかし(10話)
大阪に来てからは、母との時間がより増えました。
普段着はフリルの付いたものや細工されている不思議な服など
個性的な服を着させられていました。
小学4年生頃まで毎週土曜日・日曜日になると
毎回違う特別な衣装を着て
ありとあらゆる所へ
習い事やお出かけに行きました。
私は「光が強い」とどこかで分かっていたので
どうしても目立ちたくなかった。
人から見られたくなかった。
その純粋な愛では無い視線で見られるのが嫌だった。
その視線が私の身体と心を硬直させるのだ。
だが、母は違った。
着せ替え人形の様に楽しみたかったのだ。
私の髪の毛は長く、パーマをかけ可愛らしいカーリーヘアー。
私からすればおしゃれの度を越して宝塚歌劇団とかでの衣装に思えてなりませんでした。
子供服にも関わらず分厚い肩パットの入った様なものや着物を着させられて色んな場所に連れて行かれました。
本当にお人形の着せ替えそのものだった。
寮の約16畳程の物置部屋には隙間なく私の衣装やらがギッシリと吊られていた。
母自身もとてもお洒落が好きで当時は100メートル先でも見つける事ができた程であったが、それに関してはむしろ自慢でありました。
参観日などは毎回どの保護者よりも1番乗りで颯爽と現れ、発色の良い紫のスーツだとか、一人派手な上に当時は珍しい39歳で私を産んだ為。他のお母さんとは年齢の差があり、とても浮いていました。
しかし母はそんな事を一切気にせずドンと構えていました。
授業が始まってクラスメイトが何か面白い事を言うと教室中に響き渡る発声の利いた野太い大きな笑い声で毎回大笑いをする為、母の笑い声につられて保護者も含めた教室中が笑い転げるのでその光景が大好きでたまりませんでした。
なので参観日になるとクラスメイトは母を捜し、今回はどんな服で、どこで笑うのかを私に言ってきました。
「わーやんのお母さんが来たー!」と皆が言うのです。
話は逸れましたが、母を傷つけたくない一心で、いっさい着たくないだとか嫌だとは言うことが出来なかった。
嫌々ながらも歩くスピードが速い母の後ろを歩き、わざと大股ガニ股歩きで毎回、お出掛けに行くのだ。
そして、1カ月に一度は衣装を着て神戸に住む元宝塚歌劇団であったおばあちゃんの家に行くのだが、可愛いとか、お上品とか、娘らしいとかそういった風に思われたくなかったので全力でバカなフリをしてスカート穿いているのにもかかわらず足を大股開きしてパンツ見せてスカートを持ち上げて白目や寄り目をしてふざけて変なことばかりしていた。
おばあちゃんからもよく「若子は蟹みたいな足だね」と言われていた。
私が履きたいと指差したテレビアニメがプリントされてパッケージに入っているどこにでもある様な靴は否定され履けなかった。
何度も洗ってボロボロになったTシャツやレースの付いてない靴下が良かった。
イヤ、裸足が良かった。
ある日、そのストレスを開放してくれる何者かの味方が私の身体に入り大爆発してくれた。
お着替えの時、
気付けば大の字になって母の前で「こんな服着たくない!嫌だ!」と言って泣き叫んでいる別の自分が居た。
こんなに私が感情を露わに出しているところを母は生まれて見たことが無い。
私も、こんな自分の姿を見たことが無かった。
しかし、今泣いている自分をとても冷静に別の角度から傍観して、今起こっている自分の状況と母のキョトンとした状況、母の心境を理解していた。
そのうちに少しずつ自分の身体に戻った。
自分の意識が晴れやかに変わっていた。
母はその日以来、衣装の様な服を私に着せる事は無くなった。
つづく
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