大人の寺子屋 信長公記
安土桃山時代の記録として、ピカイチと言われているのが、
『 信長公記 』(しんちょうこうき)です。
資料として、信ぴょう性が高いだけでなく、戦記としても、非常に面白いのです。
たとえば、本書の大詰めですが、
有名な本能寺の変。
『……是れは謀叛(むほん)か、如何たる者の企てぞと、御諚(ごじょう)のところに、森乱(森蘭丸)申す様に、明智が 者と見え申し侯と、言上侯へば、【是非に及ばず】と、上意候。……』
御諚 とは、おおせ
上意 とは、命令
さて、【是非に及ばず】
信長で有名になった、このことばの意味は、ひらたく言えば、関西ではよく使う、
「ごちゃごちゃ言うてる場合やない!」 と、いうことです。
それを、上意、つまり、命令した。
ということは、
「すぐに武器を持って、反撃せよ! 」
ということになるでしょう。
このあと信長は、側近の女性を逃がしています。
おそらく、寸前まで味方だった明智光秀が、顔見知りの罪なき女性を殺さないであろうという、冷静な読みがあります。
信長という男が、決して、情がわからん殺人鬼やなかったことがくみとれます。
死の間際に、一切動揺せず、
即座に、家臣に反撃を命じ、
自らも、槍を取り、奮戦し、
頃合いを見計らい、自害するなど、
さすが戦国武将だと……腹の座り方に、感心するばかりです。
人間五十年〜の、敦盛の舞は、この時のための、覚悟であったのでしょう。
秀吉も、光秀も、家康もら信長 の天才性に、畏怖しました。それが、手に取るように、ようわかります。
この 信長公記 を、ちゃんと読んでいくと、信長がいかにクレバーであったかが、明確に理解できます。
果断にして正義を重んじる性格であり、精力的で多忙。
かたや、社会的弱者や民衆に対する情誼が厚く、特定の宗教組織に肩入れせず、神仏を敬うも、一切信じも頼りもせず、基本的な道理を重んじ、いかなる者であれ、その不正を許さない。
これが、まんざらおべんちゃらではないことを、信長公記は後世に残しているのです。
しかし信長は、
私の出身地、兵庫県尼崎の、市役所のすぐ近所、七松で、
大量に、女子供でさえ、残虐の限りをつくし、皆殺しにしています。
よほど許せんかったのでしょうが、ちょっと酷すぎます。
怒らせると恐ろしい。
それもまた、超カリスマの所以。
決断力があり、際立ったリーダーシップを発揮する、度胸満点の天才権力者。
本能寺の変が、およそ450年前ですが、なんかの間違いで、
もしも、こんな人物が、今の日本に居たら、
そら、日本人……特に官僚や役人は生きてる気がせんでしょうが……。
なんせ、庶民より先に、まずは数万人の官僚が、斬首されることは間違いないし、
東電と民主党と社民党は、即座にお家取り壊し。
仙谷、菅、鳩山、野田、辻元、福島、らは、売国、謀反を理由に、市中引き廻しの上、磔獄門に違いありません。
そやけど、確実に、先の太平洋戦争、勝ってたやろね。
それはそれで、かなり〜怖いですが。
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