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エッセイ 陽だまりの町

 関学高等部のクラブハウス。
 我がサッカー部の隣りが、ラグビー部の部室だった。

 授業が終わり、ユニフォームに着替え、スパイクを履いて通路に出ると、左側からラグビー部の黒田が声をかけてきた。

 黒田と私はクラスが同じで、彼は私と大違いの、いわゆる"ええしの子"(お金持ちの子供)で、育ちの良さが全面に沸き出ている嫌味のない好青年だった。

 ふと見れば、黒田の後ろに、見慣れない顔がある。
 黒田は嬉しそうに、私に紹介する。

「コイツ、"マッキン"ゆうねん」

「"マッキン"ゆうたら、中学部の国語のせんせやないかい?」

 そう言うと黒田が、
「そのマッキンの、甥っ子らしいで」

「ホンマかいや? ワシ中3の時、担任マッキンやったで」

 黒田の背後の影が、照れくさそうに"ウン"とうなずいた。

 3人でクラブハウスを出て、プールの脇の坂道を下ってグラウンドに向かう。

 そのグラウンドでは、手前がアメリカンフットボール部、奥に野球部とラグビー部がそれぞれ陣取っている。

 サッカー部は、さらに一段下の、中学部に隣接しているグラウンドで、ハーフラインで区切って、大学と共用していた。

 私と黒田とマッキンが見ている横に、大袈裟な防具を着用したアメリカンフットボール部の奴らが、準備体操をしている。

 私は素早く、その中から1人を見つけだし、

「濱田〜真面目に練習せえよ〜!」と、声をかけると、ヘルメット越しに、

「やかましいわえ!」と、帰ってきた。

 黒田だけでなく、マッキンも笑っていた。

 なぜかその時のマッキンの笑顔を、40年以上経た今も、クッキリと覚えているから、人間の記憶力とは実に摩訶不思議である。

 マッキンは、"牧 徹(まきとおる)という。

 私とは生涯同じクラスになったことがないので、黒田とは異なり、付き合いはこの時だけだった。

 その牧 徹が、実は山口に移住していた。私が山口に住み着くより、はるかに以前からである。

 私が山口に移ったのは、2007年だった。生まれて初めて湯田温泉駅に降り立った時、「中原中也生誕100年」のノボリが、さかんにはためいていた。

 私は、中也が書いた"焦げて図太い向日葵(ひまわり)"が咲いていた田舎の駅とはこの駅だったのかと、その時だけやけに感傷的になったことを記憶している。

 とにかく「えっ?」というほどちっぽけな駅で、いまだ電化がされていない路線なのだ。
 そのかわり、ディーゼルだけでなく、観光用の蒸気機関車、SLやまぐち号が、汽笛を鳴らして走るから、それはそれで嬉しい。

 私が山口に移ったことを知った、同学年の情報において奇跡的な生き字引である北島賢治が、何かの折に、

「たしか、ラグビー部の牧が、山口のダイハツかどこかのディーラーにおったはずや」

 と、教えてくれたが、そもそも、牧とは、先述の出来事以外では、現役時代も卒業後も付き合いが皆無だったので気にもしなかった。

 おそらく、彼が私と同じサッカー部の出身なら、状況は変わっていたに違いない。

 とは言いながら、関西から遠く離れた、本州西端の山口に居る私の同級生は、牧ひとりである。

 牧と山口で再会したのは、おそらく山口の我が家に、私よりも牧のことをよく知る、他の高等部時代の同窓生が遊びに来た時に、一緒に牧の勤務先である"宇野自動車"を訪問した時だと思う。

 その時、誰と一緒に行ったのかを覚えていない。もしかしたら、牧と同じ中学から関学高等部に進んだ"宮永"かもしれないし、先の北島だったかもしれない。

 とにかく、気づいた時には、牧は旧知の学友になっていたから不思議だ。

 大人になってから、いろいろな話をしても、途中完全に途切れていた何十年もの時間に、スッと一本のロープがつながる。

 同じ学校に通った…しかも、小学校やさらに中学校でもなく、ほとんど自己が確立している思春期の高校時代を、同じ空間で過ごしたという、記憶ではなく事実としての前提が、凄まじいほどの無防備極まりない安心感を生む。

 この感覚はいったい何だろうかと、私は真剣に考えざるをえなかった。

 そしてそのたびに、
「ああ自分は本当に、いい学校に通わせてもらった」と、実際に授業料を支払った父や、そう導いてくれた運命に、両手を合わせて感謝するのである。

 牧 徹の出身は神戸であった。
 中学部の国語の教諭の甥っ子なのは、事実であった。

 本当は、中学部から関学に入りたかったが、自身が教諭をしていることを理由に、伯父が猛反対したそうである。その気持ちはわからないわけではない。

 中産階級の経営者の親を持つ者が多い私学の坊っちゃん学校のイメージが強かった関学高等部に入った牧は、何の不安もなくラグビー部に入った。

 ところが、当時の関学高等部のラグビー部は、たいがいサッカー部もヤンチャだったが、ダントツに、異質のメンツが集合していた。
 とにかく、牧はその事実に驚愕した。後悔しても始まらない。郷に入れば郷に従えと自分を慰めた。

 それでも、どこでどう伝わったのか、中学部の教諭のマッキンの甥っ子だということで、先輩から首を絞められたこともあるらしい。
 高飛車だった伯父が、何らかの理由で逆恨みされていた可能性が、ないではない。

 そんな牧が、どんな状況でも底抜けに明るく、さらに異様な高笑いをする黒田の後ろを歩いていたのも、今となれば理解できる。

 実は我々の同級生で、ラグビーの練習中に大袈裟をして、車椅子生活になり、その後早逝した同級生がいる。

 牧はその事故の瞬間、本人の真横でスクラムを組んでいたらしい。
 そしてその後もそれなりの付き合いがあったが、最後の方はなんとなく悔いが残る面もあったという。

 その話を淡々とする牧の横顔を、私は、尊敬と同情が複雑に混ざった視線で眺めていた。

 牧は関学の法学部を卒業したあと、味の素AGFに就職し、当時は小郡、今の新山口駅近くにあった山口支社に配属され、そこでパートナーと出会い結婚した。

 その後、妻の実家の家業を継ぐため……おそらく妻の父親であった社長が亡くなったタイミングであろう……に、会社を辞めて、山口市の南端、海辺の秋穂という地域に移り住んだ。

 ホームセンターやスーパーはあるが、道の駅もある。いくら贔屓目に見ても、町と呼べるほどの規模ではない。
 もちろん我々が若き時代を生きた、神戸や西宮とは、別世界である。

 妻の実家は、地域に古くからある、自動車屋。
 私は長くホンダのメーカー直接資本のディーラーに勤務していたが、そんな私たちが、"モーター屋"と呼んでいた、自動車メーカーのプロパーの特約店で、牧の店には、"ダイハツ"の文字よりひときわ大きく目立つように"SUZUKI "の看板が掲げてあった。

 牧が自動車屋に移ると同時に、妻の姉の夫も、牧と同じように、それまでの仕事を辞めて山口に移り住んだ。

 よって、妻の姉の夫、つまり牧の義理の兄が、社長になり、牧が専務の職についた。

 "宇野自動車"というのは、妻の旧姓である。だから社長と専務、両方の姓と異なる。

 新卒からいままで勤務した味の素AGFとは、まったく違う職種になるため、当初牧は、山口市内のスズキの販売店に、丁稚奉公というか、修行に出た。
 ここで一から、慣れない仕事を覚えることになった。要は、クルマのセールスマンである。

 本当なら、その業界ではそれなりに、先に極めた自信があった私が、早い段階で宇野自動車に就職すればよかったのかもしれない。

 以前北島が、"ダイハツ"と言ったのは、事実とは微妙に違っていたが、さすが物知りの北島の情報だけあって、大きくは外れていなかった。

 人生の分岐点において、牧は少なからず迷ったはずである。

 給料やボーナス、その後の可能性や社会的安定を鑑みれば、名が通った企業ほど有難いものはない。

 ただし、規模が大きな会社には、確実に、全国いたる場所への転勤があり得る。

 私は、細かい事情や葛藤を、牧本人から直接聞いたことはないが、その時の彼の気持ちが手に取るように想像できてしまう。

 たった一度だけ、牧の口から、こんな言葉を聞いたことがある。

「昔の部下とかが、今、会社の中で偉くなって、ええ給料もろうてるのも、当然知ってるけど…そやけど、人生、幸せは、それだけやないからな……」

 まさに、その通りなのである。それが負け惜しみではないことは、歳を重ねるたびに実感が増す。

 牧は地方に腰を据えて、地域に溶け込み、休日は趣味の写真にも打ち込み、家族とともに安定した暮らしをしている。

 私はその生き方に、男としての潔さと粋を感じる。

「震災の時、神戸におったんか?」

「いや、その頃は、もう山口に来てたから、久保は?」

「俺は伊丹に住んでて…伊丹駅の電車が落ちて、下の交番の巡査が死んだからなあ…」

 牧は一冊の本の話をし始めた。

「俺、毎年、震災があった1月17日、必ず朝から一冊の本を読むことにしてるねん」

「何の本や?」

「"神戸新聞の100日"ゆう本でな、もうだいぶ古い本やけど、それを必ず震災の日に読み返すんよ。それが、なんか、昔住んでて、その瞬間に居合わせなんだ自分に対するケジメみたいな気がしてな……もちろん、そんなん自己満足でしかないねんけど、まあ、供養とも違うしな」

「マッキン、おまえ……ホンマに偉いなあ……つくづく尊敬するわ」

「そんな、人に褒められるようなこととちがうよ」

「いや、めちゃくちゃ俺は感動したよ、俺もその本、すぐにこうて読むわ」

「何年か前に調べたら、もう新刊では売ってなかったわ」

「大丈夫や、古書は俺の本職やから」

「そやけど、たぶん俺も、山口に住み着いてへんで、ずっとAGFにおったら、絶対にこんな気分には、なってなかったと思うわ」

「そのとおりやな」

「やっぱり、田舎でしか見えへんもんって、いっぱいあるやん。まあ、こんな話を地元の人にしてもなかなか真意がわかってもわらわれへんけど……久保ぐらいや、それをそのまま理解してくれるのん」

「たしかにそうやな。よっしゃ、俺、今のそのマッキンから受けた感動を、忘れんうちに歌にして、映像つけて、番組で残すようにするわ、もちろん、モデルはマッキンで」

「そんな大そうな」

「そやから、悪いけど、その歌に使う映像…写真を、マッキンが提供してくれや」

「それぐらいのことなら、もちろん協力させてもらうよ、撮りためてる秋穂の風景、そこそこあるし」

「わかった、気分がさめへんうちに、作詞も作曲もレコーディングもするわ」

 そして、出来た歌。

【陽だまりの町】
山口でうまれた歌シリーズ 


大きな夢を 追いかけるより
地域に根ざした 柔らかな日々
無理して笑って 頑張るよりも
笑顔の挨拶 忘れないように

人はつながる 話がはずむ
空も青いよ 海も青いよ
きょうから あしたへと
そよ風が吹く
 

天までのびた 窓を彩る
都会の賑わい 遠ざかる日々 
食事も忘れて 駆けまわるより
皆んなで一緒に 美味しいご飯

人がつながる 話がはずむ
雲が微笑む 波も微笑む
星空見上げれば 歌が聞こえる

Re

人はつながる 話がはずむ
空も青いよ 海も青いよ
きょうから あしたへと
そよ風が吹く

あなたとわたしの 笑顔を広げて
そこから始まる 陽だまりの町

(※ CMバージョン

  あなたとクルマの
  笑顔を広げる
  ここから始まる
  宇野 自動車 )

https://youtu.be/mDKDnX8oTW4

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