アカハラを受けて人生に諦めがついた

「もう研究はやめようと思います。」
そう言ったときに、教授は
「ああ、そう。」
とだけ言い、少し笑ったことを私は見逃しませんでした。

昨年まで、大学病院で医師として忙しい日々を過ごしていました。
臨床をやりながらでも空いた時間で研究を行い、なんとか博士号も取ることができています。
研究発表や地方の学会発表などを精力的に行い、それなりに賞もいただいてました。
当医局の教授からの期待もあり、このままアカデミアに残っていくんだろうなと思い、自分でも悪くないなと感じていました。

博士号を取った頃から、片手間の研究ではなく思い切り研究に時間を使ってみたいと思うようになりました。
これまでは当直の空いた時間や、臨床業務が終わった真夜中などに研究を行い、呼び出しや緊急手術などでよく実験を中断していました。
他大学の論文などを読んでインパクトファクターの高い論文があると、悔しさと羨ましさを感じ、もっと良い研究をやりたいという競争心があったのも事実です。
こうしたこともあり、少しずつ研究に時間をつかいたい気持ちが強くなっていきました。

当科の教授に基礎の研究室に行きたい旨を伝えると、好きに行ってよいと言ってくれました。
比較的人気のある医局でしたので医師は足りており、一人くらい抜けても大した問題はなかったのです。
数年後に医局に戻るというような条件もなく、ポスドクからこのまま基礎の研究者になってやろうと考えてました。
臨床もバイト程度にやっていればそれなりに給料ももらえるので、ポスドクといえど家族を養うことはできるはずです。
そう思い、縁もゆかりもない地域であろうと行きたい研究室へ就職活動をすることになりました。

J-RECINというサイトを見ると、アカデミアのポストの募集が公開されています。
アカデミアはポストがないというのはウソで、場所を選ばなければ非常に多くの募集があります。
私に合うポジションとしては、博士取得したばかりなのでポスドクか助教相当の研究員です。
そんな中で白血球の研究をしている研究室 (A大学にある) があり、ポスドクの募集をしていました。
メールをしてみると、翌日にその研究室の教授から返事がありました。
「研究費に余裕があるので、ぜひ来てください。博士論文の内容をうちで発表してもらえますか。」
ポジティブな内容の返信で、とても嬉しかったのを覚えています。
発表当日は午前の外来を早めに終わらせて、新幹線に乗ってその研究室に向かいました。

4時間ほどかかったでしょうか、その研究室に到着すると小さな体の50代の女性が迎え入れてくれました。
「キミが底辺Drくんね、今日のセミナーよろしくね」
この方がこの研究室の教授でした。
少しするとセミナー室に案内され、このラボの学生やポスドクが集まってきました。
そんな中で、これまでの研究と臨床に関連した内容を発表すると、質疑応答も活発でなかなか面白いセミナーになりました。

セミナー後に教授に言われたのは、来年度からB大学に新しいラボをつくるからキミはそこに行ってほしい、ということでした。
新しいラボは都会にあり、共通設備に関してはA大学の比較にならないほど揃っているようでした。
ただ新しく発足するラボなので、研究室の中には何もありません。
流し台だけはあるようです。
新しい研究室をセットアップからやれるのはとても楽しそうで、やらせてくれるならぜひお願いしますと、恐縮ながら答えました。

4月になり、新しい研究室にポスドクとして就職しました。
研究室にはクリーンベンチもインキュベーターもないため、共通機器のものを使うことになりました。
研究費をB大学では使えないので、消耗品に関してはA大学から送ってくれました。
しかし、すぐには届かないので実験のスケジュールはかなり遅れます。
共通機器もいろんなラボの研究者に使われているので、使いたいタイミングでは空いていないことも多々あります。
また、研究棟をまたいで移動することが多くなるので、この移動も地味に疲れます。

ある時、今週中にデータが出る予定だったのが、共通機器の都合でデータが出せないことになりました。
そのことを週1回行われるミーティングで伝えると、
「そんな締め切りも守れんようなやつは、社会人としてアウトやアウト。ほんま使えんなお前。」
と、教授は言いました。
まあ確かに都合をつけられない自分が悪いよなと思い、ただバカにされるのを聞いていました。
それに、ここまで来てすぐにはやめられません。
どんなに罵倒されても続けようと思いました。

研究室生活が始まって3ヶ月後、同じ時期にA大学のラボに入ってきたポスドクがやめることになりました。
やめる理由は、毎週行われるミーティングで散々バカにされ、人格否定されるのがつらかったから、と言っていました。
私は彼にハラスメント相談室に行くといいとアドバイスしましたが、もうやめることを決めていたようで、相談室に行かずに静かにやめていきました。

A大学のラボで働く特任助教 (学振PD) の方は、「こんなこともわからんお前はバカだから、やめてしまえ」と言われたことが何回もあるようです。
しかし、特に資格もないこの特任助教は研究をする以外に生活する方法がないと、研究室に固執していました。

B大学の研究室に少しずつ慣れてきた私は、新しい実験を行うことになりました。
研究室には物品がほとんど揃ってませんでしたが、工夫してやればなんとかできます。
ただ、全く行なったことがない実験だったので、適切なコントロールについて知りませんでした。
ミーティング時に新しい実験のデータを見せると、コントロールが取れていないことに教授が気づきました。
「お前はほんまに使えん。年齢もあるし、はよやめろや。金の無駄なんや。」
医師として働いていたので、他の研究員と比べるとやや年齢は高いことは事実です。
でも、何もない、誰もいない研究室で働いているのにそこまで言われる筋合いはないと、少しずつ反論したくなる気持ちがでてきました。
今後も多少なりともミスすることはあるし、その度にバカにしてくる教授のところで働くのも、なんだかしょーもないなと思えてきました。

その時から、やる気はほぼありませんでした。
実験をする楽しさはありましたが、論文を読んでもワクワク感はなく、このラボのために何かしてやろうという気持ちもありませんでした。
ラボミーティングでデータを出しては、
「お前はヘタクソや、一番ラボでヘタクソ!」
と毎週言われ続け、あれだけやりたかった研究はもうやめようと思いました。

研究室を移ることも考えましたが、もう研究自体を続ける気が起きなかったため、研究から離れることにしました。
しかも、薄給である研究者を何年も続けて家族に迷惑をかけられません。
こうして教授に研究をやめることを告げると、少し心配そうな雰囲気を出しながらも軽く笑っていたのでした。

ありがたいことに都会では仕事がたくさんあります。
今では、当直をする必要もなく、ほぼ決まった時間に帰ることができるクリニックで働いています。
家族との時間も増えましたし、実験をしないといけないという焦燥感もありません。
落ちこぼれたドクターではありますが、まあなんとかやれています。
自分に実力がないのが良くないのかもしれませんが、アカハラを受けるとずっと心に何か残った感じがありますね。

企業の研究室はわかりませんが、アカデミアの研究室はかなり閉鎖的になりやすいです。
教授の言うことがすべてになってしまい、簡単にやめさせることもできます。
今、アカハラを受けている方は、心が壊れる前に誰かに相談し、一旦その研究室から離れると良いでしょう。
いくらでも仕事はありますし、良い上司もいます。
いまだにこんな研究室があるのかと思いましたが、研究を諦めるきっかけになってよかったとも思います。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
思うままに書いたのですが、少しでも参考になったら嬉しいです。





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