伝承すること、モノ

【巻頭言】

 私の生まれた地域では、七月を迎えて七夕様を過ぎたころに、祇園さんという祭があり「堤燈(ちょうちん)灯し」と呼ばれる行事がありました。日が暮れると近所のお寺に集まって、堤燈に火を灯しお参りをします。子どもたちは花火を上げて遊びました。今思うとあれは旧盆の行事のひとつだったわけで、現在でも続いているかどうかは不明ですが、蛍の飛び交う田んぼ道を、浴衣姿に着替え堤燈をぶら下げて出掛けたのを鮮明に思い出します。

 先日、シナリオ作家だった向田邦子さんのエッセイを読んでいましたら、玄関や式台に置かれた足ふき雑巾の話、「よそいき」服という言葉、パジャマの上からした腹巻、お風呂のげす板、蚊帳など、昭和のころの懐かしい話が登場しました。

 これを読んで懐かしくなり、ある人に話したところ、それって私たちが子どもの頃に親から授けてもらっておきながら次の世代へとは引き継げなかったものばかりですね、と言われました。

 なるほどと思いながら、大切なことは、そのときの暮らしやそこにあった営みを守り伝えることではなく、みんなが毎日使っていたモノに対する畏敬や感謝の気持ちを持つことであって、合理性などを優先するあまりモノの大切さを伝承してゆけなかったことを、まさに後悔の念を持ちながら、何となくノスタルジックに捉えているのだと思います。

 キャンドルナイトやスローライフ、自然体験など、夏は数多くのイベントがありますが、現代を「豊か」に暮らしている二十一世紀の人たちに、少し昔の歴史にも触れながら、モノの大切さのようなものを伝えられるといいのにな、と思いました。

【編集後記】

 早いもので、このメルマガが今回で100号を迎えました。いつも読んでいただいて、ありがとうございます。第46号から担当してまいりましたが、月日の過ぎ行く速さを切々と感じます。

 当初は、三重県環境学習情報センターから発信をしていました。センターの周辺はご存知の方も多いと思いますが自然に恵まれた素晴らしい環境です。四日市市内の街並みからその向こうに続く伊勢湾、中部国際空港、知多半島、名古屋市方面、恵那山まで見渡せます。木々が茂り、花が咲き、鳥が啼く日常にごく普通に接して暮らすことのできるところです。

 平成20年の4月から県庁8階に異動してきました。自然のなかでのささやかな発見などに触れる機会が減ってしまい、寂しい思いもありますが、人の集まるところには情報があふれ、声が飛び交い、刺激に満ちています。それらひとつひとつを大切にし、時には1号のころの気持ちを振り返りながら、100号を過ぎていつまでも、みなさまの元へ新鮮で躍動的な情報を発信して行きたいと考えています。

 どうぞ、今後とも引き続きご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

7月号 7月7日発行

2009年7月 7日 (火曜日)