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「いってらっしゃい」誕生秘話

今日は、WAGYUMAFIAのトレードマークとなっている「いってらっしゃい」の誕生秘話について話したいと思う。世界ツアーをスタートしてから、一番最初のシンガポールは相方の堀江貴文のファンしか来なかった。シンガポールで開催したのに一緒に組んだパートナーも日本人経営ということもあり、僕が呼んだ外国人以外はほぼ日本人で堀江の書籍を持ってきてサインを求めてくるというそういう風景だった。

世界を獲ろうとしているのにこれだと日本と全く変わらない。このファーストの海外イベントから、僕は決めた。日本人経営の現地レストランでは開催しない、日本人は基本的には参加禁止にした。そしてすべて英語のみ。そうでもしないと海外でやっている意味がない。しかしながら全く無名のユニットにとって、なかなかコラボもオーケーは出ない、オーケーが出たとしても全く集客できないというそういうジレンマに陥っていた。どうやったら海外の方々が見てくれるのか?

そこで生まれたのが日本らしいストレートなわかりやすさで集客をしていくということだった。最初に考えたのは寿司職人に帯同してもらうということだった。独立準備をしていた友人の現「はっこく」佐藤博之さんに声をかけた。彼はスピーディな判断をする。「ハマチャン、行く!」そして最初にチャレンジしたのがサンフランシスコツアーだった。寿司と和牛、そして現地の集客能力が強いプレーヤーと組んだ。結果はすべてSOLD OUT。お客さんの反応も素晴らしかった。

WAGYUMAFIAの料理はだいたいがツアー中に生まれたメニューだ。このツアーを通して、和牛の握りの最新型が生まれた。「はっこく」スタイルの赤酢で塩をビシッと決めたシャリにサシがガツッと入った和牛の握り、上には馬糞ウニとベルーガキャビアが乗る。後にここに金粉が乗るようになるのだが、この新しい握り。フランスの国旗からイメージをもらってトリコロールという名前を付けた。今では世界の様々なレストランがコピーしている。

佐藤さんが銀座に「はっこく」をオープンすると僕らは常に帯同してくれる鮨職人がいなくなった。時折店を休んでくれて一緒に来てくれる鮨職人の友人はいたが、すでに定番となったこのトリコロールをよし、自分で握ろうということなった。やるからには徹底的にやりたい。毎日シャリを炊き、そしてシャリ切りをして、独自のフォーミュラに変えていった。握りは北陸で回転鮨をやっている友達のところで握りまくった。

そしてLAでの握り。現地の寿司職人が見に来てくれて「このメニューをうちでも出してもいいか?」と満面な笑みで伝えてくれた。そのアメリカ人の寿司職人が握る鮨は独創的で、海外で現地の人間が作るラーメンをすするようにとても想像力を掻き立ててくれる素晴らしい握りだった。

2016年3月に京都のポップアップでデビューしたWAGYUMAFIAだが、元映画業界の僕はそのときの映像をプロモーションビデオにように残すことにした。仕込みで慌てて指を切っている僕の姿も映っている。

この映像をみて、連絡をくれたのが照寿司の渡邉貴義さんだ。戸畑っていう超田舎でペアリング込みで3万8000円のコースという。この映像を観てくれたらしく、同じような映像を作りたいという。そして生まれたのがこの映像だ。

ちょうど博多で開催されたトライアスロンのレースを出たあとに車を走らせ、照寿司で彼のお寿司をいただくことになった。トライアスロンチームメンバー一同、大きな笑顔となった。そして、偶然にも同い年だった僕と渡邉さんはすぐに仲良くなった。

そこから2年後の2017年、僕らはマカオのMGMにいた。MGMと共同で開催したのがこのWORLD WAGYU CHAMPIONSHIPだった。招待されたシェフ一人ひとりが、和牛を用いて一品を考えるチャンピオンシップだった。優勝者には神戸ビーフ一頭、MGM宿泊券などが進呈された。ちなみに第一回のチャンピオンは今やミシュランシェフに輝いた銀座やまの辺の山野辺仁さんだ。

このチャンピオンシップが終わったあとにシェフ連とみんなで飲みあった。そこでみんなが照寿司の寿司の渡し方を真似して料理を渡しあったのだった。このイベントから僕らは照寿司仕込みの料理の提供方法をすべてにおいて1年かけて取り入れていった。というのもツアーの際に料理の写真とシェフの写真を取ると最低でも30秒ぐらいかかる、この渡し方だと一枚ですぐに次の方にサーブできるという大きなメリットがあったからだ。そして何よりも料理とともにシェフの顔もバイラルしていった。

このポーズが進化したタイミングはなんといっても「いってらっしゃい」が生まれた瞬間だろう。これはWAGYUMAFIAがエンターテインメント要素が増えていき、2017年に記念すべきWAGYUMAFIA THE BUTCHER'S KITCHENが誕生し、音楽とキッチンでのショーを作っていく。全く新しいダイニングエクスペリエンスを提供し始めたことが一番大きい。

その後のイベントでは常に独自の音楽ミックスを持っていき、ポップアップディナーをショー或いは公演という言葉に置き換えていった。そしてパリでその言葉は生まれた。トリコロールを渡す際に「BON VOYAGE」と僕が呟いたのだった。お客さんの反応は「あれ?」っていう顔をするもイマイチだった。そして、そこから3ヶ月後のロンドン公演にてBON VOYAGEを日本語訳にした「いってらっしゃい」が生まれたのだった。

英語ではいってらっしゃいの発音に倣って「EAT-N-SHOUT」(食べて、叫べ)と訳すようにした。あのときサンフランシスコで生まれたトリコロールは、戸畑の才能が生んだあのポージングが、マカオで伝わり、パリを経由してロンドンであの雄叫びへと変わったのだった。

いってらっしゃい。

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