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私は悪口を言ったことがない

 私は悪口を言ったことがない。悪口など人を傷つけるだけだ。私は昔から人に嫌な行為をされても、自分で我慢するし、ネットにも書かない。こういうのは当たり前の話過ぎて、書きたくはない。しかし、最近の若者はすぐにSNSに悪口を書き込みトラブルを起こす。何故、「SNSに悪口を書かない」という事が出来ないのか、筆者は理解不能で頭を抱えてしまう。

 例えば、相手が何も悪事をしていないのに攻撃をするのは完全に悪口だ。言語道断で許されない行為だ。理由もなく、ただ気に食わない、考えが合わないから傷つける行為は無差別に人を殺しているのと一緒だ。そもそも、相手が心の優しい人間であれば、嫌なところは見えないはずだ。

 しかし、私はどうだろうか。一切悪口を書いていない。事実を述べているだけだ。評論だけしているのだ。私は嫌なことをされた場合、その話を国民の教材になるようにエピソードとそれを評論考察し投稿しているだけだ。だから悪口ではない。もはや教科書である。

  例でこの話で解説しよう。

 私と同じポジションで業務をしていた若い男女が、実はカップルであったという話だ。それを私は駅の階段で発見してしまった。手をつないで階段を上っているところを。
 私の目の前で、恋人同士が手をつないで歩くのは私に対する立派な侮辱行為だ。私は2人に対して何も悪事をしていないのに、彼らは恋人同士で手をつなぐという国民誰もが許さない犯罪を犯し、私の心を深く傷つけた。私の世界の出来事であったら、即処刑であった。しかし、ここは日本なので目の前の事象を冷静かつ丁寧にしっかり受け止め、人生の教材として投稿した。

 違う話になるが、昔帰国子女の男の知り合いがいた。澄ましたような人間であった。その男が飲み会の時に私の過去の話をベラベラと話した。私は恥ずかしくなった。その瞬間から私は教材として扱おうとしたが、中々noteに書ける内容ではなかったため見送っていた。私はいまだにその男を許していない。
 
 帰国子女は全員性格に難があるのは言うまでもない。さらに私の苛立ちを倍増させるのは超高学歴であることだ。私は思う。英語や経済を勉強する前に私のnoteで人間性を勉強するべきだ。その男は英語がペラペラだ。素晴らしい事だと思う。しかし、人間性が全くなっていないのでこの状態だと社会に出た時に抹殺されるので、私に弟子入りして私の背中を見て道徳を学んだ方がいい。

 人前に立つ人間として、発信する人間として持論や真実を言わなければならないと思う。そうしてこのnoteを見て救われる人はたくさんいるだろう。決して私は歪んだ思考ではなく、事実に基づき本質を理解して発信している。

 私は嘘が嫌いだ。悪口が嫌いだ。真実だけしか私は信じない。私の心は傷だらけで生きるので精一杯だが、嘘や悪口は言わずに行きたい。何か嫌なことや潰しておきたい出来事があったらしっかり考察し投稿しようと思う。

 今生きる若者は私のnoteを見るべきだ。そして評論家である私の背中をみて人間とは何かを学ぶといい。

 

 

 

色々な記事を書きたいです。