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オーロラに駆けるサムライ(1)ワシは住友になる

1937年、日本のサムライ ここカリフォルニアの大地に眠る

これは明治の初期にアメリカ合衆国に渡り、その後アラスカで名をとどろかせた一人のサムライの物語である。

<ストーリーの背景を説明する動画を用意しました。興味あれば一番下にスクロールして観てください>

私の名前はフランク・コッター。アメリカ、オレゴン州出身の新聞記者である。これから話すことはノンフィクション。

この物語の主人公は愛媛県出身17歳の日本人、ジェームス・和田重次郎、

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彼に初めて出会ったのは1904年の冬。アラスカ州フェアバンクス市(現在のアラスカ州都)のあるホテルだった。彼はここフェアバンクスで開催される室内マラソン大会に出場する為に滞在していた。

アラスカマップ

マラソンランナー

当時ジェームスは既にこの界隈ではマラソン・ランナーとしては知られていた。あいにく、彼は右足にかなりひどい筋肉の痛みがあったようで、軽く見ると捻挫をしていたようであった。

早速私は、湿布、電気加熱パッド、タオルを手に入れ応急処置を施した。 順調に回復し半年後のマラソンを走ることができました。それを機会に私たちの間には友情が芽生えた。

マラソンランナー

生立ち

数年後の1909年に、ジェームスと私はあるプロジェクトに関わり、アラスカ南部のクスコウィム川沿い(上地図参照)でキャンプをした。タバコをすいながら、犬ぞりを引くハスキー犬の餌を料理している間、ジェームスは遠く離れた日本からアメリカにどうやってきたのか、そして、なぜアラスカの地に辿り着いたのかを語りだした。

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「当時私はまだ高校生だったんだが、政府の奨学金で4人の仲間と一緒に、アメリカで教育を受けるために渡航することなったんだ。1人は米国海軍兵学校へ、もう1人はハーバード大学へ、残りの一人と私はイェールに向かった。私は太平洋を渡る蒸気汽船で英語を一生懸命勉強し順調だったんだ。サンフランシスコに到着するまではね。」と急に彼の声のトーンが下がった。

ワシは住友になる

ジェームスは幼い頃に、愛媛県にあった製紙会社に丁稚奉公していたことがある。そこは、いとこの戸田金兵衛が同様に働いていた。ジェームスが日本を出て行った時の話と一時帰国したときの記録を、金兵衛が書き残しており、日記(金兵衛覚書:きんべい・おぼえがき)にはこう書かれている。


明治八年和田重次郎は愛媛県周桑郡小松町(現西条市)に、父和田源八(旧小松藩士)と母セツの次男として生まれました。1879年(明治12年) 重次郎が4歳のとき父源八が戊辰戦争での会津若松で負った古傷がもとで病死し、母セツの実家のある愛媛県温泉郡素鵞村(現 松山市日の出町)に身を寄せます。日の出町は、紙の里で、重次郎は母親を助けて働きます。1892年(明治25年) 17歳のとき「住友になる」という大志を抱き、アメリカに密航します。
重次郎の生まれた 小松町(現西条市) は、住友財閥の大躍進の基となった別子銅山のすぐ近くです。住友財閥の大きさを幼いころから知っていたのでしょう。これが実際に日本で語られているジェームス・和田重次郎の実像である。     日記(金兵衛覚書:きんべい・おぼえがき)より

サンフランシスコ上陸

「あとは実践あるのみだった」と続けた。ジェームスはサンフランシスコ(ゴールデンゲート・シティ)に2週間滞在する間に片っ端からアメリカ人に話しかけた。ある日、埠頭近くで彼の話に積極的に耳を傾けてくれる人を見つけ、なるべく短期間で英語を習得したいことを必死に説明した。

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そのアメリカの白人青年は、偶然にもジェームスにピッタリの先生を知っていてという。その先生なら3日間で全てを教えることができると、どうも日本人向けに英語を教えている経験が豊富とだということだった。

「当然」とジェームスは続けた。3日間で英語を習得できるとついあがってしまった。なぜなら、日本から来た3人の友達と比べて有利にはずだから。

裏切り

白人の青年はジェームスを埠頭にあるひなびたバーへ連れて行き、入口でこう諭した。教授に会う際のマナーをわきまえること。また、少し変わった人なので、尊敬の念をもって接しなければ何も教えてくれない事もありえると。

白人青年は先にバーへ入り5分後に戻ってきて、お金があるかどうか尋ねた。要するにお酒を一杯おごれということだった。何の躊躇もなく一年間の授業料を誇らしげに見せてしまったのが運の尽きだった。

「青年は私をバーカウンターの奥に座っている男に紹介した。「この男は私には先生のようには見えなかったが、上陸以来このアメリカという国で様々な光景を見ているのでこれもアメリカの習慣だろうと何も考えていなかった。」とジェームスは語った。

続けて、「この先生と名乗る男は、10ドルで私の英語を完璧にすることに同意し、バーテンダーに白人青年とこの先生の分を2杯分の代金を支払った。変な味がしたんだけどこんなものだと思って飲んでしまったんだ。」

バー・カウンター

目が覚めたらジェームスは、臭い二段ベッドに横たわっていて、部屋が上下に揺れていていた。なぜか彼は北極圏を3年間巡航する捕鯨船に乗っていた。

<まとめ>友人フランクに自分の生い立ちを語り始めた愛媛県出身の17歳の少年ジェームス・和田。日本からサンフランシスコに渡航し港に到着するなり、英語を教えてくれるという白人にだまされ、バーで酒をのまされ、気を失い、3年間北極圏を巡回する捕鯨船に売られてしまった。さあどうする?

-つづくー

<コラム>フェアバンクスへの行きかた

フェアバンクス(Fairbanks)は、アラスカ州の第二の中央部に位置する都市で人口は約3-4万人。第一位はアンカレッジ

気候は、アラスカ内陸に位置するので、冬季は摂氏マイナス30~50度前後、夏は昼には25度を超えて、汗ばむ日もあるので半そでで十分です。

アメリカ北西部の都市(シアトル etc)を経由して行くのが一般的ですが、ポートランド経由でアラスカ航空で行くのも可能です。自由な日程で行きたい方には、毎日就航しているデル航空がお勧めです。

アラスカ航空:シアトルとポートランドを拠点とし、アメリカ西海岸を中心にアラスカ、カナダ、メキシコへネットワークを拡げている。日本には就航してません。


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