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これからのmarisの福祉機器デザインについて[なぜ介護ではなく自立する世界を目指すのか?]①

-自立する世界をなぜ目指すのか? -


介護ではなく自立

我々は、介護中心ではなく、
みなさんそれぞれが
自立して生活できる世界を
めざしたいと考えています。
なぜそのように考えたかを
記載させていただきたいと思います。


自分でなんとかしたいのか?されたいのか?

私の母は障がい者ですが、
かなり若いときに障害になったと思います。
これは母のおかげでもあるのですが、
私は自分で出来ることは
するべきだという考えを持っています。
母は、やはり子供も小さく、
昼間は父も会社に行っている中で、
なんとか自分で動かなければならないと
思ったのだと思います。
そのため、車も自分で運転していました。
車も免許を取り直し、
補助装置がついていれば
運転可能という状態にしていました。
そして、運転席に手でアクセルブレーキを操作できる装置をつけて
自分で車を運転していました。
病院にいくときや、
私を送り迎えなどもしてくれていました。
家族3人しかいないなかで、
頑張って生きていたのだと思います。

最近ピッチなどで外でお話する中で、
「私は動けなくなったら、自分でなんとかするより、
やってもらった方が楽だし、その方が気分がいいと思う。」
と平気で言う人がいます。
私としては、母の頑張って自分でできることはなんとか自分で動いて
生きている様子を側で見てみて、
全くそのような考えは浮かびません。
恐らく前述のようなコメントを言う方は
裕福なのだと思います。
世話をしてもらうのを
コンシェルジュのサービスと同じようなイメージで
捉えてると思います。
母の姿を側で見ていて、
自分で出来ることはやりたいのだなと、
肌で感じていました。
そして、私の体が大きくなってからも、
なるべく移乗するときなど、
手助けせずに横で見るようにしていました。

ある日、母の病院に一緒について行って、
その帰りに、看護士さんが外まで一緒に出てくれたときに、
いつものように母が車に移乗するのを横で見ていました。
すると、看護士さんが
「なんでみてるの?手伝わんね」
と私に言い、その看護士さんは、
母の移乗に手をかけに行きました。
ありがたいのはありがたいのですが、
自分でなんとかしようとしていて、
助けてくれと言われているわけでもないので、
私は助けるべきでは無いと思っています。
その移乗を自分でやることで、その人にとって訓練にもなりますし、
そこを手伝ってもらっていたら、そのうち自分で移乗が出来なくなります。
やはり障がい者、高齢者は弱い人で助ける対象だ
という考え方が日本人の根本にはあるのだと思います。
そのあたりは、わたしのように当事者が横にいるわけではなく、
すり込まれているので仕方ないと思います。
ただ、そのような考え方では、
みんなが幸せにはなれないと思っています。
私は、自分で出来ることは自分でやるべきだし、
当人もそのように頑張るべきだし、
周りもそのように捉えるべきだと考えています。


なぜ自立する機器を増やしたいと思ったのか。

私が母から感じたことを中心に今回は記載しました。
次回は、母と暮らして行く中で、
なぜ自立する機器を増やしたいと思ったのか?
について記載したいと思います。

最後に

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