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クソババアに花束を ~卒業生と内田樹先生と灯台と~ 教師の備忘録

中学校教員になって初めて3年間を持ちあがった学年の子たちが、今年成人を迎えます。

大変嬉しいことに、5年前まで深くかかわらせてもらっていた元生徒から先日「先生会いましょう」とのお誘いを頂き、大人になった彼らとの小さな食事の機会に恵まれました。

”卒業生ごはん”あるあるのひとつに、「手のかかったヤツに限って誘ってきてくれる」というのがあります。

先日プチ同窓会に誘ってくれた彼も、またその一人。

SNS経由でお誘いがきたときには「まさか君が?」と大変驚いたものです。

久しぶりの再会の場ではあるものの、声を掛けてくれた理由がどうしても気になって、私は彼に聞いてみました。

「あなた私のことすごく嫌いだったよね?クソババァとか言ってたでしょ。卒業式以降、2度と会いに来てくれないと思ってたよ(笑)」と私。

「はい!嫌いでした!よく先生の悪口で盛り上がってたし、僕も先生とは2度と会うことはないだろうと思っていました!…あの頃は…」と彼。

私もまだまだ教師として駆け出しで、勢いだけで日々奮闘していた頃。

彼も彼で相当ストレートにぶつかってくるタイプでしたので、毎日バチバチやり合っていました。(元気だったなあ…あの頃はお互いに…)

彼曰く、私への感情が変わったのは高校へ入学した後のことだったと言います。

高校生活を通し、また社会に出てさまざまな理不尽と出会う中で、中学時代の「ムカつく」教師たちの指導の意図が、少しずつ理解できるようになっていったそうです。

「中学時代の〇〇先生や〇〇先生と出会っていなかったら、今の俺はないと思う」

いつもはおふざけキャラの彼が、この時ばかりは真剣な表情で、そうつぶやきました。

仕事の成果がものすごーく遅れてやってくるというのが、教育という営みの特性のひとつであると私は思っています。

キーボードをたたいて、変換、エンターを押して完成!というようなシンプルな動作→反応の仕組みになっていない。

この前、思わず笑ってしまったことがあって。

高校3年生の元教え子から、進路決定報告の連絡がありました。

進路決定においては何もしてあげていないはずの私への感謝の言葉がぎっしり詰まったメッセージの中に、こんな一文が。

「あんなに恐かった先生の指導、今思えばすべて自分のためであった事に気づくことができました。本当にありがとうございました!」と。

随分ストレートに表現してくれたわね!思わず爆笑。

この子にも随分キツくあたっていたよな、今の私なら当時とはもっと違う接し方ができていたよなと、負い目に感じる部分もありました。

卒業したらもう寄って来てくれないだろうな、それでも仕方ないよなとも覚悟していました。

それでも、卒業生のほうが教師よりもひとまわり大人になって、こうやって寄り添ってきてくれることもあるんだなと。

3年間頑なに守り伝え続けてきたことが、そのまた3年後に生徒の心に届くこともあるのだなと。

大人になった生徒たちに、なんだか救われたような気持ちになりました。

これこそ、教師にとって一番のご褒美だなと感じます。

かわいいかわいい小さな種に、そっと土をかぶせ、毎日毎日水を与える。

どの種が、どんな色の花をつけるかも知らずに。

随分と早く芽を出す子もいれば、待てど暮らせどその気配のない子もいる。

それでも、早い子にも遅い子にも、みんなに平等に、愛情を注ぐ。

教師は日々、不安にも襲われる。

この子が芽を出さないのは、私のやった水が足りなかったからではないだろうか。

肥料を与えすぎたせいではないだろうか。

嵐の日に、手をかざして守ってやらなかったせいではないだろうか。

昨日私が乱暴にあつかって、冷たく放置してしまったせいではないだろうか。

厳しさと優しさのバランスがわからない。

どうしてやっていいのかわからなくなって、教師はひたすら暗中模索を続ける。

正解がわからないから、ただただ自分が正しいと思うやり方で水を与え続けるしかない。

それでも不安は途切れることはない。

この子が、最後まで芽を出さなかったら…

花を咲かせなかったら…

それでも、毎日毎日、水を与え続ける。

時間のリミットだけが、刻刻と迫ってくる。

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中学校の3年間でその花の色を見せてくれる子もいれば、そのさらに3年後、10年後になって「先生、こんなん咲きましたぁ」ってわざわざ見せに来てくれる子もいる。

こう考えると、教育って最高にロマンチックな営みだなぁと感じます。

中学校教育というのは、3年間で完結ではないのです。

私が大変感銘をうけた内田樹先生のお言葉があります。

”学校というのは「母港」なんだと思います。教師は灯台守りです。暗い海に出て行った人たちはときどき振り返っては母港の灯りを確かめる。そのときに毎晩、同じところで律儀にぴかぴかと光って見せるというのが教え子に対する教師の責務ではないかと思っています”

”母港があり、困った事があれば、そこに戻ればいい。振り返ると毎晩灯台の明かりが見える。そういう人は、自分が何をしているのか、どこに向かっているのか、正しく把握することができます。だから、安心して、どこまでも航海を続けられる。”

(-新潮社「ぼくの住まい論」内田樹)

私は過去、卒業生に「もう2度と中学校には戻ってくるな。中学校のことなんか思い出す余裕がないくらい、充実した新生活を送ってこい」と言い捨てたことがありました。

しかし、その後私は考えを改めました。

自分自身が「帰る場所があるからこそ挑戦できる」ということを身をもって経験して以降は、「頑張って頑張って、それでもダメだったら、どうか迷うことなく、信頼できる大人を訪ねて下さい」と生徒たちに伝えています。

本当に帰ってくる子もいると思うし、帰ってこない子もいると思いますが、それでOK。

「帰って来ていいんだよ」という言葉をもらった経験があるかないかで、旅の安心感というものは随分違ってくると思うのです。

ましてや、この不安定な世の中においては。


今日はここまで。

わたしの、ごくごく個人的な備忘録。

明日からもまた、せっせと水やりを続けます。

※画像はみんなのフォトギャラリーより、askad様の作品をお借りしました。

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