最近の記事

僕とユズ風呂と

最近、よくユズ風呂に入っている。 もともとユズの香りがすごく好きで、ユズラーメンとか柚子胡椒とか食べがち。 きっかけは、マンションの入り口に竹籠に盛られた三十個くらいのユズがあったことだった。「キズありです  ご自由にお持ちください」の手書きの張り紙とともに。 僕は周りをさっと見渡して誰もいないのを確認して、さっとコートのポケットに一つ忍ばせる。 だって、顔も知らない隣人が僕を見たら「この人ユズ風呂に入る人だな」って覚えられちゃうじゃん。自意識過剰なのかもしれないけど。

    • 新人

      新人になった気分だ。 転職して3ヶ月目。異業種異職種の転職をしたけど、これほどまでに自分が前職で培ったスキルが活かせないとは思ってなかった。 5割くらいは使えるかなと思ったけど、2割くらいしか使えなかった。 たぶん、採用するほうも5割くらいは使えるんじゃないかって思って採用したと思うけど、そうはうまく行っていない。 しかも、自分があまり得意ではない仕事に挑戦している。なおさら難しい。お客さんと会話して、信頼関係を築いていって、成果を出すってこんなに難しいんだ。 前職

      • 「好き」を増幅させる

        僕には好きなことがたくさんある。 音楽ライブ参戦、相撲観戦、将棋、ギター、ボドゲ、株、読書、卓球、写真、麻雀、コント鑑賞、渓谷巡り、神社巡り。 僕を知る人からは、「多趣味だね」なんて言われたりする。自分ではそんなに思わないけど。 ただ、「好きなことがたくさんある」と言えるのは、自分が意図的に「好き」を増幅させるようにしてきたから。 「いいな」を「好き」に変える日常のなかで、趣味までいかなくても「これいいな」と思ったり、「こういう時間の過ごし方が好きだな」と思うことはだ

        • AI化時代の勝者になるには ― 競争の構造の変遷からの考察

          第一章:Before IT ― 『競争の戦略』に描かれた工業化の時代『競争の戦略』(マイケル・ポーター、1985年)で描かれた世界は、Before ITの世界と言っていいだろう。1985年とは、ちょうどマイクロソフトが上場した年だった。そして、プラザ合意が発表された年だった。 当時は電気産業・自動車産業が世界経済における競争の中心であった。長く続いていた日米貿易摩擦も、1970年代は鉄鋼や家電、1980年代前半は自動車がターゲットであったことからよくわかる。 『競争の戦略

        僕とユズ風呂と

          死を感じながら、僕は生きている。

          死の匂いは、あらゆる日常に漂っている。 片道三車線の交差点。流れるプール。古びたコンクリで舗装された山の崖に面した道。解体工事中の雑居ビル。 全部ぜんぶ、死の匂いがする。 これらは日常の中の突発的な死の予感だが、誰もが歩んでいる死への道のりのショートカットも存在する。 胃がん。タバコ。極度のストレス。運動不足。 日々生活していく物事の陰に、死は潜んでいるのだ。 僕は小さいときから、日常に死の匂いを感じていた。何の感情もなく、ただニュートラルに。そして奴が近づかない

          死を感じながら、僕は生きている。