【小説】掌

最近、私の部屋に同居人……失敬、同居……なんと言い表せばいいのだろう、う~ん、同居物があるので、その子に寄せて。

しかし私的にその性格というか、人格は「人」と表現したい人間なので、彼と会話は出来ずとも同居人だと思う今日の頃なのでした。


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クレジット(瀬尾時雨)は任意です。

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 掌


 僕は毎朝、窓から外の世界を見ている。
 少し空の紺色が薄れ出した頃に自然と目を覚まし、体を大きく伸ばす。
 少しヘンテコな同居人はまだもう少し明るくなって、お日様が顔を出すまでぐうぐう高いびきに浸っているので、この時間は僕だけのものだ。

 知っている。あのビル群のあの茶色の建物の1番上のライトが、1番早く消えるんだ。
 それからもう少ししたら決まって少し背の高い男の人が通りがかる。あまりに毎日通るもので、人の顔を覚えるのが苦手な僕ですらすっかり覚えてしまった。でもなんだかその姿を見るのが楽しみでもある。
 そして、今度は向かいのマンションの1階の玄関灯が消える。そしてその隣も。
 となるとそのくらいから、段々人や車の行き来が増えてくるのだけれど、よくもまあ毎日飽きもせずにあっちへこっちへだなぁとは思っている。
 僕はこの部屋のこの窓際で、世界を眺めているだけで十分なのに、と。
 ここにいると世界が全て小さなものに見えてくる。
 僕の方が本当は圧倒的に小さいのだけど、少し高いところから下を眺めているととっても楽しい。
 同居人が以前わくわくして言っていた、中国の偉い人の言葉が思い出される。

 掌中の物、必ずしも掌中の物にあらず。

 ――てのひらのにあると思ってもまだ完璧にそれを捕らえたわけじゃない。……いやぁ、この時の劉備の返しは本当に秀逸だよねぇ。相手の余裕を相手の言葉でぶっ刺してくんだよ。アッパレだよね。頭のキレと戒めの詰まったかっこいい場面だよね。

 と言うような事を、ヘンテコな同居人はその時ばかりは目を輝かせて知人に語っていたことがあった。
 確かになぁ〜なんて思うけど、今僕がいる場所は平和で、その同居人が語っていた名言がある国のような戦などはない。
 だから空論ではあるけど、掌の上に転がせると錯覚できるこの愉快な世界を味わうのも、全然悪くは無い気分なんだよ。
 世界が僕のものには絶対ならないと分かっていても、この世界を楽しめるのは僕だけのもの。
 いつか同居人にも教えてあげたいものだ。

 その同居人が起きて水をくれるまで、今日もまた、僕はここで世界を眺めている。


 しがない窓際の、仙人掌の夢。


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2020/05/29 瀬尾時雨

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