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小説『魔物』(作:親王)

 雪が降るキャンパスを、僕は足早に歩いた。先へ先へと足を伸ばして、冷たい地面を置き去りにしていく。

 すでに積もった雪は植込みの石段沿いに白い山脈を作っていて、視界の端に触れては過ぎていった。

 授業が終わったら食堂に行って、昼食を食べたらインターン先に向かう。インターンで経験を積んだら良い会社に入って。良い会社に入って高い給料をもらって。高い給料をもらって、幸せに暮らす。

 僕の人生設計には、一ミリの無駄もない。授業だって未だにA+しかとったことがないし、インターンだって順調だ。来たる再来年の就職活動を見据えて、僕は着実にその土台を整えている。

 行く道を阻むように、雪は正面から僕に降り注いでくる。顔面に降りかかってくる雪を、僕は首を振ってふるい落とした。

 かぶりを振って顔を上げると、講堂が目の前に立っていた。冠のように尖った塔は灰色の空に臨み、小窓のなかには暖色系の灯がともっている。雪国の教会のようにあたたかい包容力と、堂々たる迫力を見せてる。

 視界に数人の男たちが入ってきて僕は我に返った。いつの間にか立ち止まって、講堂を眺めていたらしい。

 男たちは金色の混じった髪の毛を振って、むだに大きい声で名前を呼んだり、笑いあったりしている。

 僕は男たちから視線をはずして、講堂の脇の食堂へつづく道へとすすんだ。そのときだった。

「あ」

 声が出たときには、もう遅かった。踏み出した足が氷に滑って、もはや制御を受け付けない。上半身を置き去りに足だけが前に滑って、すってん。僕はしりもちをついて転倒した。

「大丈夫っすか」

 さっきの若者のうち一人が、駆け寄ってきた。金髪の混じった髪の毛に、こんがりと焼けた肌。赤いジャンパーが、彼を余計大きく見せているようだった。

「ありがとうございます」

 僕は彼が差し伸べてくれた手を握って、立ち上がろうとした。そのとき、彼の背後の巨大な魔物が目に入った。

 魔物は鬼のようなおどろおどろしい角を持っていて、まん丸い一つ目でこちらをぎろりと睨みつけていた。その下の小窓からは炎の光が漏れ、無残な焼却を予感させた。

 僕はそれが恐ろしくてたまらなかった。

「大丈夫です、大丈夫です」

 僕は手を差し伸べてくれた男に繰り返し、さっさと立ち上がってその場を去ろうとした。一刻も早く、あの魔物の視線から逃れなければ。

 足を速めた。ネコの傍らを過ぎるネズミのように、魔物とは目を合わせずに食堂へ続く小道に入った。

 背後から、さっきの男たちの声が聞こえてきた。機嫌のいい声を出して、高らかに笑いあっている。

 彼らには見えないのだろうか。

 僕は笑い合う彼らを振り返った。

 彼らには見えないのだろうか。我々を見下ろす、あの大きな魔物が。それとも、見えていて見えないふりをしているのだろうか。あるいは――

 胸の奥がぐっと締め付けられた。季節外れの汗が、こめかみから滴った。

 見えているのは、僕だけか。