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“楽しい“と知らない限り、なんだとしても楽しめない

楽しむことは、子どもの方が良く知っている

大人になると、自分の本音を隠して、周りの環境に合わせて生きていかないと、いけないような時がある。

つまり、楽しさを捨てて、波風立てないことがある種の「正義」として成り立っている。特に日本社会は。

そのため、自分が好きで楽しいと思うことを生活の中心におくことができない人が増加してしまう。

その例としてあるのが「仕事」だと思う。

仕事をしてきて、楽しいと感じながら、それがお金になることがわかっている人は働くことが楽しいと思えるでしょう。

ただ、ほとんどの人はそう感じることができていないと思う。あくまでも「生きるため」になっている。

お金を稼ぐこと、働くことが楽しいと思える環境を作りだしていない社会に影響があると考えている。


働くことと、お金を稼ぐこと

仕事なんだから、真面目にやる。
そのためには、楽しさも笑顔もいらないと昭和時代の根性論みたいなものが、まかり通っているのかもしれない。

ても、楽しくないモノは楽しくない。
それには変わらない。

「仕事は楽しくないモノだ」という昔の考えをいつまでも伝えていくのはどうかと感じている。

仕事こそ、楽しいモノになるべき。
そういった環境があれば、もっと幸福感が溢れる環境を作り出していけると思っている。

と、そう考えたとき、
ギャンブルは楽しいモノだよなと思う。
だから、成り立っている。


ある意味、世の中も「ギャンブル」なのさ

結局のところ、お金を稼ぐため、生活をするために仕事をする人が普通。

仕事をしていても、生活するだけのお金しか稼げない人だっている。それを覆してくれる可能性のようなモノとして、ギャンブルがある。

ギャンブルが浸透しているのは、お金がすぐ手に入るチャンスがあるから。

例えば独身なら、月20万円以上のお金があれば、ムダ遣いをしなければ生きていけるだろう。それ以上にお金を瞬間的に手に入れるには、ギャンブルが一番魅力に感じる。

そのため、ギャンブルが成立する。
楽しいこととわかっているから。

その部分を普段の社会でも浸透できるかがポイント。
別にギャンブルを後押ししているのではなく、それくらい興奮することが日常でも良いということ。

だって、楽しいとわかっているのだから。

・・・

仕事をしていて、ギャンブルのように大金が入るのならやる必要はないかもしれない。

でも、一般的には確率は少ない。
そして、収入も少ない日本社会なら尚更だ。

まぁー結局は、どっちをとっても、
ギャンブルなのかもしれない。


「楽しむ」ことを知る。そして、それに包まれる時間を作る。

世の中自体が「ギャンブル的要素」が強い時代。
誰も答えなんてわからない。

なら、自分が「楽しい」と思うモノを信じ、貫くしかない。

自分のことだけは曲げないで生きていくしか、もう楽しくないから。他人の言うことは無視してもいい。

大した話でもないことがほとんどだから。

生きていて納得できることで、
時間を満たしてください。



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