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帰って来れる場所

みなさんにはどんな居場所がありますか?

まぁ、例えば、自分の自宅とか、友人、知り合い、恋人の自宅。公共施設とか公園、自分が活躍している場所などが考えられると思います。誰かがいてくれる、ペットなど何かが待っていてくれる「安心感」はとても大事で必要なことだと思います。

居場所っていろんな意味があると私は思います。ひとつは言葉のとおりに環境や土地、家、学校などの「見える居場所」があると思います。


それともう一つは人が創り出す「見えない居場所」があると思います。人自体は見えていますが、その人たちと創り出す時間や価値観、空気感は決して見えることがないモノだと思います。しかし、この「見えない居場所」がなければ私たちはつながりを持つことはできないと思います。

「見える居場所」と「見えない居場所」が混ざりあって、私たちは「素」の自分をさらけ出すことができているのだと思います。



今回はその「見えない居場所」と「素を出す必要性」について書いていこうかなと思います。


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本来なきゃダメな場所

この「見えない居場所」を包み込んでいるのが「自由」であると思います。その場所で自由にしていい自由に自分を振舞うことができるから自然と人との距離が近くなり、それが信頼や絆に繋がっていくモノだと私は思います。

このことって大人になるにつれて、忘れてしまうというかいつの間にか考えなくなってしまうというか、そんな感じがしています。特に社会人として生きていれば、いろんな経験を重ねることによって自分の経験値が上がっていくと思いますが、その状態は本当に「本来のあなたですか?」と思ってしまいます。人前や社会に出る時に「仮面をしていませんか?」と思ってしまいます。


過去に『自然体』という記事を公開しました。

この記事は、「心から大切にしてくれる人」の前では自然体になることができると思いますが、普段の生活、日常で出来ていますかと考えた記事になります。あわせて読んでもらえればと思います。


「居場所」にも「自然体」にも共通するのが、仮面の存在ですね。これが私たちの人格を隠し、本来の自分を塞いでしまう要因だと私は思っています。

人生を過ごす中でいろんな経験してくると、その場の状況にあわせようとして自分の感覚や価値観を一度、放棄してしまい「自分を隠してしまう」行動をとってしまうと思います。


私も過去には自分を偽っていた時期があったと思います。その時はすごく苦しかったし、「これが本当の自分なのか?」と何度も自問自答していた時期もありました。

私自身はその場所から開放された時に、根っこにある自分の気持ちは間違いではなかったと確信しました。普段から自分を自由にさらけ出していいのだと思いました。それから私はどの状況においても、特別、気負うことなく自分の感情を信じるようにしています。どんな相手にも言いたいことはいうようにしています。


自分にウソつく方がつらいから


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でも、きっと、自由の基礎は子どもの頃にあるのだと思います。ただそれを忘れているだけのことだと思います。考えてみてください。子どもが遊んでいる時「すみません、遊んでいいですか?」なんて聞かないですよね。遊べる場所を見つけたら一目散にその場所めがけて走っていきますよね。小学校くらいの年齢のお子様を持たれている親御さんならその気持ちがわかるのではないでしょうか。

しかし、それこそが本来の姿だと私は思います。それを悪い方向に誘導してしまうのが大人です。それは「周りを気にするから」です。世間体や立場を気にするあまりにいろんなところが気になりはじめてしまうのだと思います。そのことはあまり気にしなくていいと私は思います。なんでも気にし始めるとあらゆる可能性を失いかねないと思うからです。

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自由によって生み出されるのが「創造力」だと思います。それは「居場所」がなければ生み出すことは出来ません。自由に自然体だからこそ生み出されるのです。

子どもの教育方法で「モンテッソーリ教育」というのが注目されています。この方法は簡単に言えば「子どもたちの創造性を守り、育てるモノ」だと私は思います。この感覚が大切だと思います。


大人にしろ、子どもにしろ、その環境、居場所が大切になってくるのです。


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たくさんの居場所を作る

たくさんの居場所を作ることで自分の能力をさらに引き上げることができると思います。いつまでも同じ場所で止まっていたら、思考も価値観もずっと同じのままです。

人間は常に変化を求めないといけないモノだと思います。日々、成長していかなければならないのだと思います。

そのためには変わっていくことが大事になると思います。

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居場所というのは「自分の力を自由に開放できる場所」だと私は思います。そのためにはまず、自分にあった環境を見つけることが大切になるのだと思います。つらく、苦しい場所にいても自分の力を開放することはできません。まだ、仮面を被っている状態です。

もう仮面を被る必要はないのです。自分の素の気持ちを出していいのです。思ったことを言いましょう。思った行動を取りましょう。


それで大丈夫です。自分らしくいれるのであれば


それをつなぎあわせてくれるのも「人」です。

「最後は、人」の存在を忘れてはいけないということですね。



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