アートは孤独であって欲しい

ちょとクソ真面目なタイトルだけど、ある人からの質問で、あまり気にしなかったことを考えてみたので書いておこうかと。

自分にはありがたいことにSNSで長らく繋がってくれている「まだ見ぬ友」がいて、多くはないもののメッセージで言葉を交わしたこともあり、いつも自分のポスト(写真)を見て、自動的かも知れないし、本当に気に入ってくれたのかも知れないけど「イイね」をもらってる。
ポストした内容によってはメッセージで「今日の写真はどうやって撮ったんですか?」なんて質問ももらったり。
逆に自分からもコメントやメッセージすることもあったり。

写真を撮る時って、毎回誰かと出かけてる訳でもなく、いつも一人。
自分にとって、写真を撮ること、試行錯誤すること、イメージを明確にするために音楽だったり、昔の映画だったり、好きな絵画だったり、自己練磨でもあって、自己探求というふうに捉えてる。
だから、そこに自分以外がいるのはかえって変。
技術的なことを調べたりってのも、自分は自分で試行錯誤してきて。
というか、カメラって奥深いものではあるものの、メカとしてのカメラってそんなに難しいものでもないと思っていて。
買ったばかりの時はYouTubeを見たこともあるけど、やればやるほどに自分が知りたいと思ってたことはYouTubeや雑誌にもないし、まぁ、シャッタースピード、絞り、ISO、WBのBasic4を最低限コントロール、プラス色温度が基本な訳で。
むしろ自分には初心者はまずプログラムオートから〜なんて流れが面倒で。
外にあるものをアテにしても、逆に合わないこともあるって思い。
まぁ、もともとスクールでなんか学ぼうみたいな感覚とか、雑誌や本見て勉強〜みたいなものも苦手で。
自分でやるしかない訳で。

個展やグループ展にも行くようになって、SNSで繋がってる人の作品を見ることができて、相互フォローするようになって4年?経過して初めてご対面したり。
そうやって、何人かと直接顔を合わす機会があって。
否定する訳でないんだけど、大体の人は何らかの写真、映像系のサークルやグループに属してて、Kazzoさんも入らないんですかー?なんて聞かれたり。
ええ、入りたくないんです。

理由は簡単、2つだけ。
やっぱ写真でも絵画でも、造形美術でも何でもアートは一人で探求するべきという考えがあるのです。
なんで?と言われると、答えに困るんですが、頑なにそう信じてる自分がいます。それだけ。
で、その信念は自分を悩ませたりするんだけど、必ず自分に返ってくるのが自尊心です。自信ではなく、自尊心。
自尊心は他の誰からも得られるものではないし、与えてもらうものでもないんです。*
もう一つの理由はアート世界にピラミッド社会構造は要らないと思ってます。それだけ。
それは社会の中で十分じゃないですか?
出会った人たちの口からは、「サークルに入ってて楽しいけど」

けど?と突っ込んでみると、
やっぱ好きな写真家さんのファンで出来てるサークルだから、ちょと息苦しさがあるようで(細かいことは書きませんw

先生に気に入られないといけない感が強くてしんどい
先生出したものは全部買うよね?感がしんどい
同調圧力のせいでやめられない
ちょと宗教みたいなところはある、と。

やっぱりそうなるよなぁぁぁあ〜〜!なんて口にはしないものの、心の中では大声でw

人によっては、コッチのサークル辞められないから、他のサークル入って「いま、そっちが忙しい〜」なんて言い訳したり。なんだかクソ面倒臭いの何の。

社会人になってから友人を作るというのって、なかなか難しい側面があって、友だちって、何かきっかけがあっても、そこから広がっていくもの。例えば、学生の時スポーツやっていて、そこで知り合って、勉強だったり遊びだったり、バカな話をしたりして、いろんな「共有体験」が増えて、そこに辛いことだったり、しんどいことだったりも含めて、いわゆる喜怒哀楽を共に経験していくことで、深まるものがあるんだけど、社会人サークルやサミュニティを通じて、そこまでの深いつながりを持てるかどうか、分からないものだと思う。
でも、これは友だちを作ることについての話。自己表現としての写真活動というものを考えてみると、ちょっと違う・・・。

ビジネス、金儲けって点では写真家が主催のサークルはありだと思う。言い方悪いけど、喜んで金落とす人たちいるから。気に入られたい気持ちを煽るほど、金になるから。アイドルとファンとの関係と変わらないような。
ちょっと意地悪な言い方で申し訳ないけど、でも、世の中ビジネス。金になってなんぼですから。
自分はそういうセンスもないし、そういう稼ぎ方も自分にはピンと来ないのでやらないだけで。

って本線から脱線しましたが、要するに自分自身の中にあるものを外にしていくプロセスなので、孤独というか、独りでやるのは当たり前なんだと思う。形にする途中で技術的なことに触れざるを得ないこともありますが、それは表現したいもの、そのものを変えてしまうわけではなくって、あくまで生み出すまでの途中の地点で、「場合によっては」発生するというもの。

芸術表現は、自己探求だと思っています。写真という写す行為が、自己表現という矛盾をはらんだものであっても、十分自己探求だと思うのです。そういった意味では、写真も孤独であって当然だと思うし、孤独であって当たり前。

まぁ、だからと言って、サークルやコミュニティに入っていることを全否定するわけではないのですが、もし、息苦しさの中にいるのであれば、そこから出て、孤独な道に進んでしまったほうがいいのでは?と思ったり。




*自尊心について
親や周りから自尊心が高まるような言葉を聞かされ育ったとしても、それは自分で獲得した自尊心ではなくて、それはどちらかと言うと、言われた言葉の検証ではないかと思うのです。悪いことではないです。ですが、自身で獲得した自尊心に勝るものはないと思います。言い方悪いですが、親の言葉でも、所詮人の言葉なのだろうと。


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