個人競技歴8年が団体競技を5年やってわかったこと

まずは自己紹介

4才~12才まで水泳

6才~12才までボウリング

12才~引退までハンドボールをしていた。

まあつまり、個人競技にどっぷりつかってから団体競技に足を突っ込んだわけだが感じることがあるから書いてみた。

個人競技時代

水泳は正直やらさせていたものだからかラスト1年までは全く伸びなかったが最後には100m個人メドレー1分35秒までは行った。

ボウリングは自分が望んで始めて6年間、中学受験をするまで本当に楽しかった。やる気は実績に繋がってくれたし、それゆえに受験後の自分の実力にきれいに見切りはついた。

団体競技を始めて

中学になってハンドボールを始めた。その学校は県で1勝が関の山といった学校だった。自分の代には7人(2増えて3減るが)がいた。経験者は3人で確かに未経験でも差はよーくわかった。

中学では2年の後半からスタメンで、高校は1年は交代要因で2年からスタメンになり3年が引退した直後に自分は控えになった。

ハンドボールはそんなうまくないと思っている。自分のポジションとして出来るのは左45のロングシュートくらいのもんだ。しかも練習でも試合でもとことん入らない。

まあそんなこんなで高校2年の夏にスタメンを下ろされたわけだ。ここで普通の人なら「悔しい」って感情が湧くはずだが、僕には「試合出なくてもいいのか…」という安堵が混ざっていた。

僕はプレッシャーにはとことん弱い質だと思う。ボウリングも最後の大会は優勝したものの前半は勝って当たり前のプレッシャーでボロボロだった。

プレッシャーを団体競技の試合で初めて味わった訳じゃない。

けれども団体競技のプレッシャーは個人競技のそれとは僕には雲泥の差があった。

先輩達の引退試合に出た時は正直出たくないなーって思った。中学の自分がスタメンの試合でもしんどかった。なぜか?

それは、自分のプレー・ミスがチームという一団に降りかかるからだ。ライトノベルとかにあるミスを仲間が取り返してくれるなんて甘い物語は現実にはない。接戦なんて絶対出たくない。自分の何気ない1プレーが誤ったものでそのせいで負けるかも、といったものが頭から離れない。

個人競技はいい、全部自分の責任になるしそのミスで本当に悲しむプレーヤーは自分だけだ。けど団体競技は違う。自分のミスはチームに繋がる、その敗北で悲しむのは自分だけでなくチームみんなだ。他人を自分のプレーが傷つけるかもしれないなんてそりゃあいやだ。しかも嫌いでもなくずっと一緒に続けてきた仲間を傷つけるかもしれないんだ。オレにはできん。

心が弱ぇって言えばそれまでだ。けれど無理なもんは無理。練習だけしていたいとかいう意味不明な思いがあったりもする。大会前はだいたい憂鬱だ。

まあ個人の主観として個人競技を最初に初めてずーっとやってるやつは団体競技向かないと思う。ずっと団体競技やってるやつは多分小学生くらいのときにその辺の図太いメンタルがある。けど個人競技にゃその図太いメンタルは必要ない。必要になってもそこから作るのは結構きつい。

それでも団体競技やりたいなら1つ

ミスは振り替えるな

1度振り替えったらもう戻れなくなるぞ。

こんな風にな