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なぜ我々は疲れているのか―Takibitoの目指す”オルタナティブ”SNS

Takibitoの開発に関わっている小川と申します。今回は私の観点からTakibitoについて話をしようと思います。

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息苦しいSNSたち

SNSは自由だ、とよく言われる。自分の興味がある内容、疑問に思っていること、夢、そういったものを自由に話せる場だという認識が大勢を占める。

しかし、果たしてそうだろうか。

私はSNSほど不自由な場所はないと思う。常に他者が自分の発言に目を光らせ、批判を行おうと身構えている中で、ユーザーはポリコレ的に正しくあろうとしつつ、如何にしてバズるかに日々囚われ、やりたくもない誇張や嘘で脚色し、外部に向けて「自分の意見」を発信している。

その「自分の意見」が、本当に自分が話したかった内容とは乖離があることは明らかだ。
そして、この乖離こそが、SNSに囚われた我々の、最も悲劇的な要素だと思う。

それは何故かというと、自分自身に嘘をついているからである。自分の思う自分の価値を下げる行為だからである。外部に認められるもの、外部の要求するものを誰もが追い求めるあまり、自身のこれまでの体験に根付いた自分だけの意見というものが発せられなくなっているし、そういったものを大切にしなくなっている。結果的に発信されるものと自分の意見には何らかの乖離があり、自己顕示欲や外的圧力がさらにそれを増長する。
自尊心は知らず知らずのうちに傷つけられていく。
乖離が一定の閾値を超えたとき、こころは破綻する。

外的圧力により自分の行動やアウトプットが本来の意思から外れた歪んだものになる、という構図はSNSに限らない。

自分自身の目標もないまま親と先生の期待のためだけに進学校で100点を目指す子供たち。キャリアのためだけに使われる大学合格実績や大手企業への就職経験。上司に怒られないようNOとは言えないエリート官僚たち。上述した不自由さはSNSに限った話ではなく、社会そのものにも当てはまる問題なのだ。自由な発言が許されているはずの日本が、同調圧力や本音と建前文化により構成されているのはなんとも皮肉な話である。

このような息苦しさから人々を解放するような、これまでにないプラットフォームの提供が、Takibitoの目標だ。

焚き火の力を借りてこの社会の隠された本音を照らしていきたい、という旨は、すでに前回渡邉さんが述べられているのでそちらもご確認いただきたい。

Takibitoは何をするのか

では具体的にこの問題の解決にはどのような方法が考えられるのだろうか。

我々がTakibitoに組み込もうと検討している手順は二つある。

①:客観的な自分自身の状態や心境、行動の内省
②:①と外的圧力との乖離に立ち向かっていくための自尊心の醸成

乖離がある、と聞いたところで、自分の内に存在する「こころ」が何者か分からなければ、どのように外の社会と乖離があるかわからないし、問題解決の足掛かりにもならない。
①は前回の投稿でセルフリフレクションとして紹介されていた内容であり、心の中のモヤモヤを形にしていく作業だともいえる。上述の通り、個人の意思決定に外的要因が大きく関与してくる現代社会においては、そもそもこの行為すら難しい。一度立ち止まり、己の軌跡を振り返る経験は、それだけで価値がある。もちろん、心のモヤモヤを急に形にするのは容易ではない。抽象的、概念的、非言語的な質問が第一ステップとしてアプリに組み込まれるだろう。

自分のこころを理解してはじめて、外的圧力との間に具体的にどのような乖離があるかに考えを向けることができる。
そのような乖離に立ち向かっていくとき、我々には何が必要か。

我々はそれが自尊心だと考えている。

人によっては自信や勇気と答える人もいるだろう。大切なのは、自分の意見は外部に通用し、外部もまた自分を必要としているという事実を実感することである。前回の投稿でオープンダイアローグとして紹介されていた内容は、これに該当する。
我々はなぜうつ病になるのかという問いに対する全容的な回答は今なお模索されているところだが、ここまでに延々と述べてきた問題点にその一端があることは明らかだろう。
多くの研究で明らかにされている、うつ病患者が健常者に比べ報酬に対する反応が低く、罰に対する感受性が高いという事実もこのことを裏付けている。
外部は自分の意見や懸念に耳を傾けてくれる、生きてればいいことがあるかもしれない、と本人に寄り添い実感させるプロセスこそ自尊心の回復につながるのだと、我々は考えている。使いようによってはナイフにもなる言語チャットを使わない、音や画像を用いた非言語的コミュニケーションがアプリに実装できないか、現在検討を重ねているところである。

さらに、この①や②のプロセスにTakibitoが寄り添うことにはもう一つ意義がある。
自殺やうつ病一歩手前のユーザーがアクセスできるセーフティーネットとなり得ることである。
自身の行動力が失われているだけでなく、通院に伴う社会的信用にかかわるリスクが存在する中、心療内科や精神科の受診のハードルは依然として高い。アプリケーションの形でそのような人々に居場所を提供することは、そういった文脈においても有用であると考えている。

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今回は以上です。稚拙な文面でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。言葉足らずの部分はまた次の機会に詳しく語れたらと思います。

Takibitoは現在アプリ開発に向けてクラウドファンディングを行っています。
今回の記事を読んで問題意識を持たれた方は、是非とも応援をお願いいたします。
https://motion-gallery.net/projects/takibini

ここでいう応援とは金銭にとどまらず、(クラウドファンディングのリターンに示されている通り、)開発会議に参加いただき個人個人の意見を述べていただくことも含まれています。どうぞよろしくお願いいたします。

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written by Kentaro Ogawa / 脳科学者
東北大学で脳神経科学を学び、うつ病や実行機能への知見を深める。また、ベルギーのKUルーベンにて情動機能をMRIを用いて研究するとともに、自身や日本についての思索を深める。帰国後、脳神経科学的知見の社会への還元を掲げるベンチャー企業に入社。人生への思考力を鍛えるための中高生への座談会にも参加している。レゴが得意。


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