AとB以外をつくればいいだけー

都内某所のレジデンス/シェルターにて、2020年1月16日

(時間)

・「芸術」と「社会運動」ってどう違うのか、違わないのか? 
・海外のコレクティブはどんな活動をしているのか? 
・自分たちが暮らす社会の仕組みが行き詰っていると切実に感じたとき、どうすればいいのか?
・コレクティブ?そしていっしょになにか、やれれば。
・だって隠されているから。なんかそれって「死」がいけない、と言っているのに近い感覚がある。だってだれも死んだことないでしょ。だったらもうちょっとそれを、公に議論できるような、機会とか、装置があってもいいんじゃないかな

ーーー
part1 では、〈VS? Collective〉のインスピレーションにもなったインドネシアのいくつかのコレクティブの話や、コレクティブができるきっかけの話を通じて、「アート・コレクティブ」の生態、あり方について。

/コレクティブとは?/コレクティブはどこにあらわれるのか/コレクティブは困りごとを囲むようにあらわれる

part2 では、もうすこし具体的に、現在検討中のプロジェクト「ライフバトン」のアイデアを語ってもらった。メンタルヘルスや自殺の問題から社会環境にアプローチするこのプロジェクトはまだ準備段階で、ブレインストーミング中の思考をあえて語ってもらったことになる。でもここには、自分や身の回りの人のメンタルヘルスとどのように向き合ったらいいのか、という問いを避けられないものと感じているわたしたちにとって、大切なことが語られていると思う。

/プロジェクト:ライフバトン/ひとそれぞれの文体がある/メンタルヘルスケアのシステム/どこかで暮らすということ/なにかやろうよ

(時間)

新型コロナウイルスの感染拡大で、以下予定のいくつかは中止、ないし延期になったと連絡があった。たいへんな時期だ。でも古びたのはそうした情報だけで、以下のやり取りの核になる部分には、これから先(あるいはいま、ここで)、さまざまな既存の構造を再検討するときのヒントがあるとわたしは感じている。

音声ファイルを書き起こしている数週間、ここで話されていることや、その声じたいに、直接的ではない、励ましのトーンがあるとたしかに感じていた。迂回あり、脱線あり、逡巡あり、段取りの悪さーー〈VS? Collective〉という名前の意味がpart2 でやっと明かされるーー

そしていっしょになにか、やれれば。

Stay Safe,

2020年3月19日 川野太郎

ーーー

中心がない集団=コレクティブのSNS

◆(川野)いまサイトって、動いてないですよね。

(Aki)あれは、ドメインの更新に失敗して。で、追加料金を払わないといけなくなったから。でもただたんにホームページがなくなっただけで、それぞれのSNS――ツイッターとか、インスタとか、フェイスブック――は残しているので。しかもその……コレクティブは、あんまり中心がない感じなので、それぞれ勝手にやってもいいんじゃないかと思って、適宜増えていってる、サイトが(笑)。インスタも三つぐらいあるし、ツイッターも、同じアカウントを複数のひとが更新してて。

◆じゃあ、同時多発でいろいろ起こっているんですね。武漢の写真なんかもありますよね。いま。

それって、ツイッター?

◆はい。メンバーはいろんなところにいる?

なるほど……まあ、篤くん(インタビュアー注:共通の知人。ドキュメンタリー映画作家で、最新作は「フォルナーリャの聖泉」。雑誌『感光』にもエッセイを寄稿している)は、ベルギーに行ってるし、わたしは東京とかインドネシアが多いけど、中国に行っているのもじつはふたりいて。SNSをやりたい人とやりたくない人がいるから、やりたいほうがやってる。で、日本でも、最近別府に移住して、そこでアーティスト・イン・レジデンスをやっている人がいて。その人は去年インドネシアに住んでいて、その前はEUで働いたりしていて、ネットワークをつくっていた。

来月、インドネシアとマレーシアのアーティストユニットがここに一週間ぐらい泊まるんだけど、その人たちはいま名古屋にいて、そのあとに別府にあるコレクティブに泊まって、つぎに東京にきて、それでインドネシアに帰る予定。で、わたしは、来年の四月と五月にインドネシアのジョグジャカルタでスペースをやることになっているんだけど、そのスペースをもともとやっていた人は、在外研修みたいなやつで、オランダのユトレヒトに一年間行くことになっていて。彼は基本的に植民関係と絵画表現との関わりを実作で表現しているペインターなんだけど、もうひとつの目的が、オランダのオルタナティブスペースをリサーチするっていうもの。で、その人が(インドネシアからオランダに)行っているあいだに、自分はインドネシアに行って……みたいな感じで、どんどん共有、交換、みたいなことをしてる。

コレクティブはどこにあらわれるのか
◆そういう活動を一望できるひとつのサイトをつくる必要は感じない?「VS? Collective」っていう、集団としての名前はあるわけですよね。いまのような「共有、交換」にコミットしていない人が見られるようなものは、ない?

例えば、二か月前(二〇一九年十一月)に別府の清島アパートっていうところでイベントがあって――彼らはずっと十年間同じ場所でアーティスト・イン・レジデンス的なアパートをやっているんだけど――そこに行って、彼らのやっていることを教えてもらうかわりに、自分たちがいろいろ蓄積してきたことを交換する、みたいなことをやってきて。で、それはなんていうか、ネットに出しにくい話もけっこうあるんだけど、いろんな。でもむしろ、そこが核だと思っている。

◆じゃあ、そういうイベントとか、じっさい会ったり話したりするときにあらわれる集合体みたいなものなんですね。

そうだね。自分のなかに元からあった要素でも、会話ではじめて引き出されることがすごく多くて。たとえば清島のときは……そこはいちおう「混浴温泉芸術」っていうアートフェスで有名なところ。温泉がよく知られているところで、十年前、別府出身の、海外の現代美術業界で出世した人が里帰りして、別府に恩返しがしたい、みたいな感じでできた。温泉は一〇〇円で入れて、もともといろんな人が、良くも悪くも過去をあまり問われないで滞在できる場所だったから、そことアートは相性がいいんじゃないかってことで、やっていたんだけど。

実際に行ってみたら、そこは現代美術で有名だけど、じつは一般の人たちがけっこういい感じに関係を持っているってことに気づかされた。そのなかには、マージャンとか夜のキャバレーとか、いろんなところに人を連れてったりしてつないでくれる人とか、あとは地域の、ある種つまはじきにされた人たちも、いっしょになって町を盛り上げたりしていて。そういう人たちと話をしてきた。でも、彼らは別にアートがどうとか、そういうのはそこまで興味はない。日本でそういうのは珍しいなと思って。

コレクティブのジャンル
◆いま作っている自分のホームページで、知り合いとか友達のインタビューも載せていきたいと思っています。それで、現時点では自分がいちばん関わってきた文学とかアートだけじゃなくて、福祉とか科学とか、そういういろんな分野を、つねに横断して訪ねていけるようにしておきたくて。最初にAkiさんに聞いておけば、このあとだれに聞いても違和感がないかなって思ったっていうことなんですけど。

(笑)そういう方向にしたいっていうのは……。

◆うーん……いま、環境問題の本を翻訳していて、二月の半ばに、出ることになっているんだけど。それは、自分が翻訳をする入り口になったいわゆる芸術とか文学とはちょっとジャンルが違うと感じていて。狭い意味での「芸術」にたいする「社会運動」というか。でも、実際はどちらにも関心があって、自分の中でその関心は重なっていると思っています。逆にいうと、社会運動と芸術を、対立している概念のように捉えがちなんだなと気づいて。VS? Collectiveは、ひとまず「アート・コレクティブ」と呼んでも差し支えないと思うんだけど、その活動は同時に、社会運動といっても間違っていない、そういう領域にも触れてますよね。だから話を聴いてみたいと思いました。

そうか。一週間前ぐらいに名古屋の愛知県美術館で話をしてきたんだけど……インドネシアのアート業界っていうか、アートワールドについて話してくれって言われて。でも、それはじつは表面的なお題にすぎず。というのも、いまインドネシアのアート業界で注目されているものは、それこそアートという枠を完全に越えてしまっていて、良くも悪くも。もちろん、社会状況が日本とほぼ真逆だっていうことも関係あるけど……ようするに、小さい政府だから。政府がそんなに機能していないから、自分たちでなんでもやらなきゃいけないみたいなのが、すくなくとも一九九八年以降はずっとつづいている。それにアーティストといっても、美術作品だけつくっていても買ってくれる人はそんなにいないし、だから(社会の状況に働きかけることも含めて)「なんのためにつくるのか」みたいなことを自分たちで探すというか。で、けっこういま、むしろほかの、いわゆる先進国とかが、そういう状況にだんだん近づいてきているから……逆にいま注目を浴びてきていて。

で、今度の〈ドクメンタ〉っていう、現代美術のワールドカップみたいなやつの芸術監督もそこの〈ルアンルパ〉っていうコレクティブがやることになっている。なんで、その〈ルアンルパ〉の話とかをすこし、してきて。それがちょっと今日の話にも、関係があるかもしれない。

◆はい。「コレクティブ」と〈ルアンルパ〉について、もうすこし話してくれますか?

コレクティブの説明はすごくむつかしいけど、プロジェクト単位で立ち上がったりとかするグループで、恒常的に活動するのとはちょっとちがう。ひとりの人が複数のコレクティブにも所属できて、コレクティブに所属しているだけでは何も起こらないけど、自分たちでなにかやるときには仲間を見つけやすい、みたいな、そういうメリットがあって。多くの場合は、一緒に住んでいたりとか、もしくは、家族だったりもする。あとはほかの、全然ジャンルが違う人と一緒にやったりすることも、まあよくあると。

〈ルアンルパ〉はそのなかでも老舗というか、二〇年以上活動している、インドネシアを拠点にしたコレクティブです。で、(〈VS? Collective〉と〈ルアンルパ〉は)三年くらい前からいろいろ、お互いの国を紹介したりしていたんだけど、去年の四月と五月に、一週間から十日くらい向こうに泊まって、いろいろ話をする機会をもらって、気づいたことがたくさんあって。ひとことで言うと、〈ルアンルパ〉は、アートがどうとかじゃなくて、インドネシアの文化全体を代表している。たとえば中心メンバーが十人ちょっといたら、そのうち完全にアートの教育しか受けてこなかったみたいな人はふたりぐらいしかいなくて、残りの八人九人とかは、フェミニストだったり学者だったりアクティビストだったりして、しかもひとりの人が、肩書きを二つ以上持ってる。それも適当じゃなくて、どっちも一流っていうか、本気でやってる。で、そういう人たちがあつまると自然とジャンルを越えてしまう。

コレクティブは困りごとを囲むようにあらわれる
◆〈VS? Collective〉についてぼくがなんとなく把握しているのは、いまちょっと話してくれたような、インドネシアでのリサーチがひとつ。それから「Writing Without Teachers」(書くことの機能について、社会的なアプローチもふくめた自由な実践の形を探るプロジェクト。Peter Elbowによる同名の文章指南書をテキストにしている)。あとは、都市のなかでフリースペースをみつけて、それを活性化させるという活動――そういう印象があったんだけど、いま聞いていたら、それを列挙して「コレクティブはこういうことをやるものです」といっても伝わり辛いというか、表面的なのかなって。ようするに、なんか端から見ているだけじゃよくわからなくても、相談すると出現するものみたいな……。

ははは。たしかに。なんか、悩み事とかが中心にあって、それをどう解消するか、を考えたときに動き出すもの、みたいな。

◆うん。

家がなかったら、場所を作る方向に行くし、集まりを作りたいんだったら、まあ、集まりを作る方向にいく。

◆当事者として関わると、はじめてどういう活動体かわかるんですね。

たしかに……なんか、影響を受けている活動がいくつかあって、そのうちのひとつにインドネシアのジョグジャカルタ拠点の〈ライフパッチ〉っていうコレクティブがいて。彼らの――彼らだけじゃないけど――スローガンは「DIWO」(Do it with others=みんなでやろう)というもので。「ディーウォ」とかいってるんだけど……よく「DIY」(Do it yourself 自分たちでやろう)とかいうでしょう。そうじゃなくて、他人を巻き込んでやるっていうことがテーゼになっていて。するとまあ、自分のやりたいことだけはできないから、自然とねじ曲がっていくというか。状況に応じて形が変わるけど、それもふくめていいんじゃないの、みたいな。

◆人が……他人がかかわるとそうなりますよね。

そうだね。〈ライフパッチ〉は――〈ライフパッチ〉の話をし出したらきりがないけど――アートコレクティブとして有名だけど、アクティビスト集団としてもけっこう有名で、それこそ環境保護団体のリーダーとかもやっていたりする。で、じつは彼らが二か月間、四月と五月にここに滞在することが決まっていて。彼らは日本には何回も招待されて来ているけど、日本の……本当の悩みというか、問題がそんなにわかってないという思いがあって、それをわかりたい、って理由もあって、今回くる。でも彼らは、それを解決しようというよりは、それを自分で体験してみて、化学反応が起こればなにかやる、みたいな感じなんだよね。なので、そう……なんなんだろう(笑)。いずれにしても、彼らも自然発生的に発生したコレクティブです。

コレクティブがはじまるきっかけ
◆これ、はじめたのっていつでしたっけ。大学院を出てから?

大学院を出たあと、仕事で、東京のアート業界をリサーチする機会があって。そのときに、東京が――担当が美術・映像っていうめちゃくちゃ広いジャンルだったのも関係あるけど――すごく率直に言うと、つまんないなあと思って。みんな同じようなことばっかやってるなと。でも、そんななかでも、そこから外れる動きをしている人たちが何人かいて……たとえば都市の公園とか公道を勝手にパフォーマンスの場所に変える現代的な方法を実践する――アオキッド(Aokid)とか。太郎くんもきてくれたけど。

◆はい。参加しました、代々木公園のパフォーマンス。

あれは、日本のなかではすごいがんばってるなと思って。

自分はそもそも大学院に来る前は海外ふらふらしてたこともあったし、あとは幸運なことに、仕事で海外のアーティストのシンポジウムの翻訳をするとか、彼らをちょっと案内するみたいな機会もあった。そこから派生して友達みたいになってきた彼らと話をしていると、なんていうか、ぜんぜん違うビジョンでいろんなことをやっているのに気づいて。だったらもう、つまんないことをつまんないっていうのは簡単だけど、そうじゃなくて、実際に彼らに東京のアーティストの友達になってもらったりとか、一緒にイベントやったりとかしたら面白いんじゃないかと思って、やりはじめたら、こんなことになった。

◆うん。

自分もやることになった。他人じゃいられないみたいな感じの関わり方を彼らはしてくるので。「手伝ってくれよ」とか、「いっしょにやろうぜ」みたいな。「なんでやんないの、やるだろ」、みたいな(笑)。

◆(笑)じゃあその、国内のアートに触れていて、課題っていうか、オルタナティブなアイデアが見えたっていうのは、なにがあったからなのかな。つまり、「うーん、どうなんだろう」って思ったところ……。

あー。たぶん、現代美術だけじゃない、映画とかもそうだと思うけど、基本的にゴールが作品になっているように自分には感じられて。作品をアウトプットして、評価を得るのがゴール、みたいな。それは多分日本だけじゃなくて、欧米もわりとそういう傾向が強いと思うけど。でもそう……じつはそうじゃない方法、態度を持っている国とか、アーティストもたくさんいて……とくにあまり経済的に豊かじゃないとこに多いと思うんだけど、たとえば人をつなぎ止めるためとか、自分自身の存在をたしかめるためにやっている人たちもけっこういる。

インドネシアの例で言ったら、インドネシアって国はすごい人工的な、後からつくられたもので、多くの人はインドネシアに、確固たる愛着とかをもっていないんだよね。それは当然のことで、島は何百個もあるし、言葉も三個ぐらい普通にしゃべれるし、人種とかも全然違うし、あと国王もいちおう統治していたりとかして、もう、ばらばらなパーツを組み合わせて強引にインドネシアを作っているから、そこのなかに、自分、を感じられない。もっとたしかな単位としての友達とか、近所とか、自分の部族とか、あるいは地域に伝わっている伝承とか、そういうものにコミットしていて、いまはそれさえ散逸しがちというか、散逸する傾向にある。

で、(インドネシアのアーティストは)そういうものを自分たちで作っている、みたいな印象を受けて。そのための、作ったり紡いだりする道具のひとつがアート。人によってはそれが社会学だったり、社会改良運動だったりするんだけど。それにたいして、日本とかは、美術をやる人はだいたい美術大学を出ていて、しかも卒業した全員がアーティストになれるわけではなくて、美術業界に評価される作品を作った人だけが、作れると。なのでみんな基本的に同じ方向を向いていて、もっと言ったらその先に欧米のアートとか、映画とか美術とかがあって、それに……あわせにいくような作品が評価されるから。だったら欧米行きゃあいいじゃんとも思ってしまうし、映画も昔、一九七〇年代前後ぐらいまでは日本の映画ってかなり評価されていたけど、以降はなんだかんだ、三大映画祭とかに評価されたら、逆輸入で評価されるみたいになっていて、おれとしてはぜんぜん面白くないと思っていた。これは全部同じ構造なんだなと思って。なのでそこ、以外のものに、注目しようかなと思っています。

Part2

プロジェクト:ライフバトン
◆自分が当事者として関わらないと解決できないことを、なんとかしようと思ったときに、質問を投げると出現するようなものとしていま、「コレクティブ」を捉えられると思いました。その点、いま計画中の、メンタルヘルスケアの仕組みを構想する「ライフバトン」というプロジェクトでは、活動の資金を募る、クラウドファンディングという形式も検討していますね。直に出会って対話するローカルな繋がりと言うよりは、ウェブ上にステートメントを出して……一見、不特定多数に語りかけるような形なのかなと思うのですが。

クラウドファンディングはけっこう、取り扱い注意な感じで。あの……〈VS? Collective〉の名前の由来は、VSっていう二項対立があって、それに「?」をつけたのは、AかBかじゃなくてもいいんじゃないかって。

◆はい、はい。

それ以外のを自分たちで作れればいいだけの話だから。で、基本的に自分は……自分もそうだし自分の周りとかコレクティブに関わっている人の多くは、あんまり日本に適応しきれてないと思っていて。理由は、ほかの選択肢を知っているからなんじゃないかと。海外経験があったりとか、複数のジャンルを知っていたりとか、あとは、正常と異常とかの境目に懐疑的な人が多いなと思って。

ライフバトンに関しては、それに加えて、けっこう個人的な経験も関係があって。まず、いままで自殺とか引きこもりとかに関わってきたけど、それはけっこう間接的な関わり方が多かったーーたとえば関係のあるドキュメンタリーを作るとか。寺子屋もやっていたけど、それもべつに二四時間三百六十五日関わっているわけではなかった。そういう気持ちがあって。

で、この社会では一応、自殺って悪いこととされているけど、はたしてそう言い切れるほどみんな自殺に関して知ってんのかなって。だって隠されているから。ちょっと飛躍あるけど、なんかそれって「死」がいけない、と言っているのに近い感覚がある。だってだれも死んだことないでしょ。だったらもうちょっとそれを、公に議論できるような、機会とか、装置があってもいいんじゃないかなと思った。日本で精神科に行くのはハードルが高いし、それに準ずるような「いのちの電話」もパンク寸前みたいな……。

◆なかなかつながりにくいっていいますよね。

よくいわれてるし。しかも内部のひともけっこう疲弊してるっていう話もある。それはかなり不健康だし、まだなんの議論も発生してないんじゃないか本当は、って。

それでいろいろ調べてたら、少なくとも英語圏にはそういうサービスもかなりたくさんあって、ある程度は選択肢として認知されているらしい。で、日本に関しては、自分が調べた限りは、ほぼ、ないと。理由はいくつもあるだろうけど。でも社会の流れとしては、たぶん自分たちがやらなかったとしても今後あらわれるだろうなとも思っています。なので、クラウドファンディングっていう方法を検討しているのは、その議論をちょっと喚起したいというか、社会に問いかけたい、みたいな意味もある。

リターンについても、やるならお金とかモノじゃなくて、「いっしょにやろうよ」っていうのをリターンにしようと思ってて。ふつうリターンってなにかを「あげる」だけど、そうじゃなくて、「一緒に企画と運営をやろうよ」みたいにしようかなと。お金についても、クラウドファンディングっていう形には、投票みたいな部分があるんじゃないかと思って。身銭を切って投票する人とそうじゃない人でけっこう差が出るんじゃないかと。

あとは、やるとしても、支持を集めるためだけにやるつもりはなくて。石を投げて、その波紋見たいからやってみたいところもあるから、賛否両方、めちゃくちゃ大歓迎。むしろちょっと挑発しようとか思ってる。「お前みたいのが無視してるからこういう惨禍になってんだよ」っておれ、本気で思ってるから、そういう感じで……でも、興味あるんだったらフォローすればいいじゃん、みたいな。なんかライブでアーティストがアジってるみたいな感じをイメージしてる。でもおれひとりでやると、たぶん怖い人になっちゃうから――太郎くんはよく知ってるかもしれない(笑)。なので、信頼できる、いわゆる説明が上手なタイプの人にも関わってもらって、バランスを見てもらおうと思ってる。

◆(笑)

けっこういろんな人にも話を聞きにいっているんだけど、あまり……反応は芳しくない。いちおう非営利組織でやろうと思ってるんだけど、「これは金儲けなのか」みたいな反応もあるし。「ほんとにできるのか」みたいな。でもそれは……だれもやってないからそう思うだけであって、もうそういうサービスが十個や二十個ある世界から見れば、べつにそんなのは疑問にもならないと思う。

◆うん。

で、自分のもうひとつの興味として、それを、いわゆる言葉とか音声のコミュニケーションで成立させようと思っている。そうして考えていくと、なんていうか、日本語の特性をあらためて捉え直すことになると思う。日本語ってけっこう、使い方難しいなって。その……あまり自分のことを主張するタイプの言語じゃないし。相手の言っていることにほんとに注意深く耳傾けないかぎり、たぶん相手は聞いてもらったというふうには思えないから。

さらにもうひとつ、じゃあそういうコミュニケーションが、たとえば精神科医とか、ライセンスを持っている人だったら可能なのかと言えば、おれはそうは思ってないので。ここでプロとアマの線引きはちょっと曖昧になるし、病気を持っているひとと病気じゃない人の線引きもけっこう曖昧になる。そういう意味でもけっこうおもしろい装置になるんじゃないかなと思って。

なので別に、自殺をなくしたい、とかがすべてではない。自殺、とか死、とかを、みんなどう思ってんのかっていうのをもういちど考え直すのはどうですかっていう、提案みたいな感じ。

スルーの構造
◆なるほど。

いまはたまたま縁があって自殺という話をテーマにやろうとしてるけど、同じ構造が、かなり他のジャンルにも当てはまると考えていて。「ホームレス」もそうだし「アート」もそうだし、「小説」とかもそうだけど、べつになかったらないで無視して生きていける人もいるけど、でも、実際ある。で、ちょっと関わったら、それはかなり……自分の存在の本質的なことに関わっていると分かるのに、そういう多くのことがスルーされている。それってどうなの? みたいな。たとえばツアーに参加したら、すごい観光名所とか案内してくれるんだけど、そこにはホームレスもいて、ツアーはそれをスルーして成り立ってる。で、あとからそのガイドに普段は何をやってるんですかって聞いたら、「弱者支援」をしています、とかいう。「どの口が言ってんだよ」と思って。さっきホームレスの人がいたときに「臭い」とか言ってたじゃねえかよ、って。でもたぶんその人のなかでは、ちゃんと、違和感なく日常は運行されてるっていうところが、ちょっとやばいなと。自分はそれは、あんまり、無理だなと思う。生理的に。

同じようなことはたぶん、いろいろあって。千五百円払って美術館行っても、出たらもう他のことしか考えてないとか、小説とかも通勤時間しか読まなくて、それが人生とはほぼなんの関係もないみたいな。なんか寂しいなあと思って。だから、その線引きを、もうちょっと解像度高くすることはできないのかなっていう。

ひとそれぞれの文体がある
◆声が届く範囲の差、規模とかは考えますか? それこそクラウドファンディングとか、SNSとか、発表の媒体によって、言葉の使い方とかをチューニングしたりする?

ひとりでやんないで複数でやっているのは、複数でやっていれば、たぶん同じことを語るのに二つ以上の方法を選べると思うからで、伝わりやすい言い方が得意な人もいるし、すごいもう、ひねくれまくっている人もいて、それは……どっちもあっていいんじゃないかなって。

◆はい、はい。

だからそう、SNSとかやっても、すごくわかりやすい言葉で書いたほうがシェアされる確率は高いと思うので、それを選択したほうがいいときもあるなとは、たしかに感じます。でもそうじゃないやり方も残したいなと思うし、個人的にはそっちのほうが向いていると思っているから。そっちを使うかなと。

メンタルヘルスケアのシステム
……でも、元も子もないこともいうと、たぶん数十年経てばできると思ってるから、こういうことは。だってもう、英語圏とかではできているし。昨日も発見しちゃった、めっちゃいいサイト。なんでこれが日本にないのって思うとけっこう悲しくなるけど。

◆えっ、それ、面白そうですね。

そう、だからそれもnoteで公開しようかなあと思って。英語圏にはこういうのがいっぱいあって、アイデアはあるから、それを日本用にカスタマイズしてローンチすればいいじゃん、とか思ってるし。

◆読んで紹介するのとか……。

いいかもしれないね。

いまはそういうメディカル系のテック(技術)が一番注目されてて、お金も集まってるし、普通に政府とかも、認証している。その、昨日見つけたようなのとほぼ似たようなサイトを、去年の十一月にイギリスの保健省が認定していて。イギリスの、国のサイトに行けばそこに誘導してくれるサービスもはじめたりしてる。アメリカも、Googleのアルファベットって企業がめちゃめちゃやばい。フリックの仕方で、そのひとのメンタルヘルスがわかる。

◆すごい、ちょっと怖いくらいですね。

ポップアップを出してきて――もし機能をonにしたらだけど――もしかして最近調子悪くないですかっていって、答えていくと、ほんとに重篤だと思われたら、専門家に繋いでくれるっていうのを、いま、ものすごいお金集めてやっていて。やばいよね。でも、Googleがやるってことはたぶんおれたちの使うスマホとかにも標準搭載されるから……なのでまあ、いまは過渡期なのかなと思ってる。

いまは、いま気づけている問題に関してアプローチしてるけど、たぶんまだ気づけていないいろんな……たとえば、わからないけど、なにかを差別する意識に対してアプローチするサービスとかもできるかもしれない。つまり、いままでほかの領域が担っていた、それこそ芸術とかが担っていたものとかも、他のジャンルが分担とかするのかなあとも、思ったりする。

どこかで暮らすということ
◆そうか……面白い。でも一方でそれは、生態反応をすごく高度に、管理することにもなりますよね。

うん。どうなんだろうね。コレクティブのうちのふたりが一年間中国に行っていて、カレー屋をやりながら移動しているんだけど、中国もめちゃめちゃ大きな政府感を出してきていて。WeChatとかも……WeChatっていうのは、国の認証がないと使えないSNSで、実質、生活インフラみたいな感じになっているんだけど、あれもすべて監視されてるし。信用スコアといって、借金をちゃんと返してるかとか、水道代を払っているかみたいなことがスコアになっていて、スコア次第で利子が免除されたり、使えるサービスが変わったり、あとは借りられるお金が変わったりするんだけど、もう、すべてがつながってる。で、外国人のおれとかが行くと、本当に制限された機能しか使えないから、わかりやすく手足が縛られてるというか、できないことがたくさんあって。まあ、はっきりいって、いやだけどね。すごい違和感を感じた。でも中国のなかには、そのほうが中国には合っているって言っている人も一定数いるみたいで。つまり、性善説じゃなくて、性悪説というか。ほっとくとだめなことするからはじめから規制しとけば悪いことは起きにくいんじゃないか、みたいな。で、それはある種、国家という単位が一番信用している思想とか、価値観を体現してるのかなと思って。日本はまたちょっとちがうのかなとは、まだ思ってるけど。

これからは、そういう環境をどんどん選んでいけるのかもしれない。旅行って単位はすごく身軽だけど、もうちょっと、一年に三箇所とかの拠点を同時に持つとか、交換するとかも可能なのかなと。だから、いちばん意味がわからない時代かなとは思ってるね。

なにかやろうよ
◆昨日の夜はもうちょっとわかりやすい感じでまとまるかなって考えながら寝たんですけど、ぜんぜんそんなことはなかったです。

ははは。え、いっしょになんかやろうよ、イベントとか。連載とか。

◆うん、メンタルヘルスケアのサイトを学ぶのは、面白いと思いました。

なんかね、ほぼ理想みたいなサイトを昨日見つけてしまって。それやるのは、めちゃくちゃ金かかるだろうけど……完全に考えられてて、もう至れり尽くせり。太郎くんにも教えるよ(7 Cups:https://www.7cups.com/)。まじやばいから。ちょっと感動してしまったもん。プロのカウンセラーを通さないで、トレーニングされた一般の人たちが、困ってる人と、まずは音声やチャットでやりとりをするっていうもので。

すごく行き届いているのは、十八歳以下の子供用のサイトがあって。子どもには子供用の繊細なケアが必要だから、べつの入り口を作っている。それがもうすでに大手サイトというか、規模もでかくなってるし、フォーブズに認定されているんだよね。世界を代表するなんとかサイトみたいな。そんなのだって、日本で知ってる人はほとんどいないだろうと思う。

◆おれもはじめて知りました。

けっこういろんな……たぶん、日本でももっとも知っているひとに何人か話を聞いたけど、ほんとにみんな知らなくて、お互い驚く。やばくない? って。だからそういう人とちゃんと話すと、みんな協力しますよって言ってくれるんだけど。おれとしてはそれがいまないってことがけっこう不思議だなと。たぶん他のジャンルでもけっこうたくさん、そういう状況があるんだろうなと思って。

◆領域と領域のあいだに通路がない?

たぶんそうだと思う。〈ルアンルパ〉に行っていちばんびっくりしたのは、〈ルアンルパ〉ってインドネシア……東南アジアではたぶんすごい有名だったけど、いままでも。でも話を聞いたら、十年以上前から、南半球全体のコレクティブのネットワークを作っていて、その言い出しっぺなんだよね。

◆すご。

やば、とおもって。日本て加盟してる? って訊いたら、いや日本はないよ、って言われたから、ちょっと入れてもらったんだよね。それで〈ルアンルパ〉もここに来る。南半球以外ではけっこう例外的に入れてもらってから、彼らから聞くことはまじでやばくて。「じゃあ今度東京来てもいい?」っていうから、「なにしに来るの」って訊いたら、「難民の人を助けるアプリを開発するから、東京に少しだけ滞在して、人と会いたい」っていわれて。彼はそれを「アートピース」って言ったからね。日本だったら多分、社会支援とか言うでしょう。ちがうから。「楽しいからやってる」って言ってる。そういう世界観なのに、日本だとそれはたぶんアートとは言われないし、資金調達もすごい難航するだろうし、だからどんどん無視される。それちょっとやばいだろっていう。

なんかね……いま、やくざとか不良とかもそうだけど、行き場所がないと地下にもぐるじゃない。今回自殺とメンタルヘルスケアで考えて、いくつかベンチマークがあって。ひとつはいのちの電話なんだけど、もうひとつが、Twitterで、自殺する人を募る、みたいな動き。TwitterのDMで、表には出ないけど、自殺を助けてくれる人とか、一緒に死んでくれる人募集、みたいな。で、話を聞いたら、知り合いがそういうのに関わってた、っていう人もいて。エリートというか、いま普通に社会的にちゃんとしてる人たちの、大学院時代の同級生とかが、そんな感じだった、とか。最近の話だけど。でもたぶん、そんなのたくさんあるなと思って。

◆うん。

いま引きこもりの子のスカイプの家庭教師をやっているんだけど、その子、十二歳だけどめちゃくちゃ面白くて。まずTwitterのアカウント九個持ってて、それを使い分けまくってて、おれと話しながら、スカイプやりながら、Twitterやりながら、勉強してる、みたいな(笑)。意味分かんない。でも、彼にとってはそれがリアルだし、これからはもしかしたら、ある種の人はそういう方向にどんどんいくのかなって。てなると……なんだろうな……人は一個の仮面というか、人格だけですべてを運営しているわけじゃないから、おれも元気なときはいいけど、そうじゃないときは精神的に苦しくなるときもあるし、そういうときに、ポンって後押しがあったらけっこう簡単に自殺しちゃうんじゃないかなって。

◆うん、うん。

で、そうじゃない選択肢をもっと、気軽に、アプリみたいな感じで知ることができれば、他の可能性もあるんじゃないかなって思ったのも、きっかけのひとつだった。


プロフィール

VS? Collective/Aki Iwaya 
〈VS?Collective〉(2017ー):

「オルタナティブ=二項対立に与しない選択肢」を生成するため、「社会と文化を繋ぐための戦術」を国内外から収集しつつネットワーキングしている。「弱さ」「人類学」に学び、培った知恵を多分野へ掛け合わせることで、「公共」「人間」を再定義する実践&共有&アーカイブを継続中。また、国内外のオルタナティブスペースや路上や公共空間や住宅等で、人の交流やゲリラ活動が発生する場の企画・記録撮影やレクチャー、コンサルティングも行う。

https://www.facebook.com/vscollectivealter/

contact: vsvscollective@gmail.com

Aki Iwaya:

2013年から2016年にかけて『寺子屋』(不登校児等へのメンタルサポート、高卒認定資格授与&駆け込み寺シェルター)を運営。並行して、寺子屋やシェアハウスや大学等で対話志向の多分野混合イベントを多数開催。平成27・28年度 (公財)東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京調査員(美術・映像及び、芸術文化による社会支援助成分野)。映画『三里塚に生きる』『私たちに許された特別な時間の終わり』『サロメの娘』『Gis』等の制作・配給に参加/日英翻訳に「International Symposium for Media Art "Art & Technology" @ICC」(国際交流基金アジアセンター・アーツカウンシル東京共催)。『Writing without Teachers -second&new edition-』(Peter Elbow著)邦訳準備中。

ハフポスト連載:https://www.huffingtonpost.jp/author/aki-iwaya/

川野太郎:
翻訳業。リトルプレス『感光』編集・発行人。訳書にスティーブン・P・キールナン『長い眠り』(西村書店、2017年)、ヴァレンティナ・ジャンネッラ著、マヌエラ・マラッツィ絵『グレタと立ち上がろう 気候変動の世界を救うための18章』(岩崎書店、2020年)、共訳書に『O・ヘンリー ニューヨーク小説集』(「青山南+戸山翻訳農場」として、筑摩書房、2015年)、ロバート・シェルトン『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』(ポプラ社、2018年)など。
ホームページ https://riversfields.jimdofree.com/

©Aki Iwaya, Taro Kawano


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