見出し画像

きらめく君と、どうかずっと

2021年2月15日。七五三掛龍也くん、入所12周年、おめでとうございます。12年前のしめちゃん、アイドルを志してくれてありがとう。折々に迎える岐路のたびに、アイドルを続けることを選んでくれて、ありがとう。しめちゃんがこの12年間、アイドルを続けてくれたから、私はしめちゃんと出会って、しめちゃんを好きになることができました。しめちゃんを好きでいることは本当に本当に楽しくて、しめちゃんを好きになってから、私の毎日には新たな色が加わりました。

しめちゃんのことを好きになった当初、その人となりを知りたくて知りたくて必死だった。分かりたくて知りたくて、たくさんのことを調べ、しめちゃんのことをひたすらに見つめてきた。今は、少し肩の力が抜けたようにも感じている。分かりたい気持ちも知りたい気持ちももちろんあるけれど、年月の経過と共に変化があるということや、彼が私たちに見せてくれているのは彼自身がこちらに「見せていい」と判断した姿だということ、そもそもの発信がこちらに届くまでのタイムラグ、諸々を含め、どんなに好きで好きでたまらなくても、知らないことや分からないことは、絶対にある。むしろ、どこまでいっても知らないことや分からないことだらけなんだと思う。だから、私の瞳に映るしめちゃんの愛しいところ、可愛いところ、かっこいいところ、だいすきなところに、変わりゆくこと、分からないこと、知らないこと、そして、それらの存在を含めたしめちゃんの中にある混沌を、混沌のまま愛していきたいな、と、思う。

25歳。日々経験を積むごとにたくさんのことを吸収し、変化していく真っ只中のように思う。2020年の一年間を思い返しても、しめちゃん、本当に物凄く変わったな、と、感じる。たとえば、以前「可愛く在らなきゃ」と悩んでいたしめちゃんは、今、自身の「可愛い」の使い所を見極め、常に「可愛い」を保つ状態から、要所要所で最大出力の「可愛い」で圧倒する方向性に切り替わったような印象を受けている。「可愛い」以外の表情を見せる機会も多くなり、その分ギャップで「可愛い」の威力も増してゆく。今の自分とパブイメの共存。自身を捕らえていた「可愛い」を、捕らえ返して乗りこなしているような。それだけじゃなくても、顔つきが凛々しくなったこと、微笑みが更に柔らかくなったこと、トークの組み立てが上手くなって、笑いの要素を盛り込むようになったこと。儚さと強さ、色気と可憐さの同居したパフォーマンス、自由自在に操るそのあらゆる表情や表現の幅が更に広がったこと。言動や振る舞いも、日に日に大人のそれになっていく。私が最後にしめちゃんに会ったのは、2020年の元旦。もう一年以上、しめちゃんに会っていない。それでも、画面越しにだって手に取るように伝わってくる、数々の変化。生で見たら、きっと更にたくさんのことを感じ取るんだろうな。ああ、しめちゃん、早く、早く、会いたい。
その変化は、しめちゃんがどのような姿の自分を見せたいか、その在り方について、一つ一つ選択を重ねてきた証だと思う。そうしてしめちゃんが選んできたものが、歩んできた道が、しめちゃんの「今」をリアルタイムで形作る。そして、私は、それをただまっすぐに受け止めていきたい。

先日放送された「RIDE ON TIME」でしめちゃんの語っていた、過去、事務所を辞めるかどうか気持ちが揺らいでいたときの話。それを察したお父様から「今までやってきたことは間違いじゃないから、絶対いい未来が待ってるから、絶対続けた方がいいよ」と言葉を掛けられ、「続ける」選択をしたこと。以前雑誌で語っていたことと繋がっていく感覚。
きっと幾度となく考えただろう、自身の進路。その上で「続ける」ことを選んでくれたこと。この12年間、その選択を重ねてくれたから、私はしめちゃんと出会うことができた。
18歳で単身上京して、仕事が減り生活に困り、生きていくことに精一杯だった時期があったこと。先が見えない状態で、その道を歩むことを諦めかけたこと。そして、お父様からの言葉で、この場を手放したら何が残るだろう、と、踏みとどまったこと。今だって、不安になることが無いわけではないと思う。それでも、今、しめちゃんがこうしてアイドルでいること、そして、アイドルを生業とすることを選んだときから「他の選択肢は殆どなかった」と言い切っていること、それらの重みをひしと感じている。

その上で、しめちゃんが、ここぞというときのソロ曲に、自身の原点の曲である「ムラサキ」を出してくることを思うと、胸がぐっと詰まる。初単独コンサートのソロコーナーに、初めてのソロコンサートの演目に、TVで放送されるソロパフォーマンスに、自分の原点の曲を選ぶその思い。お母様と一緒にKAT-TUNのコンサートに入ったときの話、小学生の頃に初めて買ってもらったライブDVD、入所のきっかけになった思い入れのある曲。出せる範囲で何度も何度も話題に出す、何なら出せるときは名前だって出してしまうぐらい憧れている、今は退所した先輩のこと。
原点を、尊敬する人を、ぶれずに大切にするしめちゃんの姿勢や強さを目にするたびに、心が震える。その胸に抱く、「好き」よりも、もっともっと強くて大きな感情を感じるから。しめちゃんにとっての一張羅のような曲なんだろうね、きっと。その一歩を踏み出した、始まりの曲。

そうして歩み始めたアイドルの道。私は、しめちゃんのことを好きになってからずっと、彼のアイドルとしての在り方に心惹かれている。それは、あらゆる切り口から自分がいちばん魅力的に映える表情や見せ方を研究していることだったり、ファンサが大好き!と公言していることや、ステージに立っているときにお客さん一人一人と目を合わせることを心掛けていることだったり、何をしたら自分のファンが喜ぶか、ということを熟知しているだろうところだったり、たくさんの要素があるけれど、中でも私が一番嬉しいと感じることは、しめちゃんが、私たちを「しめ担」と呼び、彼の「大切」の中の、特等席に置いてくれていることだなあ、と、思う。お仕事が決まったときや、伝えたいことがあるとき、いちばんはじめに「しめ担」と名指しで呼びかけてくれることが、どんなことよりも嬉しい。私にとって何よりも特別な、しめちゃんの呼びかける「しめ担」の響き。
しめちゃんにとっては、自分のことが特別に好きな人、というだけではなく、誰か特別に好きな人がいる、ということ自体がそもそも特別なんだろうな、と思う。うみちゃんが休養しているときに、まず誰よりも真っ先にうみ担さんたちに向けて「かいとのファンのみんな」と名指しで呼びかけたこと、本当にしめちゃんだなあ、と、思う。「その人を一番に想うファン」を特別の中の特別として扱う、そのしめちゃんのスタンスが、私は本当に本当に大好きだ。

これもROTから、トランポリンで首を痛めてしまった後、楽屋の前にしゃがみ込んだしめちゃんのこと。苦しそうに悔しそうにしていたけれど、その日のステージのことを語り始めると、途端に瞳に光が宿り始める。ふんわりと表情が柔らかくなり、晴れやかな笑顔になる。「やっぱ楽しかったっすよ、本当。それで明日も頑張ろうってなってくれたら嬉しいし、凄く、マスクしてても表情が分かるくらい何か皆凄く嬉しそうにしてたし」と語るしめちゃんは、嬉しいことがあったときの、ぱっと目を見開いて、ふんわりと口が開く、あの表情を浮かべていた。その表情の変化から、しめちゃんが心からステージに立つことが好きなことや、私たちがTravis Japanに、自担に会いたいと思うのと同じように、しめちゃんも私たちに会いたいと思ってくれていた、その気持ちがダイレクトに伝わってくる。「しめの瞳には嘘がない」とはバディこと如恵留くんの言葉だけど、あの、瞳に光の宿った瞬間、もう何度目か分からないけれど、しめちゃんを好きになれて、七五三掛担になれて幸せだ、と、思った。何度も何度も言っちゃうけれど、何度だって言いたい。やっぱり両想いだね、って。

私はとにかく思い詰めやすく煮詰まりやすく、ことあるごとに考えすぎては拗らせて自縄自縛に陥ってしまいがちなタイプのおたくで。でも、しめちゃんのことを想う度に気持ちが濾過され、ただただ「好き」の気持ちだけが残っていくような感覚を覚えていた。こんなことって、あるんだね。とても不思議だけれど、同時にとても心地良い。
それはきっと、いつもしめちゃんの愛や優しさに包み込まれているような心地がするからだ、と、思う。甘い香りに心がきゅんとすること、優しい香りに包まれてリラックスすること。深呼吸をした後、徐々に気持ちが落ち着いていく感覚にも、きっと似ている。私は常々しめちゃんの愛や優しさの形は気体のようだと思っているけれど、やっぱりそうなんじゃないかな、なんて。

七五三掛担になってから、しめちゃんから、数えきれないほどの幸せを貰った。そもそも私がしめちゃんと出会ったのは自分にとって苦しいことが重なった時期で、しめちゃんの存在は私にとっての救いの光そのものだった。しめちゃんに出会えたから、しめちゃんを好きでいたから耐え抜けたことが、本当にたくさんある。しめちゃんに出会えたこと、しめちゃんがアイドルを続けてくれていること、たくさんの幸せと生きる力をくれていること、何もかもに感謝してもしきれない。だから、しめちゃんの「この仕事は嫌なこともあるけれど、それよりもいいことが多い」という言葉が、じわじわと心に沁みている。嫌なことが無い、ということは実際問題難しくても、それを忘れてしまうぐらい、心から流れ出てしまうぐらい多くのいいことが押し寄せればいい。しめちゃんに、幸せでいてほしいし、しめちゃんの心がいつも喜びで満たされていてほしい。そのために、自分ができることを一つでも、と、思いながら、手を動かしたりもした。私一人の力で何かができるわけではないけれど、それでも、もしかしたら、私が手を動かしたことが、しめちゃんの笑顔を作る何らかの要素の一部に、風が吹けば桶屋が儲かる、の、風ぐらいにはなれていたらいい。

「俺のことを見てくれている人のことは死ぬまで大切にするつもりです」(cf.日経エンタテインメント 2020年2月号)
「俺はこの先Travis Japanとファンの皆さんにこの先の人生を捧げるぐらいの強い気持ちでやっていきたいと思っているので、死ぬ気で頑張るので、着いてきてください」(cf.しめパラ15:00公演、ニュアンスです)

しめちゃんは、一つ一つ考えながら、ゆっくりと、そこに置いていくように言葉を口にする。そして、口に出したことはやり通そうとする、口にしなくても自分の中で決めたことはやり通そうとする。YouTubeの抜き打ちアンケート調査の企画で、「50年後何してる?」という質問に困った理由に「もしそれになってなかったとしたら俺叩かれたりするかもしれない」と答えたしめちゃん。いつものしめちゃん節として回収されたその言葉は、自分の発した言葉や心に決めたことに責任を持たなければ、という意識があるからこそ出てきたもののような気がしている。
そんなしめちゃんが自身の思いや希望を言葉にするとき、特に、あまりにも強い言葉が並ぶとき、それらの言葉を選ぶその裏に、並々ならぬ覚悟を感じている。前述のもの以外にもある、その、まっすぐすぎるほどにまっすぐで、とても強い言葉たち。しめちゃんが紡いだ言葉を使って、しめちゃんのことを縛りたいわけではない。でも、そのときそのときのしめちゃんの気持ちを、大切に宝箱に仕舞っておいて、折々にそっと眺めさせてもらえると、とても嬉しい。

25歳のお誕生日のときにも同じことを言ったけれど、やっぱり私は、しめちゃんに求めることは何一つない。ただただ元気で幸せでいてくれれば、それだけで。自分がかき集めた知っていることや、過去の言葉たち。それらを繋ぎ合わせて私の頭の中で思い描く想像上のしめちゃんより、現実のしめちゃん本人がもう絶対に絶対に素敵なことが、想像を遥かに超えてくることが分かってるから、ただただ私の目に映る現実のしめちゃんに、全力で飛び込んで溺れたい。好きな髪型とかはあるけれど、それは私が好きなだけで。自分の意思や信条や美学を大切に、しめちゃん自身が一番良いと思う姿でいてね、と、思う。しめちゃんの望む、しめちゃんの見せたい姿が私の見たい姿だと言い切れることは、大きな大きな信頼でもあり、とても幸せなことだね。

職業をアイドルとする人が、アイドルを生業としていくこと、アイドルの幸せとファンの幸せが一致すること。その中にいるときには、あたかも永遠の中にいるように感じてしまうけれど、実際は、一瞬一瞬の奇跡が繋がりあったもので。だから、こうして、しめちゃんの「今」に、そして、「今」を重ねて未来を創り出していく、その瞬間に立ち会えていることを、心底幸せに感じている。今日のこの日を今年もお祝いすることができて、本当に本当に嬉しい。

4日後、2月19日には、映画「ライアー×ライアー」が公開される。2019年7月定期更新のしめまるで、演じてみたい役柄について綴ったしめちゃん。それから折々に「演技の仕事をしたい」と言っていたことを覚えている。「俺の夢は、みんなの夢でもあると思うから一緒に頑張ろー。」の言葉も同時に思い出しながら、完成披露報告会に登壇したしめちゃんの、各媒体で撮影された写真に映る柔和で晴れやかな笑顔を目にしたとき、心の奥に熱いものが流れ込んでくる心地がした。映画が公開されることはもちろん、それに伴ってたくさんのバラエティ番組に毎日のように出演する姿を見られたことも、公開日翌日の舞台挨拶に登壇できることも、全部全部嬉しい。しかも、"ガチガチの同期"の北斗くんとの共演、本当に運命みたいで。
これからも、しめちゃんの夢や目標が叶う瞬間や、抱えきれないほどの喜びがしめちゃんに降り注ぐ瞬間を、一つ一つ見届けていきたい。そして、その喜びを、しめちゃんと共に味わっていきたい。この胸いっぱいの愛を、しめちゃんの目に見える形に変えて届けていきたい。13年目も、願わくばその先も、どうか、どうかずっと。